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看取り人 エピソード5 失恋(5)

 先輩が書き終えるといつの間にか空が赤く焼けていた。
 先輩は、痛くなった指先からペンを離す。
「お疲れ様」
 白髪の男は、にこっと微笑んで先輩を労うといつの間、購入してきたのか小さなアップルジュースのペットボトルが握られていた。
「喉が渇いたろう?ずっと集中して書いてたから」
「……ありがとうございます」
 先輩は、遠慮しながらもペットボトルを受け取ると、ビニールのラベルにが描かれた可愛らしいリンゴのマスコットをじっと見る。
「今の若い子の好きな物がイマイチ分からなかったんでね。リンゴは嫌いかい?」
「いえ、そんなことは……」
 ただ、彼が良く飲んでいたから……とは言わなかった。言ったところで意味のないことだから。
「書けたかい?」
「書き過ぎました」
 先輩は、苦笑しながらバインダーに挟まった便箋の束を見せる。数えてないが十枚以上はある。書いているうちに想いが溢れ過ぎて幾らでも書けてしまった。書こうと思えばまだ書ける。
 そして思う。
 ああっ私、本当に彼のことが好きだったんだ、と。
 もう……叶わないって分かってるのに……。
「これは凄いねえ」
 白髪の男は、舌を巻きながらも嬉しそうに笑う。
「彼に渡すのかい?」
 白髪の男の質問に先輩は首を横に振る。
「ただ自分の想いを羅列して書いただけなんで……これを渡しても三分の一も伝わらないと想います」
「純情な想いは空回りか……」
 そう言って白髪の男は笑うが先輩は意味が分からず首を傾げる。
 今時の子にはやはり分からないらしい。
「ちゃんと纏めて、渡して、しっかりとフラれてきます」
 先輩は、力を込めて決意する。
「そうか……家でまとめるかい?」
「いえ。家じゃ書けそうにないんでまた明日ここで書こうと思うんですけど……」
 先輩は、チラリと切長の右目を向ける。
「おじさんは……明日もいますか?」
「いるよ」
 白髪の男は、即答する。
「まだ全然書けてないからね」
 そう言って白紙の便箋を挟んだバインダーを見せる。
「君にあれだけ偉そうに言ったのに情けない限りだ」
 はははっと渇いた笑い声をあげ、白髪を掻く。
 明日も白髪の男がいてくれる……そのことに先輩は純粋に喜んだ。喜んで……疑問が浮かんだ。
「おじさん……」
「なんだい?」
「おじさんが……フラれた相手って……手紙を送りたい相手ってどんな人なんですか?」
 白髪の男の顔から笑みが消える。
「恋人……さん?それとも……奥さん?」
 先輩の質問に白髪の男は目をぎゅっと細めて……笑う。
「どちらでもないよ」
 白髪の男は、へらっと笑っていう。
「と、いうかね。会ったことがないんだ」
「会った……ことがない?」
「そして相手も僕のことを知らない」
「知ら……ない?」
 先輩は、白髪の男の言葉の意味が分からなかった。
 会ったこともないのにフラれるとはどういう意味なのか?
「でもね。僕は書かないといけないんだよ」
 白髪の男は、バインダーを持ち上げる。
「ここに挟んだ封筒の裏にはね。僕がフラれた相手の住所が書いてあるんだ。住所だけ。名前も知らない。でも、僕は手紙を書き上げてその人に送りたい。送って気持ちを伝えたい。相手は……僕のことなんて知りもしないのにね」
 白髪の男は、ぎゅっとバインダーを握る。
「ちょっと気持ち悪いかな?ストーカーみたいだよね?」
「そんなこと……」
 先輩は、首を横に振る。
「おじさんがいい人なの……私知ってるから……気持ち悪くなんてないです」
 先輩は、両手を組んで指をモジモジさせながら恥ずかしそうに答える。
「きっとその人にも……おじさんの気持ちしっかりと伝わると思います」
 先輩の言葉に白髪の男は大きく目を開けて……そして嬉しそうに笑う。
「ありがとう」
 白髪の男は、右手を伸ばして先輩の頭を優しく撫でる。
「君は本当にいい子だ」
 冷たくて……ほのかに温かい。
 気持ちいい。
(お父さんに頭撫でられるって……こんな感じなのかな?)
 会ったこともない、どんなものかも分からない父親という存在と白髪の男を重ねる。
 もし、自分に父親がいたなら……こんな人だったのかもしれない。こんな人だったらいいなぁ。
 先輩は、心の底からそう思いながら頭を撫でられる感触を楽しんだ。
「さて……帰ろうか」
 白髪の男は、先輩の頭から手を外す。
 先輩は、名残惜しそうに離れていく手を見る。
「明日も同じ時間でいいかな?」
「はいっ」
「雨が降ったり、風が強かったら中止」
「はいっ」
「もし、僕が予定の時間に来なかったら……その日は無し」
「……待ってちゃ……ダメですか?」
「ダメ」
 白髪の男は、きっぱりという。
「僕が決まった時間に来ないということはもう来ないということだ。そんなのを待って貴重な君の時間を潰しちゃいけない。時間は……有限なのだから」
「……はいっ」
 先輩は、渋々頷いた。
 そんな先輩を、白髪の男は苦笑を浮かべて見る。
「それじゃ、また明日」
「はいっ」
 先輩は、小さく微笑む。
 ちゃんと笑ったのなんて久しぶりかもしれない。
「また、明日」

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