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ドレミファ・トランプ 第四話 週末ケーキパーティー(4)
バブみってこう言うことかぁ。
本邸の客間兼和室に通された大愛は、滑らかで少し温かみのある畳の感触を素足で感じながらリハビリ時代に少しオタクの入った訪問医から息抜きにと勧められたラノベに出ていた言葉を思い出していた。
確か"相手の女性に感じる圧倒的な母性"とか言うオタク用語だったばず。
まさか、同級生の女の子から感じることになるなんて。
「はいっ神山さんどーぞ」
四葉は、紙皿に乗せた春苺のショートケーキとフォークを大愛の前に置く。
「おかわりあるから沢山食べて下さいね」
四葉は、にっこりと微笑む。
四葉の言葉通り、和室の主人でございと主張するような黒い木目の浮かんだ足の太いテーブルには所狭しと大きなホールケーキが五つ置かれていた。
可愛らしい女の子のような春苺のショートケーキ。
王冠のように栗を頂上に乗せた黄色いモンブラン。
粉砂糖で雪のように化粧されたフォンダンショコラ。
プリンのように蠱惑的に魅了してくるチーズケーキ。
そして宝石のように輝く春の果物のフルーツタルト。
個性の強い五つ子のようなケーキ達は黒いテーブルの上に静かに鎮座して自分たちが選ばれるのを今か今かと待っていた。
そしてこれを作ったのが……。
「ちょっと沢山作りすぎちゃいました」
四葉は、照れ笑いをにて可愛らしく舌を出す。
夜空の話しによると四葉は昨夜から勉強も夕飯もそっちのけでケーキ作りの仕込みをしていたらしく、スポンジを焼き、チョコレートを溶かして生地に混ぜたりを繰り返し、朝も日が昇る前から生クリームとカスタードを作り、デコレーションに勤しんでいたと言う。
そして出来上がったのがこのプロにも劣らないクオリティの見た目と……。
大愛は、紙皿を左足の指で押さえ、右足の親指と人差し指でフォークを持って丁寧に切り分けて口に運ぶ。
「……美味しい」
見た目を超えた美味さに大愛は思わず身と舌を震わせた。
生クリームの甘味と春苺の酸っぱ味が舌の上で幾重にも重なり合って最高の旨味となって広がっていく。スポンジの固さも絶妙で幾らでも噛んでいられる。
大愛は、一口、また一口とショートケーキを食べる。
四葉は、嬉しそうに頬を赤らめて大愛を見る。
「良かった。喜んでもらえて」
そう言って微笑む四葉の顔は手作りおやつを子どもが美味しそうに食べて喜ぶ母親そのものだった。
そのあまりの可愛らしさと愛しさに両足を広げて抱きしめたくなる。
「バブみが強過ぎる……」
大愛は、ぽそりと呟いてショートケーキを食べる。
四葉は、大愛の言葉が聞き取れなかったのか?首を傾げながら心の方を見る。
心は、既に紙皿に置かれたチョコレートシフォンを食べ終え、口の周りを離乳食を始めたばかりの幼児のように盛大に汚していた。しかし、心はそれを気にした様子もなく無表情にロンTの袖で拭おうとしていたので慌てて四葉がテッシュを取って心の口の周りを拭く。
「四葉。僕、子どもじゃないよ」
心は、無表情に言う。しかし、霞が勝った目からは若干拗ねた様子が感じられた。
「子どもじゃないならもっと綺麗に食べて。綺麗な顔が台無しだよ」
「いいよ。別に顔なんて」
そう呟く心から若干の不快感が感じられた。
「そう言わないの。おかわりいる?」
「うんっ今度はモンブランがいい」
そう言ってモンブランのホールケーキを指差す様はお母さんにおねだりをする子どものようだ。
「はーいっちょっと待っててねぇ」
四葉は、テッシュをゴミ箱に捨てると大振りの出刃包丁を右手に持って丁寧にモンブランを切っていく。
「スポンジの間に生クリームと栗の甘露煮を挟んであるの。市販のを使ってるから少し甘すぎるかも」
人差し指を唇に当てて少し悩むように四葉は言いながら、心にモンブランを乗せた紙皿とフォークを渡す。
「大丈夫。僕は夜空のようなバカ辛舌じゃないから」
心は、無表情に言ってモンブランを受け取るとそのままフォークで小さく切り取って口に運ぶ。
「うんっ美味い」
無表情に小さく頷く。
本当に美味しいと思ったのだろうか?
「悪かったなバカ辛舌で」
四葉の隣に座ってポットから急須にお湯を注いでいる夜空が半眼になって心を睨む。
大愛達と合流してから急いでシャワーを浴びて着替えた夜空は有名なアウトドアメーカーのロゴの入った半袖の黒のパーカーに黒のジャージのハーフパンツを履いている。
完全な部屋着だ。
女の子がいることなどまるで意識していない格好に大愛はむっとする。
「てか、そんなにバクバクケーキ食えるのがおかしいんだよ」
「主催者とは思えない台詞だね」
心は、モンブランを秒で食べ終えると四葉にチーズケーキを催促する。
「嫌なら給仕にでも徹すればいい。四葉のケーキは僕が美味しく頂くから」
「太るぞ」
「太らない」
心は、再び秒でチーズケーキを完食し、ショートケーキを求める。
四葉は、少し困った顔をしながらも心のお皿を受け取る。
夜空は、憎らしく唇を歪めながらお盆の上に置かれた不揃いのマグカップに急須の中身を注ごうとする、と。
「なーちゃんダメ!」
四葉がとても注意してるとは思えない声で夜空を怒る。
「それは神山さんからもらった大事なお紅茶なの!いつものパックのお茶じゃないんだからしばらく蒸して!」
四葉は、頬をむうっと膨らませて夜空を睨むがやはりまるで怖くない。
しかし、夜空は料理をしようとして失敗したのを見つかった夫のようなバツの悪そうな顔を四葉に向けて肩を小さくする。
うんっ本当に新妻は大変だ。
(っていうかいつものパックのお茶と違うって……)
どれだけこの家に入り浸ればそんな台詞がいえるようになるんだろう?例えお茶がパックだと知っていても普通はそんなこと指摘出来ない。それこそ家族でもない限りは……。
それに……。
大愛は、目の前に置かれた春苺のショートケーキをじっと見る。
夜空は、四葉が昨日の夜からケーキを作っていたと言っていた。
この家で。
それってつまり……。
「はいっなーちゃん置いておくね」
四葉は、夜空の席の前に切り分けたフルーツタルトを置く。
「カスタードは使ってないから果物の甘味と酸味だけだよ」
「サンキュー」
夜空は、四葉の顔を見ずにお礼を言って今度こそマグカップに紅茶を注ぐ。
湯気と共に清涼な香りが和室の中を広がっていく。
「いい匂い」
四葉は、嬉しそうに口元を緩める。
その掛け合いはまるで本当に夫婦のようだ。
大愛は、何故かムッとしてるのを止めることが出来ず、それの気持ちを誤魔化すようにてっぺんの春苺をフォークで突き刺して齧った。
酸っぱい。
「ところで四葉」
夜空は、四葉の前に緑色のクローバーの絵が描かれたマグカップを置く。
「そろそろ本題に入ってもいいんじゃないか?」
そう言って夜空は大愛、心の前に湯気上がる無機質な白いマグカップを置き、自分の前に昔のRPGに出てきたような騎士のデザインがされたマグカップを置く。
「神山も……ずっと待ってると思うぞ」
その言葉に大愛はケーキを食べる手を止める。
そうだ。
今日はその話しをする為の週末ケーキパーティだった。
美味しいケーキとよく分からないモヤモヤに忘れていたなんてことは決してない。
大愛は、フォークを置き、四葉を見る。
心は、周りの空気の変化に気づきながらも無関心を示し、勝手にケーキを取り、紅茶を啜る。
四葉は、眼鏡の奥の目を震わせ、エプロンをぎゅっと両手で握りしめる。
そして意を決して話し始める。
「ドレミファ・トランプはね。私の夢なんです」
「夢?」
大愛は、眉を顰める。
四葉は、大きく頷く。
「そう夢。私の……そして彼女の」
「その……彼女って言うのは……」
大愛は、恐る恐る訪ねた。
自分で聞きながら四葉の口からあの名前が出てくるかもしれない。その期待と僅かばかりの恐怖を持って。
四葉の薄い唇が小さく開く。
「馬場明璃さん」
大愛の心臓が大きく高鳴る。
右目から涙が一筋流れる。
夜空は、大愛の目から涙が流れたことに驚いて目を見開き、心は無関心にケーキを食べて口を汚す。
「ドレミファ・トランプは私と明璃さんの夢……」
四葉は、握った両手を胸の前に持ってくる。
そしてじっと大愛を見つめて言う。
「そしてこの夢には……貴方が必要なんです。神山大愛さん」