明〜ジャノメ姫と金色の黒狼〜間話 ナギとアラシと飛竜
ナギは、飛竜が好きだ。
正確には自分が騎乗する飛竜がであるが。
飛竜と言えば白蛇の国の武士の代名詞とも言える存在だ。
他者を震え上がらせる兜を被ったような凶悪な形相、縦に割れた黒目を持つ卵黄色の目、世界を覆う帷のような蝙蝠に似た巨大な一対の羽、そして緑色の鱗に覆われた固く巨大な体躯。太い四肢から生えた爪や金棒のような尾を振り回されただけで武の心得のないも者は避けることすら出来ずに死ぬだろう。その外見から種族の殆どが雌と言ってどれだけの人間が心から信じることが出来るのだろうか?
実際、外見だけなら猫の額に住む災厄の名を持つ狼の方が数十倍可愛らしい。
そんな飛竜跨る武士は、他国に取っては正に勇猛と恐怖の象徴とも言うべき存在であろう。
実際にナギの育った寺の孤児達は、飛竜が空を舞う度に恐怖を覚え、戦に勝利し、飛竜に跨り凱旋する武士を見て大人たちも歓声を上げつつも畏怖していた。
しかし、ナギは、飛竜を一度も怖いと思ったことはない。
それはナギが武士になる前から人並外れて強かったからとかではない。むしろナギは、誰よりも怖さと言うものを知っていた。
空腹になる恐怖。
殴られる恐怖。
そして人間という浅ましい生き物に対する恐怖。
アケと言う絶対的に信頼出来る存在に出会わなければ今も恐怖に囚われ、我が身を守る為に暴力を振るっていたかもしれない。
そんな臆病なナギが武士となり、騎竜として与えられたのが現在、自分を背中に乗せて飛んでいる彼女であった。
侍は、飛竜の背に乗ってようやく一人前と言われている。
その由来は、飛竜は、自分を倒し、屈服させた者しかその背中に乗せないのだ。そして飛竜に騎乗することが出来て初めて武士を名乗ることが出来るのだ。
ナギが侍に合格した年、侍になれたのはナギ1人だった。何故なら候補生も試験官も全てナギ1人で倒してしまったからだ。
それは朱のナギを語る上での伝説とまでなっているが本人は周りが弱かっただけと自慢するどころか、そんなことあったっけ?と首を捻り、それが周りの武士たちからの嫉妬と憎悪を煽ったがナギは、気にも留めない。
ナギにとってはそんな弱い奴らと戦ったことよりも彼女と戦ったことの方がよほど印象に残っていた。
それ程までに彼女は、強かった。
彼女の爪の一撃が試験用に支給された茶色の甲冑を安易と千切る。
鋼のように硬い鱗がナギの斬撃を盾となって防ぐ。
そして尾の一撃がナギの鍛え上げられた肉体を抉り取るように叩きつけられ、全身の骨が軋んだ。
これ程までに強い相手に出会ったのは初めてであった。
正直、勝てる気がしなかった。
後から聞いた話しだが彼女は歴代の候補生を一撃の元に倒し、士官クラスですら薙ぎ払う強さを持っていたことから野良竜と蔑まれ、ナギに当てが割れたのは嫌がらせ以外の何ものでもなかったのだが聞かされた今でもどうでも良かった。
甲冑を全て剥がされ、刀一本になったナギは、残された力を一撃に乗せるべく全身を脱力させ、迫り来る彼女に全身全霊の斬撃を放った。
これが後に朱のナギの"不可視の斬撃"へと発展していくのだが才能のままに放った斬撃は彼女の鱗にか大きな刀傷を走らせる程度であった。
彼女は、動きを止めて傷ついた鱗を見る。
その顔には痛みの曇りすらない。
ナギは、刀を地面に落とし、死を覚悟した。
しかし、彼女は、ナギにそれ以上の攻撃をしなかった。
それどころか自ら首を下ろしてナギを自分の背中に担ぎ上げたのだ。
その瞬間、ナギは、正式に武士となり、彼女は騎竜となった。
誰も乗ることが出来なかった凶悪な飛竜を騎竜にした逸話は、朱のナギの伝説をさらに加速され、嫉妬を生み出したがナギも彼女も気にも留めない。それよりもナギは、彼女が自分の相棒となってくれたことがとても嬉しかった。
彼女は、とても強い。
戦場で自分を乗せて戦う姿は伝説の白蛇の戦いを彷彿とされる。
そして彼女は、とても優しく温かい。
彼女の鱗の下から感じる温もり、その知性溢れた目から溢れる優しさ。アケも彼女を初めて見た瞬間に「この子はとても良い子だね」と言ってくれた。
ナギは、アケ以外で初めて心を許せる存在を得た気がした。
そんな優しく、強い彼女が目の前を飛ぶ飛竜を警戒していた。
いや、正確には飛竜の上に乗る浅葱色の装束を纏った少年を。
|黄玉のような縦目を細め、牙を剥き出し、緊張していることが強固な鱗を通して分かる。
ナギ達の前を飛んでいるのは白蛇の国の関白大政大臣の次男であるアラシだ。
軍議の間での会議が終わった後、ナギは、アラシに「見せたいものがある。青猿を倒すのに必要なことだ」と言われ、飛竜に跨り、夜の空を飛んでいた。
断る理由は、なかった。
アラシにはそれだけの信頼があったから。
ナギと同じ17歳ながらその聡明さは官職や武士、そして民の間にも知れ渡り、武士の修行をしていないにも関わらず飛竜を乗りこなすことが出来るまさに100年に1人の逸材と呼ばれている。
正直、あの贅肉混じりの長男などより遥かに次の関白大政大臣に相応しいが、本人は出世欲というものがないのか飄々と城の中を動き回っては各部署に顔を出し、的確な意見を言って去っていった。
(そしてあの方は家族の中で唯一、姉様を心配されている)
ナギは、相棒の首筋を撫でる。
「あの方は良人だ。警戒する必要はない」
飛竜は、ナギに首筋を撫でられて気持ち良さそうにしながらも警戒を解こうとはしなかった。
ナギは、小さく息を吐いた。
アラシが右手を上げてジェスチャーで下降するように告げる。
ナギは、アラシに見えないと分かっていても頷き、飛竜に下りるよう命じる。
飛竜は、やれやれと言った感じで帷のような翼を動かし、ゆっくりと下降していく。
2人が降り立ったのは深い森の中部に開けた場所に建てられた朽ちた石造の砦の前であった。
どう見ても建てられてから100年以上は建っており、石壁も朽ちかけ、頑強な扉も半壊しており、人の気配のまるでない砦をナギは、訝しく見る。
「邪教の神殿だよ」
アラシは、あっけらかんと言う。
ナギは、大きく目を見開いてアラシを見る。
アラシは、ナギの反応を面白かったのか、口元を吊り上げて笑う。
「大丈夫だよ。中には誰もいない。僕が始末したから」
「始末・・した?」
ナギは、言葉の意味を飲み込めないままに聞き返す。
しかし、アラシは、腰に下げたランタンに火を灯し、ナギの問いに答えずに砦に近づくと 半壊した扉を潜り抜けて中に入っていく。
ナギは、飛竜に待機するように指示を出してアラシを追いかけ、扉を潜る。
飛竜は、縦目を細めて扉を睨む。
ナギが追いついてもアラシは、振り返りもせず、速度も緩めずに進み続ける。
「アラシ様・・・一体どちらへ?」
ナギが恐る恐る尋ねても「いいところ」と答えるだけでそれ以上は話してくれない。
ナギは、アラシに導かれるままに歩いていく。上階に上がるものと思ったがアラシは、建物の奥にある腐った臭いのする地下へと続く階段を降りていく。
流石にアラシのランタンの灯りだけでは心ともないのでナギも自分のランタンに火を灯す。
「邪教ってね。魔法に憧れているんだよ」
唐突にアラシは、話し出す。
「君も知っての通り、人間って魔法が使えない。文明を得ることと引き換えに進化の過程で失ったと言うけど、僕は単に人間という生物にその機能が備わっていないだけだと思ってるよ。カタツムリに物が握れないのと一緒さ。最初からないのさ」
ナギは、アラシの話しの意図が分からず眉を顰める。
「でも、カタツムリと違うのは人間って欲深い生き物だってこと。持ってないじゃ納得出来ないのさ。だから彼らの始祖達は、巨人という世界の根源とも言える存在に憧れ、彼らの力を得ようと崇拝した。それが邪教の始まりだよ」
アラシの話しはとても分かりやすく、武の才能と知識しかないナギの頭にも弾かれる事なく入ってくる。その喋り方はナギと同じ年のはずなのに妙に時を経たものに感じた。
階段を下りきると長い通路が現れた。ランタンの灯りで壁が時で汚されているのが分かるがその先は見えない。しかし、アラシは、迷うことなく闇に閉ざされた道を歩き、ナギは、その後に続く。
アラシは、再び語り出す。
「ナギは、ガーゴイルと戦ったことはある?」
アラシの問いにナギは、頷く。
「はいっ何度か。邪教が我が国の領地でいざこざを起こした時に」
「そうなんだ。まあ、君なら楽勝だろうね」
アラシは、楽しそうに言う。
「ガーゴイルっていうのはね。邪教が初めて手にした擬似魔法なんだ。かつて5王の誰かに滅せられた石の巨人ゴリアテの身体を使って造られたんだ。石の巨人の破片を混ぜた彫像を造り、その血で作ったインクで羊皮紙に魔法陣を書いて・・まさに画期的な技術・・いや魔術だね」
アラシは、空中に指で線を描いて魔法陣を作る。その仕草が妙にリアルにナギには見えた。
ナギは、アラシが何を言いたいのかよく分からなかった。
敵の情報や手法、技術を知ることは戦う上でとても重要だ。それは分かる。だが、それとこの場所に来ている理由が結びつかない。
(こんな抜け殻となった施設に何の用があるというのだ?)
そんな事を考えているとランタンの灯りが2人の前に扉を映す。
アラシは、扉に手を当ててゆっくりと押す。
扉が錆びついた音を立ててゆっくりと開き、ランタンの灯りが部屋を灯す。
ナギは、絶句する。
ランタンの灯りが映したもの、それは夥しい数の魔物の形に彫られた彫像、ガーゴイルの群れであった。
ナギは、瞬時に刀に手を掛ける。
アラシは、振り返らずに左手を伸ばしてナギの動きを制する。
ガーゴイル達は、ぴくりとも動かず、2人に、アラシに傅くように平伏している。
ナギは、ガーゴイルの群れの奥、ランタンの灯りの届かない先に威圧するように立つ巨大な影が幾つも存在していることに気づく。
動く気配もなければ威圧されている訳でもないのに冷や汗が顎を伝う。
「昔にね。とある国が近隣の国と戦争をしていたんだけど、その途中で矢が足りなくなったんだ」
アラシは、唐突に話しだす。
「矢を買う金もなく、兵士たちの士気も落ち、敗戦は必至だった」
アラシは、懐に手を入れる。
そこでその国の軍師は考えたんだ。矢を買う金がないなら手に入れればいいって」
アラシは、懐から綺麗に巻かれた羊皮紙を取り出す。
「大きな藁の俵に木の板で作った人形をくっつけて相手方に大軍で襲い掛かるように見せかけたんだ。当然、相手方は、脅威を感じて無数の矢を射た。結果・・どうなったと思う?」
アラシは、笑みを浮かべてナギに振り返る。
いつもと変わらない笑みなのに何故かうすら寒く感じ、ナギは、唾を飲み込むも口を開く。
「藁に矢が突き刺さります。その国は無数の矢を手に入れることが出来ました」
「お見事!」
アラシが声を上げると同時に羊皮紙が開かれ、複雑な紋様の描かれた紫色の魔法陣が現れる。
「つまりこの話の教訓は敵の武器は、自分達の武器にもなり得るということだよ」
アラシは、笑う。
紫の魔法陣の光に呼応し、ガーゴイル達の目が赤黒く輝き、その身を大きく振るわせる。
ナギは、反射的に刀に手をかける。
アラシは、大きく肩を震わせて振り返る。
「さあ」
アラシは、笑みを浮かべていた。
いつもように柔らかく、そして三日月のように割れる笑みを浮かべて。
「青猿を殺しにいこうか」
アラシの無邪気な声にナギは背筋を凍る思いがした。
ナギの脳裏に遠くにいるアケの姿が浮かぶ。
アケは、悲しそうに微笑んでいた。