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看取り人 エピソード5 失恋(終)

 看取り人に連れられてやってきたのはくだんのショッピングモールの憩いの広場だった。
 憩いの広場には今日もたくさんの人が集まっている。
 カードゲームに勤しむ小学生の集団、タブレットとフードコートで売っているコーヒーを片手に読書を楽しむ女子大生、囲碁で接戦する高齢者二人、そして一階のファースト店で買ってきたハンバーガーを楽しそうに頬張る親子連れ。
 そして……。
「可愛いぃぃぃぃぃぃぃぃっ!」
 先輩の顔が豊満な胸の中に沈む。
 甘い匂いと柔らかさ、そして質量の暴力に先輩は溺れそうになる。
 先輩は、息苦しさと何が起きたかわからない混乱に両腕を踠き掻く。
 先輩を溺れさせようする主はそんなこと気にも止めずにぎゅうぎゅうと先輩の頭を抱きしめ、胸の中に飲み込んでいく。
 先輩は、もう窒息死寸前だった。
「やめろ」
 看取り人が冷徹な声で先輩を胸の中から引き剥がし、間一髪を得る。
「大丈夫ですか?先輩」
「な……なんとか」
 先輩は、ハアハア息を吐きながら眼帯がズレていないかを確認する。そして自分を溺れさせた犯人に切長の右目を向ける。
 犯人は……あの時、看取り人と一緒にいた女の子であった。
 ふんわりとしたショートヘア、人目を惹く中性的な顔立ち、身長は高く、看取り人と変わらない。ピンクのパーカーと膝丈の破れたダメージジーンズを履いた肢体はとても細いながらも女性としての魅力を存分に引き出している。特に先輩を溺れさせた胸は凶器のようで年齢問わず男達の目を釘付けにしていた。実際、看取り人以外の男達、小学生も高齢者もゲームを忘れて女の子を見ている。
 しかし、そんなことよりも先輩が注目したのは目だ。
 黒目が小さく、白めの広い大きな三白眼。
 その目は……あまりにも先輩が知っているものと酷似していた。
「ああっごめんなさい」
 女の子は、ふんわりとしたショートヘアを掻きながら舌を小さく出して謝る。
 そこに悪びれた感じは一切無かった。
「あんまりに可愛いものだからついっ」
「何がついっだ」
 看取り人は、三白眼を半目にして睨む。
「可愛いと思ったものに何でもかんでも抱きつくなっていつも言ってるだろう。変質者に思われる」
「だって……」
 女の子は、唇を尖らせて三白眼で看取り人を睨む。
「急に呼びだされてこんな可愛い子見させられたら抱きつきたくなるのは当たり前でしょう?」
「世界の常識みたいに言うな」
 看取り人は、抑揚のない声を低くして言う。
「あんたの常識は世界の非常識と知れ」
「ひどいー!ひどいー!」
 女の子は、足をバタバタさせて恨みがましく三白眼で看取り人を睨む。
 先輩は、唖然とした表情で二人のやりとりを見る。
 息の合った会話の応酬、険悪ながらも柔らかな雰囲気、そしてあまりにも似た三白眼……。
 まさか……。
「結婚してたの⁉︎」」
 先輩は、悲鳴に近い声を上げる。
「何でですか?」
 看取りは、呆れたように突っ込む。
「妻で〜す」
 女の子は、和かに笑って両頬に人差し指を当てる。
「便乗するな」
 看取り人は、女の子を睨む。
「やっぱり妻……」
「先輩も信じないで下さい」
 看取り人は、はあっとため息を吐く。
「でも……目が一緒だし」
「結婚して目つきが一緒になる訳ないでしょうが」
「でも……アレするとDNAが交わるから……」
「心の底から恥ずかしそうに言わないで下さい。あと一度、保健体育を学び直しましょうか」
「私はそれもアリだと思う」
「あんたは少し黙れ」
 看取り人は、女の子をきっと睨む。
 さすがに女の子もやり過ぎたと思ったのか降参ホールド・アップする。
 先輩は、混乱しながらも頭の奥の奥で一つの答えを導き出す。
「ひょっとして……二人って」
 先輩は、恐る恐る口を開く。
「はいっ」
「うんっ」
 看取り人と女の子は、同時に頷く。
「母です」
「うちの可愛い息子ちゃん」
 先輩の頭の中がぱあんっと弾ける。
「へ……あ……へ?」
 先輩は、震える手で女の子を指差す。
「おか……さん?」
「そうです」
「お姉さんでも……妹さんでもなく?」
 予想していた答えを口に出すも看取り人は「違います」と首を横に振る。
「え……でも……」
 先輩は、女の子……看取り人の母を凝視する。
 顔、スタイル、肌の艶……どれをとっても同じ年か下手すると下にしか見えない。
「若作りなんです。実年齢は見た目の倍です」
 看取り人は、抑揚のない声でうんざりしたように言う。
 恐らく母親と一緒にいて誰かに会う度にそう告げているのだろう。少し疲れた感じにすら見える。
「もう……そんなこと言わないでよ。お母さん泣いちゃう」
 看取り人の母は、わざとらしく三白眼を潤ませる。
 先輩は、呆然と看取り人の母を見る。
 看取り人の母は、先輩に見られてることに気づいてにこっと微笑む。
「いつも息子がお世話になってまーす!」
 そういって握った両手を顎の下に当ててテヘッと笑う。
「ぶりっ子するな」
 看取り人は、抑揚なく、しかし恥ずかしそうに言う。
 先輩は、切長の右目で母と看取り人を交互に見て……二人が嘘を付いていないことを悟る。
「それじゃあこの前見たのって……」
「この子の冬物の服を探してたの」
 看取り人の母はにこっと笑って答える。
「この子、この年になってまだ自分で洋服買わないのよ。困ったもんでしょ?」
「あんたが勝手に付いてくるだけだろ。少しは子離れしろ」
 看取り人は、ふうっとため息を吐きながら言うと看取り人の母は、三白眼を潤ませて息子を見る。
「そんなこと言わないでぇ。お母さんまた泣いちゃうよぉ」
そう言って息子に抱きつき、ふえーんっと明らかな泣き真似をする。
 看取り人は、深く、深くため息を吐きながら先輩を見る。
「とっいう訳です。誤解は解けましたで……しょう……か」
 看取り人の抑揚のない声が段々と弱くなっていく。
 先輩の顔が見たこともないくらい青ざめている。
 膝が亡霊にでもあったのではないかと思うくらい震え、両手が彷徨うように髪の毛を弄り、プレザーを擦り、切長の右目は焦点がまるで合わず、昔のゲームのリモコンのように上下左右に揺れている。
「先輩……どうしたんですか?先輩?」
 看取り人は、恐る恐る先輩に声をかける。
 先輩は、油の抜けたおもちゃのようにぎこちなく身体を動かして看取り人を見る。
「……して」
 先輩は、弱々しい声でぼそりっと呟く。
「はいっ?」
 看取り人は、思わず聞き返す。
「手紙……返して」
「ああっはい」
 看取り人は、ポケットから先輩からもらった手紙を取り出し、先輩に差し出す。
 先輩は、震える手で手紙を受け取る。
「中……見てないよね?」
「はいっ」
「ちらっとも?」
「封開いてないでしょ?家でゆっくり読もうと思ってたから……」
 看取り人は、怪訝とした表情を浮かべて言う。
「あの……その手紙って一体……?」
「忘れて」
「えっ?」
 先輩は、きっと看取り人を睨みつける。
「手紙のことは全てすっぽり忘れて!頭のゴミ箱に捨てて!いい!」
 初めて見る先輩の剣幕に看取り人は三白眼を丸くする。
「わ……分かりました」
 看取り人が頷いたのを確認して先輩は慌てて手紙をスクールバッグの奥に厳重にしまうと再び看取り人に目を向ける。
 今度はとても恥ずかしそうに顔を真っ赤に染めて……。
 先輩の七面相のような表情の変化に看取り人は戸惑う。
「明日のお昼……いつもの場所にいる?」
「ええっ。特に場所を変える必要性はないので……」
「新作の卵焼き……たくさん考えたんだけど……食べる?」
「はいっ。先輩の卵焼き、最近食べてなかったので……お願いします」
 その瞬間、先輩の表情がぱあっと華やいだ。
「いっぱい作るから楽しみにしてててね!」
 先輩は、嬉しそうに笑う。
 そして看取り人に、看取り人の母に頭を下げるとそのままスキップして帰って行った。
 看取り人は、何がなんだか分からず首を傾げる。
 看取り人の母は、そんな二人のやりとりを見ながら「義理の娘が出来ちゃったあ」と嬉しそうに笑った。

 翌日のお昼。
 看取り人と先輩は、いつものプールの死角でレジャーシートを広げてお昼ご飯を一緒に食べていた。
 先輩は腕によりをかけ過ぎたたくさんのオリジナル卵焼きを看取り人に振る舞い、看取り人は「甘い」と言いながらもどんどん食べていく。
 先輩は、重い雲が晴れた様な輝く笑顔を浮かべて卵焼きを食べる看取り人を見つめ、看取り人はそんな先輩を怪訝そうに見ながらもどこか嬉しそうだった。
 そんな二人を遠目から心配そうに見守っていた二人、レンレンは和やかに微笑み、オミオツケは小さく嘆息する。
「胃袋がつっと掴んでるね」
「さっさっと付き合えよー」
 オミオツケの願いは秋の風に乗ってゆらりと飛んでいった。

 そんな様子を誰にも遠く遠く離れた場所から白髪の男が優しく笑って見ていたかどうかはまた……別の話し。

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