エガオが笑う時 間話 とある姫の視点(1)
喧騒と悲鳴が王宮のバルコニーまで轟いてくる。
その声を聞く度に私は、白い手袋を嵌めた両手をきゅっと握りしめる。
「凄い!あの子本当に強いや!」
もうすぐ夫となる婚約者がバルコニーの手摺りから身を乗り出さんばかりに金で飾られた望遠鏡を使って騒ぎの発端のなっている場所を覗いている。
本来なら私達がいたであろう場所を。
そこにいるたくさんの国民が騎士崩れの仕掛けた魔印の影響で鬼に変貌し、同じ国民を襲っていると言うのに彼はまるで活動絵巻でも見るかのように面白そうにはしゃぎ、近衛騎士達が手摺りから落ちないように仕立ての良い銀色のタキシードを掴んでいる。
私は、胸に泥のような重い液体が流される感覚に襲われながら小さくため息を吐く。
「ほらユキハナも見てごらんよ!」
婚約者・・王国の第2王子であるリヒトは、美勇の名を欲しいままにした少し幼いが整った顔に笑みを浮かべて設置された椅子に座る私を呼ぶ。
私は、小さく首を横に振る。
「私達のせいで民達が苦しみ、傷ついてるのよ。何で楽しそうに見るの?」
私は、思わず彼咎めるように言ってしまう。
グリフィン卿と言う寄せ集めと呼ばれる王国の戦闘部隊の長が騎士崩れ達がお披露目会に乗じて反乱する。しかも、守るべき国民達を魔印を使って怪物にして私達を襲わせる計画をしている、と。
即刻お披露目会の中止をと進言してきた時、私もその通りだと思った。
私達のことで国民達を苦しめるわけにはいかない。
しかし、貴族達はグリフィン卿の意見に猛反発した。
王国、帝国を上げてのお披露目会をテロ如きで止めるなど言語道断だ。
それどころかテロを止められないグリフィン卿達メドレーや騎士団を無能と罵ったのだ。
私は、怒りを抑えることが出来なかった。
お前たちのような輩が国を牛耳るから戦争が終わらなかったのだと叫びたかった。
しかもその貴族たちの意見にリヒトまで賛同した時は失望した。
それから時間が流れ3日前、再びグリフィン卿から進言があった。
メドレーの隊長より一つの作戦を提案されたと言う。
その隊長が私達の変わりにお披露目会の馬車に乗り込み、私達が乗っていると勘違いし、油断している騎士崩れ達を誘き寄せ、一気に捕らえ、制圧すると言うもの。
その隊長は弱冠17歳の少女でありながら王国最強の戦士と謳われ、付いた渾名が"笑顔のないエガオ"と呼ばれていると言う。
しかし、そうだとしても私達の変わりに危険な目に合わせる訳にいかない。それに国民達が傷つくのに私達が逃げるなんてあまりにおかしい。私はそれを断って馬車に乗る、お披露目会を行うと告げた。
しかし、それを反対したのはまたリヒトだった。
「ユキハナを傷つけさせることなんて出来ない」
彼は、真剣な顔で私を見て言った。
この男は何を言ってるのだ?
国民が傷つく以上に避けなければならないことなんてないはずだ。
それなのに・・・。
貴族達もパレードを中止せず、予期せぬ強襲にすると言うことならと受け入れた。
私はそれ以上、何も言うことが出来なかった。
そして、現在、私達は何よりも安全な王宮のバルコニーからメドレーの隊長と騎士崩れが戦う様を高見の見物をしていた。
「別に楽しい訳ではないけど・・・」
リヒトは、唇を尖らせて私の隣に座る。
侍女が慌ててリヒトの為に紅茶の準備を始める。
「王国最強なんて言われてる女の子がどんな風に戦うか興味あるじゃん」
そう言って無邪気に笑う。
「それにこの戦いが僕たちの願いを王国に、帝国に届けるきっかけになるかもしれないんだよ」
私達の願い。
それは王国と帝国の間で何百年も続く戦争を終わらせること。
その為の象徴として私と彼は結婚する。
両国の和解と平和の象徴として。
そしてそれは私とあの人とのもう一つの目的にも繋がることなのだ。
しかし・・・。
「貴方は、戦いが戦いを鎮めるきっかけになると本当に思ってるの?」
私は、じっと彼の顔を見る。
彼は、きょとんっとした顔で瞬きする。
その仕草で本当に分かっていないことがよく分かった。
彼は、いい人だ。
聡明で誠実で部下にも侍女にも優しい。王国を平和にしたいと本心から願っており、私のことを愛しているのも本当だろう。
しかし、彼は本当の意味で理解していないのだ。
平和とはなんなのか?
戦争とはなんなのか?
貴族や騎士達からの報告を受けるだけで絵空事のように漠然と知っているだけなのだ。
だからこんなにも軽はずみな考えと行動をしてしまう。
侍女が紅茶をリヒトに持ってくる。
リヒトは、侍女にも労いと感謝の気持ちを伝えて紅茶を受け取ると美味しそうに飲む。
私は、リヒトから視線を反らし、胸元に垂れた自分の黒い髪を弄る。
私の髪は、両親に似て真っ直ぐに伸び、黒々としている。そして瞳も同じように黒い。
これは帝国貴族の特徴で幼い頃は黒曜石のように綺麗と持て囃され、リヒトに初めて会った時も「まるで上質な絹のようだ」と褒め称えられた。
しかし、私が髪を弄るたびに思い出すのは真っ直ぐな髪の両親のことではなく、鳥の巣のように癖の強い髪をした数ヶ月年の違う兄のことだ。
ここに兄がいたら今の私をなんと言うだろうか?
あの目的を叶える為に王国に輿入れし、民のため、国のために動くと誓いながら安全な所でくだらない話しをしているこの私を。
「お兄ちゃん・・」
私は、ぽそりっと呟いた。
晴天に紫の雷が迸る。
縦横無尽に空を走る紫電は耳が裂けるような雷鳴を轟かせ、バルコニーを穿っていく。
突然の異常現象に私だけでなく、リヒト、侍女、そして近衛騎士達も驚愕し、身を竦ませる。
「やはり馬鹿と王族は高い所が好きらしい」
手摺りの向こうに人影が見える。
青く輝く刺青の彫られた右腕から目が焼けるような紫電が迸り、翼となって男の身体を宙へと浮かび上がらせている。
魔法騎士!
それに銀髪に糸のように細い目には覚えがあった。
「雷獣のヌエ」
私は、声を震わせて呟く。
かつて天才と称され、最年少で師団長候補生まで上り詰めたと言う異端児。
ヌエは、紫電を操ってバルコニーに降り立つ。
近衛騎士達が剣を抜いてヌエを取り囲む。
ヌエは、紫電を消し去ると私に向かってゆっくりと頭を下げる。
「覚えていて下さり恐悦至極に存じます。姫様」
ヌエは、にっこりと微笑む。
あまりにも気持ちの悪い笑みに私は背筋を震わせる。
ヌエの右腕の魔印が青く輝く。
「それでは死んでください」
紫電が右腕を包み、雷の糸を走らせる。
近衛騎士達が一斉にヌエに襲いかかる。
しかし、彼らの剣の刃が届く前に紫電が蛇のように彼らの体に絡みつき、その身体を食らう。
近衛騎士の身体が激しく震え、眼球から、鼻から、口から煙が上がり、肉の焼ける臭いが漂う。
近衛騎士達は、身体をぐにゃぐにゃに揺らして倒れ込む。皮膚は焼け焦げ、穴のという穴から煙が上がる。
「鬼にする価値もない連中だな」
ヌエは、鼻で笑って息絶えている近衛騎士の顔を蹴る。
侍女達があまりにも壮絶な光景と悪臭に悲鳴を上げる。
私の隣でリヒトの表情が青ざめる。
ヌエが糸のように細い目で私達を見据える。
「次は貴方がたの番です」
五指の欠損した右手から紫電が立ち昇り、雷の指を作り出す。
侍女達が恐怖のあまりに動けなくなる。
私は、椅子から立ち上がりヌエを睨みつける。
「誇り高き帝国の魔法騎士だった貴方が何故こんな愚かなことを⁉︎」
「その誇りを奪ったのは貴方がたでしょう」
ヌエは、馬鹿にするように鼻で笑う。
「貴方たちののぼせ上がった我儘がこの現状を生んだのです」
紫電の五指を私にむける。
のぼせ上がった我儘。
私達の行動は彼から見れば、いや、停戦により職を負われた者達からすればそう見えてしまうのだ。
その背景にどんな苦悩が、痛みがあったかなんて知ることもなければ知ったところで意味がない。
これはもう結果として出てしまったのだから。
私の手がぎゅっと握られる。
「ユキハナ!」
いつの間にかリヒトが横に立ち、私を思い切り引っ張る。
「逃げるぞ!」
そう叫ぶとバルコニーの入口まで私を連れて走る。
「侍女達が!」
「そんなこと言ってる場合じゃない!」
彼は、脇目も触れず走る。
しかし、私達はバルコニーから逃げることは出来なかった。
バルコニーの入口の前に紫電が降り注ぎ、格子となって塞いだのだ。
リヒトの表情が青ざめる。
「臣下を捨てて逃げるか・・いかにも王族らしい」
ヌエは、侮蔑の表情を浮かべて私達を見下す。
「お前達なんかに国が、世界が変えられるはずがない」
ヌエの紫電の五指が激しく立ち昇る。
雷鳴が鳴り響き、5つの筋が重なり、混じり、竜のように畝る。
「安心しろ。首だけは判別出来るように綺麗に残してやる」
紫電は、意志を持つかのように鎌首を持たげ、目のない顔で私達を取らえる。
侍女達は動くことも出来ず、リヒトは恐怖に表情を固まらせ、ガタガタと身体を震わせる。
「お前達の死で停戦は終わりだ。再び騎士と戦争の時代が戻ってくる」
騎士と戦争の時代。
あの最悪の時が舞い戻ってくる。
それだけは・・、ダメ!
私は、リヒトの前に立つ。
リヒトの顔に驚愕が浮かぶ。
「ヌエ!殺すなら私だけにして!それで怒りを収めて!無辜の民を犠牲にするのはもうやめて!」
私は、必死に彼に願う。
もう誰かが誰かを傷つけてはダメ!
あいつらの思い通りになんて動いちゃいけない!
しかし、私の願いはヌエには届かない。
ヌエは、糸のような目を見開き、怒りを私にぶつける。
「これ以上私を怒らせるな」
紫電が弾け、飛び散り、バルコニーを破壊する。
「首が残せなくなる」
紫電が激しく稲光く!
「死ね・・・ユキハナ!」
紫電が私とリヒトに落ちてくる。
リヒトは、その場に尻餅を付き、私は目を閉じる。
瞼の裏に浮かんだのはこの場にはいないはずの鳥の巣のような髪をした男の後ろ姿。
お兄ちゃん・・・。
私は、この場にいない兄の名を呼んだ。
しかし、紫電が私たちを襲ってくることはなかった。
それどころか雷鳴が消え去り、稲光も消える。
それと同時にヌエの「うぐっ」と喉を鳴らす声が聞こえる。
そして次に聞こえてきた声に私の心は大きく震えた。
「妹を傷つけるのはやめてもらおうか」
この声は・・。
私は、目を開ける。
鳥の巣のような膨れ上がった髪が私の視界に飛び込んでくる。
私の目が大きく震える。
黒いタンクトップに逞しい背中と腕、黒いズボンに長い足。
その後ろ姿は私が知っているものと寸分違わない。
「お・・おに・・・」
私は、声が震えるのを抑えることが出来なかった。
涙が・・涙が取らない。
逞しい左手が鳥の巣のような髪を掻く。
そしてゆっくりとこちらに振り返り、無精髭のように短く刈られた顎髭を擦る。
「よう、セツカ」
口元が小さく吊り上がる。
「助けに来たぜ」
それは間違いなく私の兄、カゲロウであった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?