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看取り人 エピソード5 失恋(10)

 放課後。
 昨夜の突然の雨などなかったかのような快晴の中、先輩は一人ベンチに座って桜の木で作られたバインダーを膝に置いたままじっと植林された森を見ていた。
 芝生を転げ回る子ども達、嬉しそうに吠え、戯れ合う犬達、愛を語らい合うカップル、中良さそうにジョギングをする夫婦らしき男女。
 様々な喧騒が飛び交う中、先輩はただ一人、裏返しにしたバインダーの上に手を置いて、冷たい温もりを感じながらじっと植林された森を見ていた。
「先輩」
 抑揚のない声が先輩の耳に入る。
 先輩は、声の方を振り返りにこっと微笑む。
「こんにちは」
 先輩は、優しく言うと看取り人は三白眼でじっと見て「こんにちは」と抑揚のない声で返した。
「ここで何を?」
「おじさんを……待ってたの」
 先輩は、切長の右目を膝に置いたバインダーに落とす。
「待ち合わせ時間を過ぎたら……待たなくていいって言われてたんだけどね」
 約束の時間は……とっくに過ぎていた。
 過ぎていたが……。
「約束破っちゃった」
 そう言って先輩は、小さく笑うと、右側の空いてるスペースに手を向ける。
「座る?」
「はいっ」
 看取り人は、小さく頷き、先輩の右隣に座る。
 秋風が二人の間を緩やかに抜ける。
 風に揺られたマテバシイやコナラの木からどんぐりがタライをひっくり返したように落ちていく。
 子ども達のはしゃぎ声、大人達の囁く声、犬笑う鳴き声が風と共に緩やかに流れる。
 あまりにも落ち着いた心地よい時間と空間。
 しかし、先輩と看取り人は一言も話すことなく、じっと植林された森を眺めていた。
 それが五分ほど続いただろうか?先輩が沈黙を破る。
「それで……おじさんは?」
 先輩は、囁くように看取り人に訊く。
「今朝、亡くなりました」
 看取り人は、淡々と答える。
「そう。苦しそうだった?」
 看取り人は、小さく首を横に振る。
「穏やかに旅立たれました。最後まで……亡くなる少し前まで懸命に、しかし楽しそうに話されていました」
「そう……」
 先輩は、膝に置いた桜の木のバインダーを撫でる。
 その感触が白髪の男の子ひんやりとしたぬくもりのある手によく似ていた。
「良かった」
 先輩は、切長の右目をそっと閉じる。
 看取り人は、三白眼を向けてじっと先輩を見る。
「……泣かないんですね」
「君が"看取り人です"って名乗った瞬間、何となくもう分かったから。それに昨日いっぱい泣いたもん。これ以上、泣いたらおじさん溺れちゃうでしょ?」
 先輩は、きゅっと裏返しにしたバインダーの上に置いた手を握りしめる。
「それに穏やかな顔で旅立ったってことは……おじさんは、思い残すことなく逝けたってことでしょ?だったら笑って送り出してあげなきゃ……でしょ?」
 そう言って先輩は小さく笑った。
 切長の右目の目尻にうっすらと光らせて。
「……はいっ」
 看取り人は、三白眼を細めて頷く。
「おじさんの……手紙は?」
 看取り人は、足元に置いたスクールバッグに視線を落とす。
「所長に預けました。彼の遺言で棺に入れてもらえるように」
 看取り人の言葉に先輩は驚く。
「渡さなくて……いいの?お子さんに?」
「書けて満足されたみたいです。それに……渡したところで混乱させちゃうからって」
 それは半分本当で、半分嘘だ。
 しかし、白髪の男ならきっとそう先輩に説明したのではないか、と思った。
「そっか……」
 先輩は、ベンチの背もたれに寄りかかる。
 その顔には疑った素振りは見えなかった。
「私ね……ひょっとしたらおじさんが私のお父さんなのかな?って思ったの」
 先輩の言葉に看取り人は瞠目する。
「何故ですか?」
「おじさんの話したこと……私の身の上とよく似てたし……それに……なんだか他人って気がしなかったから」
 そうでなければ本来、人見知りの先輩があそこまで心を開くことは出来なかった。
 あの時、先輩と白髪の男の間には確かに見えない絆のようなものが結ばれていた。
 それを人は何と呼ぶのか?
「そうですか」
 看取る人は、抑揚のない声で短く答える。
「きっと……あの人も喜んでますよ。先輩にそう言われて」
「そうかな?」
「そうです」
「そっか」
 先輩は、嬉しそうに笑った。
 二人の間を再び秋風が舞う。
 木々が心地よく鳴り揺れ、心地よい喧騒が音楽のように駆ける。
「私ね。おじさんと手紙を一緒に書いてたの」
 先輩は、唐突に、恥ずかしそうに言う。
「手紙……ですか?」
 看取り人は、怪訝そうに眉を顰める。
 先輩は、バインダーを表面にひっくり返すと、薄緑の封筒が挟まっていた。
 先輩は、封筒を取ると両手で端と端を持って震える手で看取り人に差し出す。
「君に」
「僕に?」
 看取り人は、三白眼を丸くして手紙を受け取る。
 封筒の面には確かに看取り人の名前が書かれていた。
「おうちに帰って読んで」
「あの……これは?」
「……幸せになってね。昨日も言ったけど……応援してるから」
 そう言いながらも先輩は顔を上げることが出来なかった。
「あのね……出来ればでいいんだけど……せめて友達でいるのはいいかな?やっぱり……君とこれで離れ離れになるのだけは嫌なんだ。先輩と後輩でもいいから……これからも……私と……」
 先輩は、祈るように目を瞑り、両手をぎゅっと握りしめる。
 看取り人は、三白眼をぎゅっと細めて手紙を睨む。
「先輩」
「はいっ」
 先輩は、怯えるように返事する。
 看取り人は、珍しく困った顔をしてなめらかな黒髪を掻く。
「応援って……何をですか?」
「へっ?」
 先輩は、弾けるように顔を上げる。
「今のところ、小説を応募する予定も試験もありませんけど……一体に何に対する応援なんでしょうか?」
 先輩は、口を丸く開ける。
「えっ……だって……」
「それに幸せになってってねって言われても……僕ってそんな不幸が寄って歩いてくるように見えますか?それならどこかお祓いに行ってきますけど。所長にもよく薦められてるし……って先輩って見える人なんですか?」
 看取り人は、三白眼を大きく見開く。
「いや、そうじゃなくって!」
 先輩は、頬を真っ赤にして声を荒げる。
「彼女さんと幸せになってね!って意味!」
 先輩は、大声で叫ぶ。
 看取り人は、三白眼を丸くする。
 先輩は、肩で息を切らしながら両手で顔を覆う。
 やっちゃったぁと言う後悔が洪水となって襲いくる。
 しかし、当の看取り人は……。
 眉根を深く寄せて首を傾げていた。
「彼女……さん?」
「誤魔化さなくていいよ……この前、オミオツケちゃんと一緒に君が綺麗な女の子と歩いてるのを見たの。とっても……楽しそうに」
「どこでですか?」
「学校のすぐ近くのショッピングモール。憩いの広場近くのお洋服屋さん」
 看取り人は、顎を摩りながら空を見上げ……「あっ」と呟く。そして視線を先輩に下ろす。
「先輩」
「はい……」
 先輩は、恐々と返事し、両手を顔から下ろす。その表情はもう何かの覚悟を決めたように固くなっていた。
「この後、時間ありますか?」
「へっ?」
 先輩は、きょとんっとした表情を浮かべる。
 看取り人は、三白眼をきゅっと細める。
「間違えを探しにいきましょう」

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