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看取り人 エピソード5 失恋(1)

 可愛くなったなあ。

 生徒会副会長ことオミオツケは向かいの席に座った期待と興奮に切長の右目を輝かせている少女を見てつくづくそう思った。
 綺麗に編み込まれた輝く黒髪、卵形の輪郭、制服のブレザー越しにも分かる細いが女性としての成長を感じさせる身体つき、そして鋭い刃物で切られたような切長の右目に水色に花柄の眼帯に包まれた左目。
 文句の付けようのない清楚な美少女。
 それがオミオツケが今の彼女に抱く印象だ。
 と、いうのも彼女の最初のイメージは今とはまるで違っていた。
 ケバい、と言う今では死語となっている言葉が相応しい艶やかな金髪、塗りたくられた化粧、クリスマスツリーのように隙間なく付けられたピアスの後は今もしっかりと残っている。
 地元でも有名な進学校に通っているとは思えない素行の悪い姿であったが教師達は何故か彼女のその格好を見逃していた。と、言うよりも敢えて触れないようにしていた。
 まるで腫れ物に触れるように。
 そんな教師達の態度は当然、生徒にも伝播し、誰も彼女には近寄らず、彼女自身も誰とも関わろうとせずに一人静かに自分の席に座り、誰とも話さなかった。
 そして付いた渾名が"話さない女サイレント・ガール"。
 彼女はクラスと言う紙から切り取られた紙欠片のように孤立していた。
 その紙欠片を無理やり繋げようとしたのが何を隠そうオミオツケであった。
 頭脳明晰。
 容姿端麗。
 一年生でありながら既に教師からも生徒からも一目を置かれ、最年少で生徒会副会長に抜擢された才女。
 そんなクールで知的な生徒会副会長にとって彼女の存在は嫌でも目に入り、声を掛けずにいられなかった。
 そして……紆余曲折の関わりの中、オミオツケという渾名を彼女に付け、全校生徒に知れ渡らせたのは何を隠そう彼女であった。
"貴方の名前、後ろから読んだらオミオツケだね"
 塗りたくった化粧の上からでも分かるくらい顔を見て真っ赤にしてテンパりながら言う彼女の可愛らしさと腹ただしさは今も忘れない。
 そんな彼女とオミオツケが今、同じテーブルで向かい合っている。
 人生とは不思議だ。
「どうしたのオミオツケちゃん?」
 目の前の少女は、過去の回想に耽っていたオミオツケを見て首を傾げる。
 現在に戻ってきたオミオツケは不思議な顔をしている少女を見て笑みを浮かべる。
「何でもないよ。先輩」
 普段の名前呼びでない、"先輩"と言う言葉に少女は完全に意表を付かれ、一瞬で顔が真っ赤に染まり、アワアワし出す。
 その顔があまりにも可愛くてオミオツケは笑みを深めてしまう。
「どうしたんですか?先輩?」
 オミオツケは、態とらしく抑揚のない声で言うと少女……先輩はさらに顔を真っ赤にする。
「もう……やめてよオミオツケちゃん」
 ライフ一桁となった先輩はもう顔を上げることも出来ない。
「いいじゃん別に」
 優等生らしくない悪戯っぽい笑みを浮かべてオミオツケは言う。
「私を呼んだのも彼絡みなんだからさ」
 先輩とオミオツケがいるのは二人の通う進学校から少し離れたところにある大手ショッピングチェーンの建物の3階にあるフリースペース。通称"憩い広場"と呼ばれている所だ。
 元々はDVDやCDのレンタルや販売を取り扱っていたチェーン店が入っていたが近年の世界的なサブスクの導入により撤退、跡地に何が出来るのか期待されていた場所に出来たのはなんと十席もの四人掛けテーブルのマッサージチェア、授乳室、そして地元民の写真や絵、サークル団体の募集などを貼ることが出来る完全フリースペースだ。
 長く地域の方にご利用してもらっているのとへの感謝の表れとして現オーナーが周りの反対を押し切って開設したらしい。
 その結果、多くの地域住民が利用し、一階のスーパーやパン屋で購入した物を食べる親子連れ。カードゲームに勤しむ小中学生、ファーストフード店がわりにしゃべり尽くす女子中高生や主婦達等の格好の集いの場となり、その結果、集客率がアップ。昨年は過去最高の売り上げを叩き出したのだと言う。
 現在も購入したパンを齧りながら囲碁に勤しむ高齢者、買い物休憩をする主婦、無言でゲーム機を操る子ども達で席は埋め尽くされ、その一角に先輩とオミオツケも陣取っている訳だが……。
「まさか一人利き卵焼き選手権をさせられるとはね」
 オミオツケは、盛大に肩を竦める。
 二人の座るテーブルは数種類のタッパーに詰められた卵焼きで埋め尽くされていた。
 色鮮やかに輝き、それでもかと甘い匂いを漂わせる卵焼き。一体、何十個の卵が使われたのだろう?
「だって……せっかく新作の卵焼きに挑戦したから味見して欲しかったんだもん」
 先輩は、肩を小さく萎め、人差し指を唇の端に当てて、上目遣いに見る。
 その可愛らしい仕草にオミオツケは思わず背筋が震えそうになるが何とか表情に出さず、クールを気取る。
「だからってこの量はないでしょう?卵焼き専門店の若きオーナーでも目指してるの?」
「そんな野心は抱いてないよ。それに知らない人に卵焼きを食べてもらいたいなんて思ったことないし」
 それは遠回しに食べてもらいたい人はもう決まっていると言っていることに彼女は気づいているのだろうか?
「なら、それこそ彼に批評してもらえばいいんじゃない?」
「それはダメ!」
 先輩は、語気を強めて言う。
「彼には完成した卵焼きを食べて美味しいって言って欲しいの!」
「そんじゃ私には未完成品の卵焼きを食べさせて不味いって言って欲しいってことかい?」
 オミオツケは、半目で言う。
「……まったく惚気やがって……」
「惚気てないよぉ」
「惚気でしょうが。好きな男の子に美味しい卵焼きを食べて欲しいなんて惚気以外のなんなのよ?」
 オミオツケが言うと先輩は真っ赤な顔をさらに真っ赤にして両手を組んでモジモジする。
 本当に可愛らしい。
「で……どお?」
「どおって?」
「卵焼き……美味しい?」
 まるで彼氏にでも聞くように上目遣いで聞いてくる。
 この可愛さ、ラノベの百合世界なら完全に虜の告白案件シチュエーションだ。
 オミオツケは、顔が熱くなるのを誤魔化すように「そうねえ」とクールぶりながら割り箸で卵焼きの一つを摘み口に運ぶ。
「それはチーズとめんたいを混ぜて挟んだものだよ」
 名前を聞いただけで美味しさが伝わるようなメニュー。未成年だから飲むことは出来ないが大人なら確実にアルコールが欲しくなることだろう。
 しかし……。
「甘い……」
 塩味しか与えないような具材のはずなのにとんでもなく甘い。お酒どころか水で洗い流したくなるほど甘い。
 オミオツケは、反射的に水筒に手を伸ばし、残り少なくなった麦茶で口の中を洗い流す。
「どおっ?」
「この世の全ての甘味のラスボスに出会った気分」
 オミオツケの独特の表現に先輩は首を傾げる。
「何をどうやったらめんたいチーズでこんなに甘くすることが出来るの?」
 めんたいチーズだけではない。
 納豆キムチ。
 葱チャーシュー。
 ひき肉入り焼きそば。
 どれもプロ顔負けの焼き加減と美しさ、そして十二単を纏っているのではないかと勘違いするほどに綺麗に巻かれ、食欲を唆る。しかし、食べた瞬間、甘味という名の海に崖から叩き落とされるのだ。
 もはや甘味の地雷とも言ってもいい。
 こんな見事なブービートラップ。初見で誰も逃げられるはずがない。
 そしてそんな罠を仕掛けた張本人はオミオツケの言葉に何故か嬉しそうに口角を釣り上げる。
「良かった。成功だ」
「どこが?」
 オミオツケは、冷めた目を大きく見開く。
「彼、甘い卵焼きが好きだから。どんな食材でも甘く出来るようにしないといけないから」
「だったら普通の卵焼きにしたら?」
「それじゃあ栄養が偏っちゃうよ。バランス良く食べないとダメだってレンレン君も言って……」
 レンレン君という名前が出た瞬間、オミオツケの目から光が消える。
「レンレン君と……話した?」
 しまった……。
 先輩の顔が一瞬で青ざめる。
 レンレン君とは二人の通う進学校の食堂で働く同級生であり、アレルギー等で食べる物に制限のある生徒にオリジナルメニューを提供する、学食の裏方、屋台骨ような人物であり……。
「私のレンレン君……と?」
 オミオツケの世界で最も愛する人であった。
 そしてレンレン君の話題で地雷NGワードを踏んだ瞬間、クールで知的な彼女は豹変する。
 憩いの場の空気が氷点下に落ちる。
 オミオツケの首が人形のように小刻みに震え、唇が裂けるように開き、光を失った目に暗く赤い炎が灯る。
 先輩は、思わず椅子ごと後ろに引き下がる。
「う……うんっごめん……どうしても新作のアイデアをもらいたくて……」
 先輩の身体が小刻みに震えながら謝る。
 切長の右目が恐怖に震える。
 しかし、オミオツケの耳に謝罪は届いてない。
 三日月のように開かれた彼女の口から漏れたのはただ一言。
「死刑」
 先輩は、声のない悲鳴を上げた。

「分かった?今度から会いに行く時は私に言って。一緒に行くから」
 いつものクールで知的な生徒会副会長に戻ったオミオツケが冷めた目に頬を膨らませて言う。
「はい……わかりました」
 先輩は、未だ震えの止まらない身体を抱きしめながらコクコクと頷く。
「まったく……」
 オミオツケは、小さく肩を竦め、自販機で買ってきたビター缶コーヒーを飲む。
「で?どうするの?」
「はいっ二度とレンレン君には近づきません」
「それはそうなんだけど、そうじゃなくって」
 オミオツケは、冷めた目をきつく細める。
 先輩は、顔を上げる。
「分かってる?私たち……あと数ヶ月で三年生だよ?」
「うんっそうだね」
 分かりきったことを言われ、先輩はきょとんっとする。
「来年にはもう本格的な受験だよ?あんたも大学行くんでしょ?」
「うんっ福祉系の大学に行くつもり」
「そうなんだ。何するの?」
「社会福祉士を目指そうと思って……児童相談所とか子どもに関わる仕事をしたいの……その……」
 先輩は、その先の言葉を言えなかった。
 オミオツケには大分、心を開くことが出来ている。しかし、自分の生い立ちについてまだ、しっかりと話す勇気を持てていなかった。
 オミオツケも何となくそれを察したのか?それ以上その話しを膨らませようとはしなかった。
「一年ないよ」
「えっ?」
 先輩の切長の目が大きく開く。
「進学を考えるなら来年の時間はほとんどが勉強に費やされる。それこそうちは進学校。学校にいても勉強、家でも勉強、自由な時間なんて僅かしかない。それを換算したらもう一年もないってこと」
 オミオツケは、コーヒーを啜る。
「彼と会える時間なんてほとんど無くなる」
 先輩の目が震える。
 オミオツケは、冷めた目を細め、華奢な身体をテーブルに乗せるようにのめり出し、先輩の肩に手を置く。
「ちゃんと自分の想いを伝えなさい。彼もきっと貴方の気持ち……分かってるから」
「そう……かな?」
 先輩は、自信なげに呟く。
「彼……私が言うのもアレだけどかなりの鈍感朴念仁なんだけど……」
「うんっそれは確かにそうね」
 オミオツケさんはうんうんっ頷く。
 先輩がこれだけ尽くしてるのに未だに恋愛のれの字にも発展しないのは先輩が奥手なだけでは決してない。
「でも、やらないと。動かざるもの食うべからずだよ」
 果たしてそのことわざの使い方は合っているのだろうか?そんな疑問を抱きながらも友達に応援され、気持ちが膨れ上がる。
 やってやろうと気力が溢れる。
「私……頑張る」
 先輩は、ぎゆっと両手を握る。
「よしっ頑張れ!」
 オミオツケも満足そうに頷く。
「それじゃあ早速、明日告白だぁ!」
「えっ明日?」
 途端に先輩は怯み出す。
「何言ってるの?思い立ったら吉日よ!すぐにうごかな……い……と……」
 オミオツケの声から力が抜けていく。
 声が震え、目が震え、表情が引き攣り出す。
 先輩は、オミオツケの唐突な変化に小首を傾げる。
「どうしたの?」
「……何でもない」
 オミオツケは、首を横に振る。しかし、その視線は先輩の背後に食い入るように向けられている。
「誰かいるの?」
 先輩が振り返ろうとするとオミオツケは慌てて「まって!」と叫ぶも時すでに遅し。
 先輩の切長の右目に静止画のようにその光景が飛び込んでくる。
 憩いの広場の奥にある大型衣料品店。
 男物の売り場でロングTシャツを広げている同じ進学校の制服を着た滑らかな黒髪に三白眼の少年。
 彼だ。
 先輩の心に温かいものが膨れ……冷たくなる。
「えっ?」
 先輩の口から声が漏れる。
 彼……とある場所では看取り人と呼ばれる少年は一人ではなかった。
 看取り人の隣には同じ年くらいのパーカーを着た女の子がいた。
 とても可愛らしいショートヘアの女の子。
 自分なんかよりも遥かに綺麗で優しい笑みを浮かべた……。
 彼女は、看取り人にとても親しげに笑いかけ、Tシャツを彼に当てて楽しんでいる。
 看取り人は、いつもと変わらない抑揚のない表情で女の子を見ながらも受け入れている。
 その姿は……まるで恋人同士のようであった。
 先輩の心の奥でパリンっと何かが割れる音がした。

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