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シロイルカの美容室(4)

「私たちは、人間の暦でいう2月から5月に掛けて交尾します」
 思わず頬が熱くなってしまうようなことをシロイルカは平然と言う。
「妊娠すると他の未成熟のメスを伴って群れから離れますが、じょじょに群れと合流して生活を始めます。そして大概はメス同士で行動を共にします。私もそうやって暮らしました」
 ナオは、目を見開き、口を丸く開ける。
「貴方、メスなの?」
 シロイルカは、何を驚かれているのか分からず首を傾げる。
「見たままですが」
 分からない!と思わず声を上げそうになるのを堪える。
「ちなみに子どもも3匹います。最近、会ってませんが元気でしてることでしょう。子どももいるかもしれませんね」
 しかも孫持ち?
 ナオは、驚き過ぎて言葉も出ない。
「じゃあ旦那さんは?」
 ナオの問いにシロイルカは、首を傾げる。
「人間の言う"旦那さん"とか"夫"という概念は私にはよく分かりません。しかし、交尾した相手、番つがいの相手を夫と呼ぶのなら彼ならいつも寄ってきては子どもに擦り寄ったり、蟹や海老を捕まえてきては食べさせたりしてくれます」
 蟹、海老という言葉にヤドカリがビクリっと身を震わす。
「子育ては一緒にしないの?」
「しますよ。みんなで」
「みんな?」
 ナオは、眉根を寄せる。
「そうです。子育てはみんなでします。授乳は流石に母親である私がしますが外敵から守ったり、餌場を確保したりは彼や群れでやります。群れのみんなで子どもを育てるのです」
 みんなで育てる・・・考えたこともなかった発想にナオは言葉が出ない。
「それに私たちは一緒に育んでくれるなら容姿など気にしません。もちろん個性も。そんなのは些細なことです」
 些細なこと・・・。
 ナオは、小さく、そして何度も呟いた。
「大切なのは子どもにどれだけ愛情を注げるかです。貴方の大切なこと人は同性としか交尾が出来ないと理由だけで子どもを愛さないのですか?殺してしまうのですか?」
 純朴な目でシロイルカは、ナオを見る。
 ああっそうか。
 彼女たちにとっての"相手"とは一緒に愛し、育まれるかなのだ。
 それ以外は全て些細なことなのだ。
 容姿が悪かろうが、多少荒っぽろうが、同性に興味があろうが関係ない。
 一緒に愛し、育むことが出来る。
 それが1番大切なのだ。
 なら、私は・・・。
 タケルは・・・。
 ナオは、お腹を触る。
「タケルは・・・この子を愛してくれる。愛してくれるはず・・・いや・・・」
 ナオは、顔を上げてシロイルカを見る。
「絶対に愛してくれる!」
 シロイルカは、にっこりと微笑む。
「なら、何の問題もない。貴方たちは真っ当な番つがいですよ」
 真っ当な番・・・。
 ちゃんとした夫婦・・・。
 ナオの目から今日何度かわからない涙が一筋流れる。
 水の中なのに確かな熱を持った涙が。
 ジョキン!
 ヤドカリの鋏が音を立てて髪を切る。
「さあ、終わりましたよ」
 シロイルカは、ヤドカリを離すと両方のヒレでナオの髪を撫でる。 
 じんっと染みるように温かい。
「本日はありがとうございました。またのご来店を楽しみにしております」
 水が輝き、ナオの視界を覆った。

 視界が開けるとナオは、観客席に座っていた。
 ナオは、首を左右に動かして辺りを確認するも照明が弱々しく灯っているだけで世界を埋め尽くすような水も、色鮮やかな魚も、テノールの声を持ったセイウチも、オカマ口調のシュモクザメも口の悪いヤドカリも、礼儀正しくも空気の読めないシロイルカの美容師もいなかった。
 ただ、涙が頬を伝った感触だけが残っていた。
 ナオは、ゆっくり立ち上がると赤いタータンチェックのショールでお腹を庇うようにしながらゆっくりと階段を降りて、ガラス張りのプールに近づいた。
 プールに近づくための門は施錠されており、プールの中にシロイルカは泳いでいなかった。
 ナオは、小さく肩を落とす。
 夢・・・か。
 当然だ。
 あれが夢以外の何があると言うのか。
 分かってる。分かっているけど・・・。
 ナオは、唇を震わせ、急に力が抜けてその場に座り込みそうになる。
「ナオ」
 何よりも優しい声がナオの名前を呼ぶ。
 ナオの心臓が大きく高鳴る。
 振り返るとそこにいたのは誰よりも大切な人だった。
 タケルは、息を切らしながらも安堵の表情を浮かべる。
 タケルは、飛ぶように階段を駆け降りると身につけていた紺色のジャケットを脱いでナオの肩にかける。
「寒くないか・・・」
 タケルは、優しく微笑む。
 ナオは、生で感じることのできないタケルの温もりをジャケットから感じ取りながら潤んだ目でタケルを見上げる。
「帰りが遅いから心配したんだぞ」
「・・・うんっごめん。でもどうしてここが?」
 ナオが訊くとタケルは少し困ったように頬を人差し指で掻く。
「いや、これが不思議な話しなんだけど・・・」

"用事"を済ませて自宅に戻り、料理をしてナオを待っていたけど一向に帰ってこない。スマホに電話してもSNSを送っても返信もない。
 何かあったのではないかと心配になっていたところに普段鳴ることのない自宅電話が鳴った。
 最悪の予感がし、手を震わせながら電話に出る。
「水族館にいきなさい」
 それは蠱惑的で艶かしい女性の声だった。
 明らかにナオではない。
「はい?」
 タケルは、思わず聞き返す。
「水族館に行きなさい」
 そして電話が切れた。
 タケルは、訝しみつつも何故か水族館に行かなければいけないという焦燥感に駆られ、万が一ナオが戻ってきた時のために置き手紙だけを置いて自宅を出た。
「なっ不思議だろ?しかも来てみたらナオがいるってこれってどう言うこと?」
 タケルは、訳が分からないと顔を顰めて腕を組む。
 ナオは、その声の主がドーナツショップで出会った占い師なのではないか、と思ったがそれをどう説明したら良いか分からず「さあ」と答えた。
「それにしても・・・」
 タケルは、ナオに向き直る。
 ナオは、今度こそ怒られると思った。
 案の定、タケルは怒ったように口をへの字に曲げる。
「美容院に行くなら朝言って欲しかったな。しかもこんなところに寄り道して」
「えっ?」
 ナオは、自分でも素っ頓狂だなと思えるような間の抜けた声を上げる。
「美容院?」
「ああっとてもよく似合っているよ」
 そう言ってタケルは、笑う。
 ナオは、自分の姿が見えるものを探し、ガラス張りのプールに自分の姿を映す。
 ざんばらに伸び放題だった髪が綺麗な丸みのあるボブショートになっている。触ってみると滑らかで光沢もある。
 そして微かに甘い塩の香り・・・海の香り。
 夢じゃ・・・なかった。
 ナオは、自分の髪を何度も触る。
 そして思い出す。
 シロイルカの言った言葉を。
"貴方たちはちゃんとした番つがいですよ"
 ナオは、肩に掛けられたタケルのジャケットを握る。
「タケル」
 ナオは、タケルと向き合う。
「どうした?」
 タケルもナオを見る。
 ナオの目から強い意志と決意を感じ、タケルも背筋を正す。
「わ・・・私ね・・・」
 決意したのに言葉が震える。
「妊娠したの」
 プールが静かに波打ち、ガラスに当たる。
 タケルの目が大きく見開く。
 ナオは、タケルのジャケットを握り俯く。
 小さな滴が地面に落ちる。
「・・・あの時・・か?」
 タケルは、ようやく声を絞り出す。
 ナオは、小さく頷く。
 タケルの顔を見るのが怖かった。
「いつ、分かったんだ・・・」
「ついこの間・・・生理が遅れてたからもしかしてと思って・・」
「今、何ヶ月目なんだ?」
「3ヶ月」
「悪阻とかは?」
「ある。まだそこまでひどくないけど、胃がムカムカする」
「ナオ・・・」
 タケルが呼びかける。
 顔を上げるのが怖かった。
 タケルの顔を見るのが怖かった。
「ナオ」
 タケルがもう一度ナオの名を呼ぶ。
 ナオは、キュッと唇を結び、顔を上げる。
 そして驚く。
 タケルは、泣いていた。
 歓喜を表情一杯に浮かべて泣いてきた。
「ナオ・・・」
 ナオの名を呼ぶタケルの声は震えていた。
 歓喜に震えていた。
「ありがとう」
 その言葉は、今まで言われたどんな言葉よりも温かくナオの身体に、心に染み込んでいった。
 抱きしめあいたい。
 2人は、心の底からそう思った。
 それが出来ない自分達がもどかしかった。
 しかし、それが出来なくてもお互いの心はしっかりと通じ合っている。
 何よりも温かく強いもので繋がり合っている。
 それだけで満足だった。
「一緒に育てよう」
 タケルは、優しく微笑んだ。
「うん」
 ナオは、顔いっぱいの涙と笑顔で力強く頷いた。
 遠くから管楽器のような鳴き声が聞こえた。
                    了

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