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ドレミファ・トランプ 第六話 私は貴方を利用する(2)
四葉が明璃に連れてこられたのは校舎裏の季節の花乱れる花壇の前だった。
「ここなら誰も来ないわね」
明璃は、満足そうに笑う。
「ここって何でか人が集まらないのよね。お花が贅沢に咲き乱れてるのに……」
不思議そうに明璃は、呟く。
「まあ、お陰で気兼ねなく話せそうだけど……ってどうしたの四葉?」
明璃は、自分の胸の中で抱きしめられた四葉を見る。
四葉は、茹で蛸にでもなったように顔中を赤く上気させ、目がクルクルを通り越してグルグル回ってる。
「マシュマロ……肉まん……雪だるま大福……」
熱に浮かされたようにフワフワな食べ物を念仏のように唱える。
明璃は、そんな四葉を怪訝そうに見つめながらようやく手を離して花壇のヘリに座らせる。
「ひょっとして苦しかった?」
明璃は、じいっと青い目を向ける。
「久々に四葉に会えたから嬉しくって……ごめんね」
明璃は、両手を合わせて謝る。
「う……うん……大丈夫……」
四葉は、未だ熱の冷めない顔とグルグルに目を回したまま言う。
「て……天上の柔らかさと甘露な香りに昇天しかけただけだから……むしろありがとう」
「なんで感謝?」
明璃は、怪訝に呟きながら四葉の隣に座る。
「いやーでもやっぱり会えたね」
「う……うんっ」
ようやく正気に戻りかけた四葉は明璃から漂う甘い香りにドギマギしながらも大きく頷く。
「私も……会いたかった」
四葉は、恥ずかしそうに明璃を見る。
「遠征に……言ってたんだよ……ね?」
「そう。昨日帰ってきたの」
明璃は、にっと笑う。
「韓国って近いって聞いてたのにエコノミーだとやっぱお尻痛くなる」
その時のことを思い出したようにスカートの上からお尻を摩る。
「飛行機乗り慣れてるって思ったんだけどね。次からはクッション持ってかないと……」
明璃は、文字通りに明るく笑いながら言い、四葉を見る。
「ごめんね。会うのが遅くなっちゃって」
「ううんっ。そんなこと……」
四葉は、首を横に振り、両方の人差し指を交差させる。
「私……入学式の日に馬場さんいるの気付いてはいたんだけど……」
「そうなのぉ?」
明璃は、驚いて目を丸くする。
「うんっ今日も……登校する時に姿見かけてた……」
「何よぉー声かけてよ!」
明璃は、大声で笑いながら関西のおばちゃんばりにバンバンッと四葉の肩を叩く。
筋力のない四葉はそれだけでトンカチで打たれたように曲がってしまう。
「う……うん。そう……なんだけどね……」
四葉は、よろけながら明璃の顔を見る。
「住む世界が違い過ぎて……」
四葉の言葉に明璃は青い目を丸くする。
四葉が明璃に声を掛けられなかった要因、それは四葉の気弱で引っ込み思案な性格からだけではなかった。
入学式の後、四葉は夜空のクラスを訪ねにいった。
彼に会うのと……明璃に会うためだ。
赤札小の手前、声を掛けるのは至難だけど夜空を通してなら顔を合わせて認識しあうくらいは出来ると思って……。
しかし、彼女はいなかった。
夜空の話しによると式が終わったと同時に早退したらしい。
四葉は、がっかりとしたと同時に少し安堵した。
人見知りの四葉にとって久しぶりの再会はそれだけ大きなイベントだった。
しかし、だからと言って会わないままでいられるはずがない。彼女との再会は四葉の大きな目的の一つなのだ。
四葉は、家で何十通りもの明璃と出会った時の想定を立て、鏡に向かって何度も何度も挨拶の練習をしてからオドオドと会いに行ったのだが……彼女はいなかった。
その代わりに入ってきたのが……。
"快挙!馬場明璃 全国ジュニアピアノコンクール優勝!"
日本でも名の知られた音大が主催するU18以下の歴史あるピアノコンテストで明璃が最年少で優勝したのだ。
数多くの世界的ピアニストを輩出したコンクールでの最年少優勝は瞬く間に日本中を賑わせた。
連日、テレビやネットで彼女の名前と顔を見ない日はなく、Me-tubeで配信された演奏は半日で10万再生を超えた。
その後も国内の小さなコンクールに出ては賞を総なめし、先日も韓国で行われた大会に出場して特別賞を受賞するなど忙しなく活躍し、この一ヶ月はまともに中学校に通えていなかった。
赤札小は、明璃の活躍を自分達のことのように自慢し、黒札小は歯軋りをしながらそれを聞いて、しかし何も言い返すことも出来ないまま睨んでいた。
当然、四葉の耳にも明璃の未曾有の活躍は届いていて、かつて再会を約束した少女があまりにも遠い世界に羽ばたいてしまったことに驚くと同時に自分への不甲斐なさを感じた。
紆余曲折を経て、周りに支えられながら少しずつ自分にも自信をつけて彼女と会えるように頑張ってきたのに、その相手は自分なんかじゃ到底及びもしない高く、遠いところに行ってしまった。
とても胸を張って会いにいくことなんて出来ない。
そう思っていたのに……。
「ば……馬場さん?」
四葉は、頬を赤らめて動揺の声を上げる。
「うふふっ四葉、柔らかくて気持ちいい」
明璃は、四葉の身体をぎゅうっと抱きしめて自分の頬と四葉の頬を合わせてスリスリし、髪の毛を優しく優しく撫でて、四葉の身体を堪能していた。
「こんな抱き枕あったらお年玉貢いで爆買いしちゃうぅ」
そう言って四葉の耳に自分の唇をそっと近づけ、吐息を吹きかける。
「あひゃあ!」
四葉は、背筋を震わせ、悲鳴を上げる。
「あ……あの馬場さん⁉︎」
「なあに?四葉?」
「私の話し……聞いてた?」
「うんっ。私に会いたかったんでしょ?私も会いたかったよ」
「そうじゃなくて……」
四葉が顔から火を吹きそうなくらい真っ赤にして言うと、明璃は、眉を顰めて「ああっ」と呟く。
「住む世界が違う……だっけ?」
明璃が言うと四葉は、ブンブンと首を縦に振る。
「高くて遠いところに行っちゃったからとても胸を張って会いに行けない……だっけ?」
四葉は、ブンブン首を縦に振り、表情が暗くなる。
「私……馬場さんにもう一度……会いたくて……自分を好きになろうって色々やって……でも上手に出来なくて……」
四葉は、俯き、指をモジモジさせる。
「こんな私じゃ……馬場さんになんてとても釣り合わないから……」
そう言ってオドオドと明璃を見る、と。
明璃は、四葉を抱きしめながら片手で器用にスマホを弄っていた。
四葉の脳裏にガーンッと漫画のような音が響いた。
「ねえねえ、四葉ぁ」
ショックで全思考が静止している四葉に明璃は明るく声を掛ける。
「これ、四葉でしょ?」
そう言って固まってる四葉の顔にスマホの画面を近づける。
その画面に映った動画を見て四葉は思わず小さく悲鳴を上げる。
そこに映っていたのは板張りの道場のような場所で長い髪を振り回しながら熱唱するスレンダーな少女が映っていた。
光沢のある長い黒髪、細い身体に黒いドレスを身に纏い、剥き出しの両腕と時折見える足には黒い炎の舌のよう刺青が描かれ、その顔は白地に赤い唇、そして目元を獣の爪で裂かれたような黒く大きな模様が縦に惹かれていた。
少女は、マイクを縦横無尽に振り回しながら深海のように深く惹き込まれるような歌声でロックを歌う。
髪をかき揚げ、黒く強いし眼差しで画面の向こうにいる誰かを圧倒するように睨み付け、赤い唇を艶やかに震わせる。
その姿はまさに深海の女王。
幻想の世界から現れた女王様は画面の向こうから現実の世界を侵略していた。
その動画のアカウントにはこう書かれていた。
"QueenClover"と。
四葉の表情が青く固まる。
その様子を明璃は、面白そうにニヤッと笑っ見ている。
「いやーっ凄いですねぇ」
明璃は、いやらしく目を細めて画面と四葉を見比べる。
「セクシー過ぎてとても同じ年には見えませんよ。女王様」
女王様……女王様……女王様……!
「いやぁぁぁぁ!」
四葉は、羞恥に絶叫する。