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ジャノメ食堂へようこそ!第4話 雲を喰む(9)

 そう言ってアケが差し出したもの。
 それは澄んだ出汁スープに浮かんだ白い雲であった。
 ぬりかべスプリガンの蛍のような目が、口が、顔が、全身が震える。
雲呑ワンタンです」
 アケは、小さく微笑む。
「冷めないうちにどうぞ」
 アケは、雲呑ワンタンをお盆ごと差し出す。
 ぬりかべスプリガンは、ほとんど反射的に受け取るとその場に音を上げて座り込む。
 雲だ。
 雲がここにある。
 目の前で美味そうに出汁スープの上に浮かんでる。
 ぬりかべスプリガンの蛍のような目から涙が流れ、清水のように岩の肌を伝わる。
 ぬりかべスプリガンの両手がそっと椀を包むように持ち上げる。
 大きな赤い口が開き、椀をゆっくりと迎え入れる。
 硬い唇と腕が触れ合い、雲呑ワンタンが口の中に流れていく。
 ニュルンッ。
 クニュンッ。
 ムニュンッ。
 感じたことのない食感が口の中に広がる。
 濃厚で芳醇な味が舌を包み、身体中に染み込んでいく。
「雲・・」
 ぬりかべスプリガンの口から熱い息と共に歓喜の声が溢れる。
「これが・・・雲・・」
 ぬりかべスプリガンの涙が椀の中に落ちる。
 これ以上ない至福が心を満たしていく。
「お気に召しましたか?」
 アケは、両手をお腹に当て、畏まって訊く。
「ああ・・」
 ぬりかべスプリガンの蛍のような目が生き生きと輝く。
「あんたのお陰で雲が食えた!」
「これは小麦粉を水で捏ねて伸ばした物に鳩の肉で作った餡を包んで出汁で煮込んだ物です。だからこれは雲ではありません」
 ぬりかべスプリガンの蛍のような目が細まる。
「恐らくこれを作った人も貴方と同じように雲を食べたいと願って考えたんだと思います。雲呑雲を飲むと願いを込めて」
 アケは、きゅっと両手を握る。
「これが私に出来る精一杯の雲作りです」
 アケは、すっと頭を下げる。
「騙してしまい申し訳ありません。もし、気に入らなかったら・・」
「最高だよ!」
 ひび割れたぬりかべスプリガンの顔に笑みが浮かぶ。
 穏やかで、安らいだ、至福の笑みが。
「こいつが何で出来てるか、どんな思いで作られたかなんて関係ない」
 ぬりかべスプリガンは、愛しい人を想いを馳せるように鍋の中に浮かぶ雲呑ワンタンを見る。
「こいつは雲だ!誰がなんと言おうと雲だ。おいらは・・雲をを喰ったんだ!」
 ぬりかべスプリガンは、口の中に雲呑ワンタンを流し込む。
 ニュルンッ、クニュンッ、ムニュンッと流れこむ。
 大きな赤い口から至福の息が漏れる。
「美味え・・」
 ピシッ
 ぬりかべスプリガンの身体から小さな音が響く。
 顔に、肩に、胸に、全身に大きな亀裂が走る。
 アケの蛇の目が震える。
「寿命だよ」
 ぬりかべスプリガンは、亀裂の走った顔に笑みを浮かべる。岩が割れ、砂利となって崩れていく。
「最後の日が近づいてるのは何となく分かってたんだ」
 肩が落ちる。
 地面に落ちて音なく崩れ落ちる。
 ウグイスは、口に手を当てる。
「だから最後に雲を食べたい・・そう思ってあんたの食堂に行った。一縷の望みをかけて」
 胡座を組んだ足が音を立てて弾け、砂利と化していく。
 アズキは、震えるアケの隣に寄り添い、鼻を擦り付ける。
「結局、無理そうだからせめて雲を見ながら最後を迎えようと思ってたんだけどよぉ」
 ぬりかべスプリガンは、顔を上げて月明かりに照らされた朧のような雲を見る。
 首が、胸が、腹が崖のように崩れていく。
 オモチは、表情こそ変わらないが赤目を逸らさずぬりかべスプリガンを見る。
 ぬりかべスプリガンは、顔を下す。
 アケを見てにっこりと微笑む。
「ありがとうよ」
 ぬりかべスプリガンの言葉にアケの蛇の目が大きく開き、涙が一筋流れる。
「お陰でおいらの命は悔いなく巡ることが出来る」
 ぬりかべスプリガンの全身が崩れ、砂利の山となる。
「礼は置いていくから受け取ってくれ。役に立つぜ」
 そう言って崩れかけた指で自分の目を差す。
 アケは、涙が止まらない。
 何かを言いたいが言葉が出ない。
「いやあ」
 ぬりかべスプリガンは、大きく至福の息を吐く。
「最高の飯だったぜ」
 ぬりかべスプリガンの身体は完全に崩れ去る。
 大きな砂利山と化した彼の身体は月に照らされ、星のような煌めきを放つ。
 そのてっぺんには彼の目であった蛍の光のように輝く2つの石が祀られるように鎮座していた。
「・・・お粗末様でした」
 アケは、声を震わせ、両手を合わせる。
「またのお越しを・・お待ちしております」
 アケは、蛇の目を閉じて鎮魂と、彼の命が猫の額を巡ってまた戻ってくることをの心から願った。

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