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冷たい男 第8話 冷たい少年(2)

 彼は冷たい少年と呼ばれていた。
 彼が町の高校に入った時はちょっとした大騒ぎであった。普通の人よりも体温が低く、触れたものを凍らせてしまう少年の噂は聞いてはいたものの学区が違うと出会うことはまずないし、小さな町ではあるが進学校でもある高校には違う街からの生徒も通うことになっていた。特に先生達はほとんどが街から来ていたので警戒は強さは新入生にも分かるほどだった。
 しかし、その警戒も1ヶ月で解けた。
 その理由は・・・。

 グラウンドに笑い声が響く。
 気持ちの良い破裂音と共にボールがミットの中に収まる。
 ボールを受け止めたふっくらと太った男子学生は足の先から身体を震わせる。
「つっめた!」
 太った学生は大袈裟に飛び跳ねる。
 ミットに収まったボールの表面が氷のように冷たく、ミット越しにも伝わってくる。
 そんな学生の姿を近くにいる学生達も笑い、冷たい少年も笑っていた。
「やっばあいつの冷却投法は最強だな!」
 角刈りの学生が両手と両足の平をバンバンぶつけて大爆笑する。
「いやいや、キャッチャーにダメージ与えてたらだめだろ」
 その隣に座る背の低い学生も腹を押さえて笑う。
「そこまで笑わなくていいだろ」
 さすがの冷たい少年も恥ずかしくなって顔を赤らめる。
 高校に入学して3年の年月が流れた。
 その結果はまさに今の通り。
 入学して1ヶ月で彼の誠実さ、謙虚さ、そして人柄は知れ渡り、直ぐに警戒は解かれた。また、体温が低いことも触れたものを凍らせてしまうこともしっかりと対策すれば問題ないことも分かると抵抗する理由は無くなり、放課後にふざけ合うような友達も出来た。
 散々、キャッチャボールで大騒ぎをし、冷たい少年は家から持参した熱々の麦茶を入れた水筒を飲む。
「ところで皆、もう進路は決めたのか?」
 角刈りの学生がコッペパンを齧りながら言う。家から持参した昼食を食べたのに足りないからと購買で買ってきたのだ。
「俺は実家の店継ぐ為に調理の専門学校だよ」
 背の低い学生は言う。
「俺は医療系の大学だよ」
 太った学生が言う。
「お前は?」
 角刈りの学生は冷たい少年を見る。
 冷たい少年は、水筒から口を離し、空を見ながら頬を掻く。
「まだ、まだ考え中」
「へえ、意外」
 背の低い学生が驚いて目を開く。
「お前、真面目だからとっくに考えてると思ったよ」
「俺も」
 太った学生も同意する。
「お前、頭いいんだから当然、街の大学に行くもんだと思ったよ」
「・・・買い被りすぎだよ」
 冷たい少年は、困って苦笑いを浮かべる。
 角刈りの学生は右の拳で左の手の平を叩く。
「分かったぞ!お前の進路!」
「へっ?」
「ずばり!彼女と結婚!」
 角刈りの学生の言葉に太った学生も背の低い学生も「おぉーっ」と甲高い声を上げる。
「みっみんな何言って・・・!」
 冷たい少年が童謡の声を上げる。
「いやー寿卒業かあ」
「でも、ちゃんと就職か進学はしろよー。ヒモは駄目だぞぉ」
 からかい半分、真剣半分に友人達は言い合う。
 冷たい少年は、どう反応したら良いかも分からず頬を赤く染めて狼狽える。
 冷たい少年と3人の前に影が落ちる。
「学舎の前で何を馬鹿騒ぎしている?」
 その声に冷たい少年を除いた3人の顔に緊張が走る。
 冷たい少年が顔を上げるとそこに立っていたのは細いフレームの眼鏡を掛けた色白の男であった。
 短く切った黒髪を後ろに掻き上げて形の良い額を浮き彫りにしている。背は高いが身体つきは細い。剥き出しになった白い肌と細い顎、眼鏡のせいで抽象的なイメージが突出し、制服を着ていなかったらとても同級生には見えなかった。
「やあ、副会長」
 冷たい男は、にっこりと微笑んで手を上げる。
「やあ、じゃない」
 副会長と呼ばれた男は笑みの一つも浮かべずに眼鏡のフレームだけを持ち上げる。
 彼は、この高校の生徒会の副会長であり、風紀委員であり、そして冷たい少年のクラスメイトの1人だ。
「部活動していない生徒は帰宅するよう言われているはずだが?こんな所で何している」
 副会長の眼鏡の奥がぎらりと鈍く光る。
 3人は、まさに蛇に睨まれた蛙と言わんばかりに身を縮める。
「キャッチボールだよ」
 冷たい少年は、臆せず、と言うかいつも通りに答える。
「皆、進路のことで疲れているからストレス解消」
「・・・そうか」
 副会長は、冷たい少年の言葉に納得したのか、眼鏡に触れていた手を下ろす。
「副会長こそ何してるの?」
「俺は、無駄に居残っている学生がいないかをチェックしている。終われば帰るさ」
「そうなんだ」
 冷たい少年も納得する。しかし、次に副会長が告げた言葉に口を丸くして驚く。
「先生がお前を探していた」
 その声はさっきまでと違い少し不機嫌だった。
「時間があるなら職員室に顔を出すようにとのことだ。それが無理なら明日でもいいそうだ」
「・・・これから行くよ。明日は学童のバイトがあるんだ」
「届出は出してるんだろうな?」
「一年の時から了承得てるよ。むしろ社会奉仕としても認められている」
「それならいい。先生をあまり待たせるなよ」
 そう言って踵を返して去っていく。
 副会長が背中が見えなくなると3人はようやく呼吸をする。
「びびったあ」
「何なんだあのオーラ?」
「本当に同級生か?」
 3人は、口々に言ってから冷たい少年を見る。
「お前、よく普通にしていられるなあ?」
 背の低い学生が感心したように言う。
 冷たい少年は、意味が分からずに首を傾げる。
「だってとても同級生じゃないだろあの雰囲気!」
「1番口うるさい先生だってもう少し柔らかいぜ」
 太った学生が身を震わせる。
 そんな友達の様子が可笑しくて冷たい少年は笑う。
「まあ、副会長に慣れるくらいだから真面目なだけだろ?」
「でも、前の生徒会長は優しかったぜ。それに凄え美人だった」
 角刈りの学生が言う。
 前の生徒会長のことは冷たい少年もよく知っている。小学校の1学年先輩で今も交流がある。才色兼備を絵に描いたような人でちょっと変わった特技と普通ではあり得ないトラブルを巻き起こす。
「あいつが副会長のままなのも生徒会長を敬ってって聞いてるぜ」
「でも、実質、今の生徒会長よりも権限があるんだろ?」
「ナンバー2が政権を取り仕切るっていう典型だな」
 3人は、井戸端会議でもするように話す。
 冷たい少年は、そんな3人に少し呆れてしまう。
「とりあえず先生のところに行ってくる」
 ゆっくりと立ち上がって砂と氷を叩く。長く座っていたから少し氷ついてしまった。座っていた場所も薄い氷の膜が張っている。学生服はやはり生地が薄い。
「おうっじゃあ、また明日な」
「また、明日」
 そう言って4人は別れた。
 冷たい少年は、小さくため息を吐く。
 それから担任に会うのは気が重い。
 呼ばれた理由は何となく分かっていたから。
 それは冷たい少年の進路についてだった。

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