
ドレミファ・トランプ 第八話 理不尽な対立(4)
………………………はっ?
大愛の脳が一瞬であらゆる思考の電気を遮断する。
そして解放された週間、落雷のような電流が脳を通り越して全身を駆け巡る。
「はっ……はっ……はあっ⁉︎」
大愛の絶叫が迸る。
そのあまりの声量に周りの人が振り返り、心は耳を塞ぐ。
「ここ街中だよ。迷惑甚だしい」
「い……いやっあんたが変なこと言うからでしょ!」
「変なことって事実じゃん」
「いや、だから何が事実なのよ!」
大愛は、顔を溶岩のように真っ赤にして叫ぶ。
「あんなエロガキのことなんて好きじゃないんだからね!」
「うわぁテンプレのようなツンデレ。ラブコメもびっくりだ」
心は、無感情に、いや、少し冷めた目で言う。
「なっなっなっ何を根拠にそんなことを⁉︎」
「四葉に嫉妬してるでしょ?」
「えっ……?」
「事あるごとに四葉が夜空に甘えたり、縋ったり、庇われたりする度に嫉妬が胸の中で騒ぎまくるでしょ?」
大愛は、頭の中が古い洗濯機のように渦巻いていくのを感じた。様々な思考や感情が掻き混ぜられて自分でも何を考えてるか分からない。
「そっそっそっそんなこと……」
「ないんだからねってツンしてもバレバレだから」
心は、無感情に言う。
その抑揚のない声が逆に大愛の胸を掻き乱す。
「まあ、それが恋なのか?近しい異性としての過剰反応なのかは自分でも分かんないんだろうけど程々にね。恋愛禁止じゃないけど部員同士で何か起きると気まずいから」
「……何も起きないよ」
大愛は、ぼそっと呟く。
心は、一瞬、大きく目を開く。
「何か起きる訳……ないじゃん」
そう言って大愛は、空っぽの袖を見る。
急激に脳が冷え込んでいく。
「こんな私を……好きになってくれる人なんている訳ないじゃん」
そう言って大愛は自虐的に笑う。
悲しげに。
「友達として……いてくれるだけで私は十分満足だよ」
心は、無感情な表情のまま目をきつく細めて大愛を見る。そして……。
「……魅力的だよ」
小さく呟く。
「えっ?」
「僕ってさ。見て分かるように感情が枯れてるんだ。後天的じゃなく先天的に。サイコパスって奴かもしれない。そんな僕でも君はとても魅力的に見えるよ。人間としても……女性としても」
大愛の目が大きく震える。
「もっと自信を持っていい。君は十分に魅力的な女の子だよ。見た目なんて気にしなくていい。僕に比べれば遥かにまともだから」
「……?それはどう言う……」
大愛は、聞き返す……が。
「随分と脱線したね」
心は、ふうっと息を吐く。
「夜空はね。後悔してるんだ」
「後悔?」
大愛は、首を傾げる。
「明璃って子を守れなかったことを」
大愛の目が大きく見開く。
「夜空はね。ずっと後悔してるんだ」
心は、夕暮れの空を見上げる。
「明璃って子を守れなかったこと。四葉の次に近くにいたのに。彼女の気持ちにも気付かず、生徒達からも自分は守ることが出来なかったって」
大愛の脳裏に先日の四葉の過去話が蘇る。
「そんなことないでしょ?」
大愛は、小さい声で言う。
「櫻井は、ちゃんとルビーちゃんを守ってくれてたよ」
四葉の話しからだから想像でしかない。
しかし、短い時間だが夜空という男の子を大愛は理解したつもりだ。その彼が守ると誓った相手を守らないはずがない。
だからこそ明璃は、彼を騎士様と呼んでいたのだ。
「僕もそう思う」
心は、視線を下す。
「でも、夜空はそうは思ってない。もっと上手く立ち回れたんじゃないか?最良の方法があったんじゃないか?いつもそう考えてる。今回もそう。どうやったら四葉を……みんなを守れるか考えてる。だから直ぐに動けないんだ」
心は、無表情に大愛に目を向ける。
「まったく馬鹿が一人で悩んだってしょうがないのにね」
「言い方……」
大愛は、ムッと頬を膨らませる。
「でも、動かなかったのは正解だよ。あの時、動いてたら四葉が大変なことになってた」
心の言葉の意味が分からず大愛は眉を顰める。
「僕が車に撥ねられた話ししたよね。二回も」
大愛は、頷く。
「どっちも軽傷ですんだんだけどね。だけどそれを聞いた四葉がとんでもなく動揺して……僕がいなくなるかもしれないって思って怖かったんだって」
「……他人事ね」
「まあね。さっきも言ったけど僕、感情が乏しいから恐怖って気持ちも欠けてるんだ。だから撥ねられた時も怖いと思わなかった。でも……」
心の目が小さく揺れる。
大声で泣いて自分にしがみつく幼い四葉の姿が脳裏に浮かぶ。
「あんな四葉は……二度と見たくない」
心は、目をきゅっと細める。
「だから、四葉の心を守る意味でもあの行動は最良だったと思うよ。君には凄く過保護に見えたと思うけど」
「その通りね」
大愛は、頷く。
「凄く腹正しかったわ」
ふんっと肩を竦める。
「四葉さんは……そんな弱い人じゃないのに」
大愛の言葉に心は目を向ける。
「確かに彼女は臆病よ。でも芯は強い人。例え強い恐怖に襲われても目的と夢を見失うことはないわ。彼女は……女王様なんだから」
心は、目を大きく見開く。
「全言撤回するね」
「?」
「君は、やっぱり天才だ」
大愛は、眉を顰める。
「どう言う意味」
「そういう意味」
心は、興味を無くしたように前を向く。
大愛は、肩を竦める、と。
「あっ」
大愛の前に二階建ての大きな家が見えた。
大愛の家だ。
話しているうちにいつの間にか家まで帰ってきていた。
「ここが君の家?」
心は、無関心に家を見る。
「大きいね。お金持ちなの?」
「パパの方のおじいちゃんが小さな会社を経営してるの。この家は結婚祝いにもらったんだって。元々は倉庫だったところを建て直したって聞いた」
「へえ」
心は、興味なさそうに言うと踵を返す。
「じゃあ、僕帰るから」
そう言って手も振らずに帰っていこうとする。
「待って」
大愛は、心の背中に声をかける。
「なに?」
心は、興味なさげに振り返る。
「ひょっとして……送ってくれたの?」
話しに夢中になって家まで辿り着いたのに気付かなかった大愛に対し、彼は着いたことに気付いていた。それに彼の家は大きな道路を渡った先にあるのだ。間違えるはずがない。
それはつまり……。
「そんなんじゃない」
心は、無関心に言う。
「帰り道に君が馬鹿達に襲われたら四葉がそれこそ立ち直れなくなるかもしれないからね。それに夜空ほどじゃないけど僕も多少は強いから」
大愛は、驚いて目を大きく見開き……小さく笑った。
「ありがとう。心」
「別に」
心は、つまらなそうな呟き、前を向く。
「道路、気をつけてね」
「慣れてるから平気」
「二回も撥ねられた人が言っても説得力ないよ。まあ、私もだけど……」
大愛は、苦笑して空っぽの袖を見る。
「私が車に撥ねられたのもこんな時間だったらしいから」
大愛の言葉に心は振り返る。
「えっ?」
心の目が震える。
「君が撥ねられたのも……この近くなの?」
「うんっ私は覚えてないんだけど……車に撥ねられそうになった女の子を助けようとして巻き込まれたんだって」
大愛の顔に翳りが差す。
「それで両腕がなくなっちゃったんだ」
心の目が大きく見開く。
「女の子……?」
「うんっ」
「その子は?」
「分からない」
大愛は、首を横に振る。
「無事だったって聞いたけどそれ以上のことは。でも、その子が無事だったなら両腕を失ったことも意味なくはなかったかなって……今になって思うわ」
そう言って大愛は笑う。
嬉しそうに、切なそうに、そして悲しそうに。
「……そうっ」
心は、短く呟いて今度こそ前を向く。
「それじゃあ」
「うんっありがとう」
大愛は、手を振る代わりに笑みを浮かべる。
「今日はありがとう。明日、みんなで一緒に考えようね」
「うんっ」
心は、まっすぐ歩いていく。
大愛は、心の背中が見えなくなるまで見送ってから家に入った。
「ただいま」
「お帰りなさい。大愛ちゃん」
大きな段ボールを抱えた母親がにっこりと微笑んで大愛を迎える。
「お帰り大愛」
父親は、母親が持ってるダンポールと同じ物を二つ積み上げて抱えている。かなり重いのか腰を屈め、膝を震わせている。
「何してるの?パパ?ママ?」
大愛は、怪訝な表情を浮かべて二人を見る。
「地下倉庫の整理よ」
母親は、にこっと笑って答える。
姉妹みたいと噂された母親の顔は大愛にとても似ており、皺も少なく、スタイルも維持しているので実年齢よりも遥かに若く見える。嘘か真か十代の頃はモデルのスカウトもされたこともあるらしい。対する父親はもう立派なおじさんで髪こそ薄くならないが年々お腹が出てきている。
両親の笑顔を見ていると心がほっとするのを感じる。
つい一年前まで二人はずっと憔悴し、涙で目を腫らしていたから……。
それを思うと夜空の四葉の笑顔を守り、明璃を守りたかったと言う気持ちはとても良く分かる。
大愛は、胸に込みあげてきた想いを飲み込み、言葉を続ける。
「倉庫の整理?」
心に話したように大愛の家は元々会社の倉庫で建物こそ壊して自宅に建て直したが地下には広い収納スペースがそのままになっており、仕事で使っていた備品や古い品物が残っている。
「お義父さん……おじいさんがね。事業拡大でオフィスを新たに借りたのよ」
母親は、段ボールを床の上に置く。
「そこが結構広いらしくてね。ずっと地下に置きっぱなしだった物品をそっちに移すことになったの」
「それが……その荷物?」
「いや、もう荷物は午前中に移したよ」
子鹿のように足をプルプル震わせながら父親は言う。
「これは我が家の物品だよ。災害用の非常食だったり、捨てるに捨てれなかった古い洋服とかだよ」
なるほど。確かに良く見ると段ポールに洋服とかペットボトルとか缶詰とか書いてある。
「ねえねえ見て大愛ちゃん!」
母親は、洋服と書かれた段ポールを開けて中身を取り出す。
それはピンクのフリフリが付いたまさにプリンセスと言わんばかりのドレスだ。
「これは大愛ちゃんが四歳の時にテーマパークに行くのに買ったものよ。貴方、これ着なきゃ行かないってゴネて高かったけど買ったのよ」
「へっ……へえっ」
なんとなく覚えているが母親にデレデレの顔で言われると凄く恥ずかしい。
まるで黒歴史の蓋を開けられるような……。
「これなんかなぁ!」
いつの間にか父親も荷物を下ろして段ボールを開く。
「幼稚園の時にパパに書いてくれたラブレターだぞ。大きくなったらパパと結婚するって。覚えてるか?」
満面の笑みを浮かべて大愛を見てくる父親。
「う……うんっ覚えてるよ」
覚えてるか……そんな黒歴史。
「でもさ……地下倉庫って結構広かったよね?うちの荷物くらいじゃスカスカじゃない?」
もう何年も入ってないがかなりの広さだったのは覚えてる。小さい頃は秘密基地とか言って明璃とよく遊んで母親に怒られたものだ。
「そうね。荷物を入れても角を埋めるくらいね」
母親は、両手を組んで頷く。
「リフォームしてダンスホールにでもする?」
「ダンスなんてしないだろ?」
父親は、呆れたように肩を竦める。
「だったらカラオケでも入れる?せっかくの防音だし、古いけどエアコンも付いてるしね。ついでにミニバーも付けて……」
「そんなお金ないでしょ?僕は普通のサラリーマン」
そんな大人の会話を大愛は冷めた目で見ながら靴を脱ぎ、家に上がる。
お腹空いたなぁ。
今日のご飯なにかな?
そんなことを考えながら大愛は自室に行こうとして足を止める。
パァンっと頭の中でLEDライトが輝く。
「パパ!ママ!」
大愛の弾けるような声に両親は驚いて振り返る。
「お願いがあるの!」