平坂のカフェ 第4部 冬は雪(9)
それから私は美術部に入った。
当然、美術部の顧問も部員たちも私が来たことにとても驚いていた。
大分、クラスには溶け込むことが出来たものの、今だに私は腫れ物だ。無理もない。
しかし、だからと言って私を追い出すことも出来ない。
顧問は、私をキャンパスの前に座らせ、入部試験だといって好きに絵を描くように言った。
そんな事を言われても私には一つしか書くことが出来ない。
私は、色鉛筆を使ってキャンパス一杯に青空を描いた。
スケッチブックよりも遥かに大きなキャンパスを空で埋め尽くすのは清々しいほどに気持ちよかった。
顧問は、完成した空の絵を見て、何も言わなかった。
何も言わずににじっと、じっと絵を見続けた。
部員たちも食い入るように絵を見た。
「・・・明日から来なさい」
顧問は、ぼそっとした声で言い、私の入部を認めた。
それからというもの・・・私は絵にのめり込んだ。
何枚描いても描いても鉛筆が止まることがなかった。
最初は、空ばかり描いていけど、顧問から「視野をもっと下にしてみなさい。君の足元には何があるかな?」と諭された。
それでまずは足元の小石を描いた。
小さい小さい小石を。
形よりもその僅かな暗い陰影を現すのが非常に難しかった。
次に書いたのは草だ。
校庭のどこにでも生えている先の尖った踏まれても誰にも気づかれない雑草を。
葉の表面にある僅かに折れた線、茶色く変色しつつも艶やかな黄緑、そして力強い根を表現するのに指が痛くなった。
次に書いたのは木。
形自体の表現は出来た。
色合いも悪くないはず。
なのにダメだった。
木から感じる力強さ・・・夏の艶やかな月の光を浴びて躍動する生命力を表現することが出来なかった。
無理もない。
私自身がその生命力というものが理解出来ていなかったのだから。
何度も何度も失敗した。
クラスメイトも部員たちも「全然いいと思うよ」と言ってくれた。
しかし、顧問は何も言わなかった。
ただじっと見るだけだった。
そして彼も・・・優しい笑みを浮かべる・・それだけだった。
私は描いた。
必死に必死に描いた。
木を削るように、斧で打ち付けるように凝視し、その奥にある生命力を読み取ろうとした。
その内面から溢れる水が湧き出るような生命力、幹の節々から溢れる淡い光を表現したかった。
そして1ヶ月後、私は木の絵を描き上げた。
沁みるような月明かりの中、互いに寄り添うように生えている2本の木の姿を。
顧問は、じっと2本の木の絵を見た。
そして私の方を見てカラー刷りのプリントを渡してくる。
それは県の10代対象の県の美術コンクールの申込書だ。
「優勝は無理だと思うけどな」
それだけ言うと顧問は手続きしとくぞ、と言って去っていった。
その冬、私の2本の木の絵は確かに優勝を取ることは出来なかったが、奨励賞を獲得した。初の申込で賞を取るのは異例とのことだった。
部員もクラスメイトも担任も胴上げさせるかのように喜んだ。
顧問は、何も言わずに大きく頷いた。
両親は、ハンカチが絞れるほどに泣いた。
そして彼は太陽のように輝く笑みを浮かべて祝福してくれた。
初めて、心の中に何か熱いものが流れた気がした。
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