冷たい男 第8話 冷たい少年(10)
「私を綺麗にして欲しいの」
ベッドを背もたれを高くして横たわる担任は、悲しい程に優しい笑みを浮かべて言った。
救急外来で一通りの検査結果を聞き、問題なしと診断を受けた冷たい少年と少女、そして副会長は担任が入居するホスピスへと向かった。
ホスピスの中は白く清潔で無駄なものがなく、そして静かであった。
それはこの建物に入居する方々への最大限の配慮であり、最大限の礼節であり、そして最大限の慰めでもあった。
これから静かに苦痛なく旅立つ方々の為の。
たった半日会わなかっただけなのに担任の顔はホスピスの壁よりも白く、透けており、青い血管がうっすらと浮き出ていた。化粧を落としたからなのか、それとも現在、ベッドで横たわる母親の胸に顔を埋めて眠る娘を心配するあまりに青白くなってしまったのかまでは分からなかった。
ただ、目の前の人がもう直ぐ旅立ってしまうのだ、と言うことだけは漠然と感じられた。冷たい少年は、胸の奥から込み上げてきそうなモノを飲み込む。隣に立つ少女は、涙こそ流さないが、目を赤くして必死に堪えていた。
「私ね。勝手な母親なの」
担任は、自分の胸の上で眠る娘を愛おしそうに撫でた。
「この娘にね。衰えて醜くなっていく自分の姿を見せたくなかったの」
担任は、そっとそっと娘を優しく撫でる。
「醜くなんて・・」
少女が声を震わせて言う。
担任は、小さく微笑む。
「ありがとう。弟もそう言ってくれた。でもね。納得出来なかったの。女の下らない意地を張ってしまったの。それがこの娘を悲しませることになるって分かりきっていたはずなのに」
担任は、下唇を噛む。
「この娘を助けてくれてありがとう。本当に本当に感謝してます。ありがとうございます」
担任は、涙しながら冷たい少年に感謝の言葉を述べ、頭を下げる。
冷たい少年は、慌ててそれを制しようとする。
「顔を上げてください。俺は大したことなんてしてません。感謝なら弟さんに」
「助けてくれたのはお前だよ」
ずっと黙っていた副会長が後ろから冷たい少年の肩を叩く。
「俺は何も出来なかった。本当に感謝してる」
副会長も頭を下げる。
「それを承知の上でお願いしたい。姉の願いを叶えてやってくれ」
冷たい少年は、担任の方を向く。
担任は、優しく女の子を撫でる。
「私・・・明日から自宅に戻るの。そしてこの娘と夫と最後の時を過ごすわ」
最後の時・・・冷たい少年の胸にその言葉が深く突き刺さる。
「もちろん、学校にも行けるだけ行くつもりよ。でも、最後の最後はこの娘と一緒に過ごす。蝋燭が溶けて欠片になるまで精一杯生きるつもりよ」
冷たい少年の目から無意識に涙が溢れた。
流れた涙が頬の上で凍りつく。
少女もその後ろで泣いていた。声を抑えて泣いていた。
「この娘の思い出に醜い私の姿を見せたくない。だから化粧もするし、自分で出来ることはしていく。でも、本当の本当の最後の時・・・私にはそれが出来ない」
担任は、顔を上げて冷たい少年を見る。
「貴方へのお願いはね。私が死んだ後に綺麗にして欲しいの。身体が灰になるその瞬間まで、娘の記憶の中で私が綺麗な姿でいられるように。娘の悲しい記憶にならないように。貴方のその力で・・・」
冷たい少年は、手袋に包まれた両手を見る。
「俺の・・・力?」
ただ冷たいだけの俺の力で?
凍らせることぐらいし出来ない、人を冷たくすることしか出来ない俺の力で?
担任は、頷く。
「それは貴方にしか出来ない、貴方だけの力よ。貴方には素晴らしい可能性があるの。自分を信じて。自分の道を閉ざさないで」
最後の言葉はお願いではないことは直ぐに分かった。
この人は教師なのだ。
母親であり、そして教師なのだ。
娘を思いながらも最後まで生徒を導こうとしている。
担任は、優しく微笑んで冷たい少年を見る。
冷たい少年は、小さく頷いた。
「俺に出来ることなら・・・」
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