エガオが笑う時 第10話 一緒に帰ろう(4)
カゲロウの手から離れると私は大鉈を握り立ち上がる。
もう2度と立てないのではないかと思っていた身体に力が入る。
心の奥の奥から湧き上がってくる。
私は、スーちゃんと戦っているマナを見る。
マナの中を這いずり回る醜いヌエの顔をした無数の魔印を睨みつけながら戦略を組み立てる。
私は、半月に抉れた大鉈をじっと見る。
そして青白い炎に囲まれた空間を見回す。
これじゃあ・・・ダメだ。
私は、大鉈を逆さにして、刃を石畳に突き刺す。
「カゲロウ・・・」
「どうした?」
「鎧を脱ぐのを手伝ってください」
左手だけでは全てを外せない。
カゲロウは、一瞬驚いて顎に皺を寄せるがすぐに何かを察して小さく頷く。
カゲロウの手が肩当ての留め金と脇に付いた鎧の留め金を外す。
鎧と肩当ては、積まれた石が崩れるように石畳の上に落ちる。
私は動かない右腕の籠手を左手で外し、左の籠手を口を使って外した。
白いドレスだけの姿になった私の身体に青白い炎に炙られた空気が直に当たる。
身体が軽い。
締め付けられていた細胞が呼吸する。
身体の大きさが変わる度に新調していたのでまだ使って一年程だったと思うが鎧の表面は私が思っていたよりもボロボロだった。
私は、大鉈を見る。
マナの熱線によって半壊した大鉈。
鎧とは違いもう何年使ったかすら覚えていない身体の一部。
私は、大鉈の柄をそっと撫でる。
「・・・ごめんね」
私は、小さく、そして心から謝ると、半壊し、ひび割れた大鉈の刃を思い切り蹴りつけた。
戦乙女のレリーフを押さえた楔が音を立てて折れ、瓦礫のように剥がれ落ちる。
私は、心が痛むのを感じながらも刃を蹴り続ける。
ひび割れた刃に亀裂が走り、割れた鏡のように破片を飛び散らせ、折れ、潰れ、そして砕けていく。
そして大鉈だったものは僅かに尖った刃だけを残した棒切れへと変貌した。
私は、散らばった刃の破片、散らばった鎧を黙視する。
準備は整った。
青白い炎が視界を焼く。
マナの放った熱線がシャワーのように拡散してスーちゃんの身体を殴りつけるように焼く。
スーちゃん身体から黒い煙が上がり、赤く焼けただれた皮膚と多量の血が石畳を染める。
マナは、和やかな笑みを浮かべてスーちゃんを見つめる。
その小さな身体には多少の傷はあるものの5体満足だ。
「そろそろ死ぬ?」
いつもと変わらない可愛らしい声で冷酷に言う。
スーちゃんは、焼けただれた身体を震わせながらもその闘争心は落ちることなくマナを睨みつける。
「スーちゃん、もういいよ」
今だ戦いの牙を折らないスーちゃんに私は、呼びかける。
スーちゃんは赤い双眸のみを私に向ける。
「後は・・私がやる」
スーちゃんは、じっと私を見る。
そしてふんっと小さく鼻息を吐くとマナから視線を外して私達の方に歩いてくる。
マナは、驚いたようにスーちゃんを見る。
スーちゃんが私の前で止まる。
大丈夫か?と言わんばかりに優しい目で私を見る。
「うんっ大丈夫。ありがとう。スーちゃん」
私は、唯一怪我を負ってないスーちゃんの黒い鼻を撫でる。
スーちゃんは、少し擽ったそうにしながら私の後ろに下がり、カゲロウの横に座り込んだ。
私は、大鉈の柄をぎゅっと握る。
「マナ」
私が呼びかけるとマナは嬉しそうに微笑んだ。
「何ですか?偽物のエガオ様」
しかし、その目はまるで笑っていなかった。
まるで目障りなものを見るような、汚らわしいものを見るような目で私を見る。
その目が魔印によって操られたマナの目なのか、私に失望した本物のマナの目なのかは分からない。
ただ、もう私がマナの知る私で無くなってしまったことだけは分かった。
そう・・・私は変わってしまった。
4人組と出会って、マダムと出会って、スーちゃんと出会って、そしてカゲロウと出会って変わってしまった。
もうマナだけのエガオでは無くなってしまったのだ。
だからこそ・・・。
「カゲロウがね・・一緒に帰ろうって言ってくれたの」
私の言葉にマナは、きょとんっとした顔をする。
後ろにいるカゲロウがじっと私を見ているのを感じる。
「マダム・・・お母さんも一緒に帰りましょうって言ってくれたの」
遠くでマダムがを息を飲んで涙を流しているのが見えた。
「ディナとサヤとイリーナとチャコには色紙って言うので速く帰ってこいって怒られた」
4人組がお互いの手を組んでこちらを見ている。
マナの表情に苛立ちが浮かぶ。
青白い炎の毛が逆立ち、爪が膨らみ、口腔から炎が漏れる。
「私ね。一緒に帰ろうって言われることが、帰りを待ってくれてることがこんなに嬉しいことだなんて知らなかったの」
私の目から一筋涙が落ちる。
「マナは、いつも私の帰りを待っていてくれたのにね」
マナの口から炎が消える。
青白い炎の毛が怯えるように戻り、大きな目が震える。
「マナ・・本当にありがとう」
私は、声が震えるのを止められなかった。
「いつも帰りを待っていてくれてありがとう・・お風呂を沸かしていてくれてありがとう・・着替えを用意してくれてありがとう・・こんな私のことを好きでいてくれてありがとう・・」
マナの身体が大きく震える。
大きな目が潤み、流れる涙が体毛に触れて蒸発する。
「エガオ・・様・・」
「大好きだよ。マナ」
大好き・・・本当に大好き・・・。
「うそ・・・だ・・」
マナは、大きく頭を振る。
「うそだ!うそだ!うそだ!うそだ!」
マナの目が怒りで燃える。
再び口腔に炎が溜まり、爪が膨らみ、醜く尖る。
聞こえている。
魔印が邪魔してるけど私の声は確かにマナに届いてる。
それならこそ私は伝えなければならない。
答えなければならない。
今の私が出来る最大限のことで。
そう思った瞬間、私の口角が自然に釣り上がる。
頬が緩む。
目が細まり、アーチを作る。
マナの顔に驚愕に震える。
その目から涙が溢れる。
「マナ」
私は、大きくにっこりと微笑む。
「一緒に帰ろう」