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冷たい男 第6話 プレゼント(3)

 香り屋を訪れると大惨事になっていた。

 いつも鏡のように磨かれた木目の床にガラスと液体が飛び散り、封の破けた石鹸が散乱し、花とも調味料スパイスとも言えない鼻の奥をナイフで突き刺したような強烈な吐き気を催すような匂い・・・臭いが充満していた。
 少女と双子は、思わず鼻を押さえる。
 香水や石鹸の置かれた陳列台は、朝の教育番組で定番の計算に計算し尽くされた仕掛けおもちゃのように傾斜を付けて傾き、並べられた品が爆弾のように今も床に投下されている。
 幻想の世界に訪れたように整頓された造花やドライフラワーは巨大な草食獣に食い荒らされたように荒れ散らばっている。
 そして極め付けは仰向けに寝そろべり、白目を剥いている小動物・・・子狸と切長の目の背の高い大和撫子を彷彿とさせる美人・・・チーズ先輩が漫画のように分かりやすく狼狽えていた。

 まさに混沌カオス・・・。

「先輩・・・」
 少女は、恐る恐る声を掛けると涙を浮かべたチーズ先輩はようやく少女に気付く。
 悲壮に覆われたチーズ先輩の表情が天から蜘蛛の糸が垂れてきたかのように明るくなる。
 チーズ先輩は、小さな声で言う。
「・・・助けてください」
 少女は、頭に手を乗せる。

 何で私の周りには変わった・・・いや変な人しかいないのだろう?

 少女は、小さく息を吐いた。

 少女は、バンダナで髪をまとめると全ての窓と言う窓、正面口を開放して充満した臭いを外に逃し、臭いで昏倒した子狸を店の外の芝生に寝かせ、オロオロするチーズ先輩も一緒に外に出す。
 傾いた陳列台を直し、割れてない香水の瓶や石鹸を綺麗に並べ、床に散らばったガラス片を塵取りで集め、何枚も重ねた新聞紙の上に捨てて包み込み、ガムテープで止める。そしてゴム手袋をし、重曹を溶かしたお湯で徹底的に床を拭いた。
 最後に荒れ果てた造花とドライフラワーを丁寧に丁寧に指先を使って整え、元通りとは言えないが真っ直ぐに整頓する。
 そのあまりの手際の見事さに手伝うと息巻いてた双子は何も手を出せないまま目を丸くして見守っていた。
「ふうっ」
 少女は、陳列台の上の品を取るための踏み台にお尻を乗せて小さく息を吐き、ゴム手袋を脱ぎ。バンダナを外した。
 換気して寒いはずなのに今は何とも心地よい。
 双子は、可愛らしい白い手で賞賛の拍手を送る。
「おねえ様すごい・・」
「神の所業・・・」
 双子の口から飛ぶ世辞に少女は頬を赤く染める。
「そんな大したことはないわよ。ただの掃除よ。掃除」
 そう言って照れ臭そうに鼻の横を指で掻く。
 その手の袖部分にゴミが付いていることにショートは気づく。
「おねえ様ゴミが」
 ショートは、手を伸ばしてゴミを取る。
「ありがとう」
 その時、少女の指から掌にかけてよく見なければ分からないような薄い火傷のような痕があることに気づいた。
 少女も見られていることに気づき、苦笑いを浮かべる。
「昔の傷よ。もうほとんど目立たないわ」
 そう言って両の手を見せる。
 確かに全ての指先から掌に掛けて爛れて引き攣るような皮膚の痕が見られるが言わないと余程のことがない限り気づかれることはないだろう。
「どうされたんですか?」
 ロングが形の良い眉毛を顰めて訊いてくる。
「子供の頃にちょっとね・・・」
 少女は、それ以上何も言わなかった。
 ただ、少し泣きそうに目を細めたことが双子の印象に残った。
 「本当にありがとうございます」
 チーズ先輩が身を縮こませて店の中に入ってくる。
 その手にはようやく目の焦点のあった子狸が抱かれていた。
「もう生きて青い空を見ることが出来ないのではないかと思いました」
 普通の学生生活を送っていたら決して聞くことのできない物騒な言葉に少女は表情を引き攣らせる。
「先輩・・・何があったんですか・・?」
 ほぼ違うと思うが万が一何かの事件に巻き込まれていたのなら大変だと思い尋ねる。
 案の定、返ってきたのは全く事件性のないものだった。
「掃除をしていただけです」
 その台詞に双子が口を丸く開ける。
「本当だよ」
 テーズ先輩の腕に抱かれた子狸が弱々しく答える。
「おばさんがいない間に驚かそうと掃除していただけなのに何故かこんなことに・・・」
 昨日の夜からチーズ先輩の母である香り屋の女主人は外での仕事の為に出掛けていた。その為、無理に店を開ける必要もなかったのだがチーズ先輩は教育実習を一通り終えて暇だったし、子狸も小学校が行事の振替休日だったので1人と1匹で店番を買って出たらしい。
 その時の女主人の表情は、一度も料理をしたことのない男性が張り切って蕎麦打ちをすると言い出した時のように不安と心配げな表情を浮かべていたのだがそんなことを少女と双子が知る由もない。
 幸いと言うか客はそれほど来なかった。
 近所の馴染客が石鹸や玄関に置く消臭液を買いにくる程度だったので1人と1匹でも十分にこなすことが出来た(その時は子狸は小学生に変化していた)。
 しかし、あまりにも暇すぎたのが災いした。
 手持ちぶたさになったチーズ先輩は、そんなに散らかってもいない店の中を掃除しようとほうきを持ってきて床を掃いていた時にお尻が陳列台に当たり、棚が崩れ、乗っていたものが崩れ落ちた。
 それだけなら瓶も割れず石鹸も封が破れることなかった。子狸も仕方ないなあと言うくらいの気持ちで拾おうとしていた。
 だが、常識が許容されるのもここまでだった。
 自分の起こしてしまった失敗ハプニングに取り乱したチーズ先輩は、何故か蜂起で瓶と石鹸を掃こうとして振り回し、瓶を粉々に割り、石鹸の封を無惨に破いた。
 その時点で数十種の香りが混ざりブレンドし、反応ケミストリーを起こして、破裂するような臭いを発した。
 そのあまりに強烈な臭いに鼻の良すぎる子狸は、硬直して変化が解け、そのまま床に仰向けに倒れ伏した。
 その様にさらに動揺したチーズ先輩がさらに箒を振り回して陳列台という陳列台を崩し、身体が回転した勢いで造花と陳列台の上に倒れ込んで壊滅的なまでのダメージを与えたのだ。
 もう駄目だ・・・とチーズ先輩が天を仰いだ瞬間、少女と双子が入ってきたのだ。

 その時の光景はまさに天使が舞い降りたようだったとチーズ先輩は語った。

 話しを聞き終えた少女は、再び、いや三度頭を抱えた。
 双子は、呆れを通り越して口を開けたまま何も言えなくなっていた。

 容姿端麗。

 スポーツ万能。

 成績優秀。

 誰もが羨む全ての素質を持ち、男子のみならず女子から教員まで誰もが羨み、敬う完璧少女であったチーズ先輩。
 そんなチーズ先輩に対して誰が想像しよう。
 それ以外の面がまるでダメだなんて。

 チーズ先輩は、子狸を抱いたまま叱られた小さな女の子のように身を縮ませていた。
「とりあえず綺麗になったんでもう大丈夫と思いますよ」
 少女は、これ以上チーズ先輩を落ち込ませないと努めて明るく笑った。
「ありがとうございます」
「ありがとうございます」
 チーズ先輩と胸に抱かれた子狸は同時に頭を下げてお礼を言う。
「これで店を開けることができ・・」
「いや、今日はもう閉店した方がいいと思いますよ」
 チーズ先輩が言い終える前に強い口調ではっきりと言う。
 再びチーズ先輩は身を縮こませる。
「おねえ様・・・」
 ショートが少女の服を引っ張る。
「どうしたの?」
 少女が訊くとショートは、不安げに落ち込んでいるチーズ先輩を見る。
「あの・・・あの方って・・・?」
 ああっそういえば説明してなかったな。
「私の小、中、高の先輩よ。この店の経営者の娘さんなの」
 しかし、ショートが求めた説明はこれではなかった。
 ショートと、そしてロングも怯えた目でチーズ先輩を見る。
「この方って魔女ですよね?」
「それにその胸に抱いてるのは化け狸・・それも高位の」
 双子は、互いを守るように抱きしめ合いながらチーズ先輩を見る。
「そういう貴方たちは半妖ですね。いや、もっと薄いですね・・・」
 チーズ先輩が切長の目を細めて2人を見る。
「ひょっとしてハンターと後輩が解決したと言う事件の双子さんでしょうか?」
 ハンターと言う名前に双子は露骨に顔を顰める。
 嫌悪と侮蔑が滲み出ている。
 双子の感情の意味が読めずチーズ先輩は首を傾げる。
「私は魔女ではなく一介の大学生です。貴方たちをどうにかしようなんて思ってませんよ」
 その言葉に信じられないと言った表情を浮かべる双子。
 それに気づき、少女は安心させるように優しい笑みを浮かべる。
「本当よ。先輩もそのお母さんもとても優しい人たちだから」
 少女の言葉は信じられる。
 双子は、ようやく警戒を解く。
「ところで・・・店に何か用だったのでは?」
 チーズ先輩に振られて少女は、自分がこの店にやってきた理由を思い出す。
「手袋の材料を買いに来ました」
 その言葉だけでチーズ先輩は察する。
「今日はこっちだから付いてきて下さい」

#短編小説
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