冷たい男 第7話 とある物語(6)
気温も低いというのにその雨はやたらと身体をベトつかせた。
弔問客を出迎える為にビニールの合羽を着て外に立っていた冷たい男は、斎場に戻ると急いで合羽を脱ぎ、雫を拭き取る。
故人の最後の場を雨水で汚したくないと言う思いもあるが、雨水が凍りつくと厄介となのも理由もある。
小学生の頃は、わざと服の裾を濡らして凍らせてはそのザクザクと割れる感触を少女と楽しんだものだが大人を間近に控えた今となってはそれも煩わしくなる。
今日の葬儀の主・・・故人は60代後半を迎える前に亡くなった男性だった。
死因は、心筋梗塞。
行きつけの居酒屋で飲み仲間と話している時に唐突に痛みを訴え、救急車を呼ぶもそのまま即死だったそうだ。
斎場にはその飲み仲間と、喪主はその居酒屋の女店主が努めている。
何でも身内はいないらしく、もし何かあった時は飲み仲間が簡単な葬儀を出してやる、と約束をしていたらしい。
そしてその約束はしっかりと守られてた。
居酒屋の女店主は、居酒屋に顔を出すようになってからの故人の思い出を話し、飲み仲間達は、酒を飲んだ訳でもないのに目を充血させ、故人の遺影を見て泣いた。
誰も居酒屋に顔を出す前の彼の事を知らない。
本当に本当に短い期間だ。
それでも彼は、故人を偲んで泣いている。
故人の冥福を祈っている。
故人の短い物語の中に確かに彼らは存在し、彼らの物語にも故人はしっかりと存在しているのだ。
それを思うとやはり"とある物語"の存在を冷たい男は許すことは出来なかった。
病院から追い出されるように帰った後、冷たい男は、少年と出会った時の経緯をチーズ先輩に電話して伝えた。
チーズ先輩は、電話越しに静かに聞いてくれた。
"遊びの神様"というのは聞いたことがないと言う。
しかし、もし、その少年がその神様と何らかの契約をしているならそれを破ることは人間には出来ない。
それは自分たちの世界から一歩踏み出た領域のものだから、と。
そしてその契約の実行を阻止しようとするならそれ相応の見返りが阻止した者にも与えられるだろう、と。
つまり少年が"とある物語"を使う事を阻止してはいけないと、案に示唆していた。
止められない・・・。
その事は冷たい男の心を重くした。
しかし、それ以上に思うことがある。
止める方法があったとしても自分がそれを実行することが出来るのか?
『僕は、生きたいんだ!』
少年がそう叫んだ時、冷たい男は何も言う事が出来なかった。
死んだ人間を犠牲にして生きようと願う彼を否定することが出来なかった。
自分は、人より身体が冷たいだけでそれ以外は健康だ。
もし、自分が長く生きられないとなった時、果たして今まで口にしていた事を言うことが出来るのか?
曲げずにいることが出来るのか?
冷たい男は、自問自答を繰り返し、そして答えはまだ見つからないままだった。
斎場の扉が開かれると雨が石礫のように棺と弔問客を打ち付ける。
しっとりと纏わりついていた雨は激しい大雨へとその姿を変えていた。
社長がそれを見て小声で冷たい男に下がるように言う。
冷たい男は、小さく頭を下げて後ろに下がる。
故人の棺が霊柩車に収められる。
雨に打たれながら弔問客が両手を合わせて祈る。
社長が小さく経を唱える。
冷たい男も雨の入ってこない所から両手を合わせて祈る。
そして故人のことを覚えておこうと頭に文字と絵を書き写す。
その視界に黄色いものが映り込む。
霊柩車の先、他の人からは見えない死角に立つ小さな黄色の傘を差した少年の姿を。
冷たい男の心臓が大きく打つ。
霊柩車から離れた所に立つ少年は、じっと見つめなまま右手を高く掲げる、
その手には茶色の羽根ペンが握られていた。
固く閉じられた棺の隙間から黒い液のような文字の群れが溢れてくる。
文字の群れは、カーテンのレールでまとめられるように両端からゆっくりと移動して合流し、一つのなると蛇の生首のようにその身を起こし、宙を這う。
目指すのは・・・少年の持つ茶色の羽根ペンだ。
それに気づき、冷たい男は、反射的に走り出す。
それに気づいた社長が呼び止めようとすると声をかけるも冷たい男には届かなかった。
雨に打たれ、冷たい男の着るスーツが濡れ、小さな氷粒が生まれ、霜が広がる。
「君!」
冷たい男は、少年の前に立つ。
少年は、茶色の羽根ペンを掲げたままじっと冷たい男を見る。
やめるんだ!
そう言って羽根ペンを取り上げるべきなのに冷たい男は、次の言葉と行動に移すことが出来なかった。
『僕は、生きたいんだ!』
少年の言葉が耳で、頭で木霊する。
少年は、自答し、逡巡する冷たい男を見て小さな笑みを浮かべる。
両目が上を向き、そのまま白目を剥いて倒れ込みそうになる。
冷たい男は、慌てて少年の身体を支える。
雨に冷えて身体に異常をきたしてしまったのではないかと言う考えが過ぎる。
雨に濡れた自分の身体が張り付き、少年の衣服に白い霜が侵食し出す。
このままでは・・・!
冷たい男は、助けを呼ぼうと声を上げようとする。
胸が熱い。
痛みが身体中の神経を焼く。
茶色の羽根ペンの先が冷たい男の左胸の中に吸い込まれるように入り込んでいた。
血が滲み出て、白い霜を赤く染め、また凍る。
「厳罰」
少年が割れるように笑う。
「遊びの神様がね。言ったんだ」
茶色の羽根ペンに冷たい男の血が伝い、赤く染まっていく。
「貴方に罰を与えろって。そうすれば貴方の人生を記すことが出来る。そしたら健康な身体をくれるって」
赤い血が滴り、少年の指先を、地面を凍らせる。
「お兄さんの人生、僕にちょうだい」
少年は、羽根ペンを冷たい男の胸から抜き去る。
冷たい男は、そのまま地面に倒れ込む。
胸から血が溢れ、地面を、冷たい男を白く凍らせる。
少年は、自分の手ごと凍った羽根ペンの先を冷たい男に向ける。
白く染まった冷たい男の身体から文字の群れが昇る。
文字の群れは、迷うことなく羽根ペンの先へと向かう。
「ありがとうお兄ちゃん。どうから安らかにね」
少年は、微笑む。
「どうせもう存在してないけどね」
文字の先端が羽根ペンの先に触れた。
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