平坂のカフェ 最終話 四季は太陽(6)
急転直下の話しがあってから数日後、カナが彼を連れてやってきた。
その時の私達は・・・臨戦体制だった。
カナが彼を迎えに行って10分くらいの間に夫は酒を煽るようにコーヒーを何杯も飲んでいた。
私も意味もなくティッシュパーを抜いては畳んだり、ボールのように丸めたりしていた。
そしてカナが彼を連れて戻ってきた瞬間、私達は上り框の上に仁王立ちし、
「お前か・・・娘を傷物にしたのは・・」
10代からの付き合いだが夫がこんなに低く、ドスの効いた声が出せることを知らなかった。
しかし、かくゆう私も・・・。
「あんたなんかにうちの可愛い娘は渡さないわ」
この男にカナは昔の泣かされて悲しい思いをさせられたのだ。
逆恨みなことは十分に承知しているがそれでも許せなかった。
私達の迫力に彼だけでなく、カナまでもが圧倒され、怯えてしまった。
そこから彼が玄関口で土下座をして「娘さんを僕にください!」「必ず幸せにします」と結婚の挨拶というよりは謝罪、懺悔のように必死に私達に思いを伝えてきた。
夫は、腕を組んで仁王立ちして彼を睨み続けた。
実はこの時にはもう私も夫も2人の結婚を許していた。
玄関から入ってきた時の2人のあまりにも幸せそうな姿を見たら許すもなにも認めるしかなかった。
それから2人を・・・というか彼を家に上げて結婚することを許した。
夫は、酒と涙に溺れながら「カナをよろしく頼むなあ」と言い、私もカナに貴方が幸せになってくれて嬉しいと喜び抱きしめた。
しかし、次の瞬間、再び修羅場が訪れる。
「ところで職場は?」
「イタリアです」
第二次大戦の勃発だった。
それから2人は、高校の友達や会社関係に挨拶に回り、正式に籍を入れて夫婦となった。
結婚式はイタリアでの生活が落ち着いたら家族や親しい友人だけ招いて小さな式を挙げるとのことだ。
カナは、右目を包んでいた眼帯を外した。
流石にピンクのカーディガンは脱がなかったがそれは何に対しても無関心だったカナが幸せになった何よりもの証だった。
夫は、最後まで「早く日本に戻ってきてくれよ」と泣いた。
カナ大好き、カナ命なのは前々から知っていたが流石に引いた。
そして2人はカナの次の個展を開催する〇〇県に行く為に旅立ち・・そしてあの今でも思い出したくない事件に巻き込まれたのだ。
カナが病室から消えた。
あの日本少年犯罪史上で最も残忍な事件と言われている"鳥頭"殺戮事件に2人は巻き込まれ、カナの夫はカナを助けようと重傷を負い、意識不明となってしまった。
それからカナはずっと病室で彼が目覚めるのを待っていた。
それこそ寝食を忘れ、私が声をかけないといつまでも止まり、連れ帰ろうとすると泣き叫ぶ程に。
神様はどれほどに残酷なのだろう?
何故、この子にだけ優しくしてくれないのだろう?
そのカナが病室から消えた。
行くところといったら・・・あそこしかない。
最悪なことを想像したら私は思い当たるあの場所へと向かった。
カナはいた。
喧騒と悲鳴が巻き起こる裁判所の中で血溜まりの中に立っていた。
彼女の足元には不気味なカラスのラバーマスクを被った人物が血に溺れるように倒れていた。
カナの手には小さな小刀が握られていた。
血は・・・付いてない。
私は、安堵するが、カナの左目を見て背筋を震わせる。
そこにあったのは小さい頃に見た怯えた目でも無関心な目でもない。
大人になってから見られるようになった前向きな輝いた目でもない。
どこまでも低く冷たい、殺意に満ちた目だ。
「カナ!」
私は、力の限り叫んだ。
カナの目に小さな光が宿る。
カナは、驚いたように顔を上げて私の方を見る。
私は、傍聴席を飛び越え、カナを抱きしめた。
カナの目が、唇が震え、大きな声で泣き出す。
それは幼い頃に見せたカナの泣き声そのものだった。
私は、強く、優しくカナを抱きしめた。
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