半竜の心臓 第3話 アメノと言う男(1)
「なんかあったらいつでも遊びに来ていいっすからね!」
そう言って泣きべそをかくリンツに送り出されて少女はアメノと一緒に施設を後にした。
てっきりそのまま歩いて行くのかと思ったらアメノは、施設の裏手に回った。少女は慌てて追いかけようとするも着物というのは思いのほか走るのに向いておらず、しかも下駄と呼ばれるものがカタカタと揺れて何度か転びそうになる。
アメノは、振り返りこそしないが少女が転びそうになる度に歩速を緩める。まるで後ろに目が付いていて監視しているかのように。
施設の裏手は草一つなく、土剥き出しの広い土地となっており、その真ん中に陣取るように黒い塊が置いてあった。
少女は、最初それを大きなカブト虫だと思った。
一年中、寒い雪山であったが夏になれば流石に虫も湧き、明け方になると甲虫類が騒ぎ出す。子供の頃は虫を捕まえるのが大好きでよく捕まえては木の枝で作った囲いの中に入れた。父たる白竜の王に捕まえるなら食べなさいと諭され、一度、口に入れたが気持ち悪くて思わず吐き出した。
しかし、これはどう見ても虫ではない。
甲と思った部分は黒く塗られた鉄で丸い目と思った部分はガラス、その上にもさらに大きな一枚板のガラスが前に後ろに横に取り付けられ、足のある部分には黒くて丸いものが4つ付いている。
少女は、マジマジとカブト虫もどきを見る。
「車だ」
アメノは、短く答える。
「車?」
少女は、首を傾げる。
アメノは、なんと説明しようか悩み、顎を擦る。
「馬のように速く動く乗り物だ。ここ最近流行り出したものだ」
馬は何となく分かる。
足の遅い人間種が人ならざる者達に対抗する為に跨るものだ。
しかし、乗り物とは?
アメノは、説明するのが面倒くさくなり、小さく息を吐くと左側のドアを開ける。
少女は、羽が開いたと思わずびっくりする。
「乗れ」
そう言って少女の肩を押して強制的に車の中に乗せる。
柔らかい。
それが車に初めて乗った少女の最初の感想だった。
車の中に設置された椅子は保護施設のベッドほどではないが柔らかく、座りやすい。
それに微かに花の香りがする。
どこを見回しても花なんて咲いてないのにどこから匂うんだろう?
アメノも隣のドアを開いて車に乗り込むと前方に付いた丸いものを握り、ギザギザした小刀のような物を横に差し込んで回す。
その瞬間、地鳴りのような音が響き、椅子が大きく揺れ出す。
「地震⁉︎」
「エンジンだ」
狼狽える少女にアメノは冷静に返してアクセルを踏む。
車は、ゆっくりと走り出す。
少女は、大きく目を開いて窓の外を見る。
地面が、木が、空が動く。
前方から獣のような唸り声が聞こえ、アメノがハンドルを動かす度に向きが変わる。
それなのに中は雪多少の揺れを感じるだけで何の変化もない。
少女は、目も口も丸くし、首をグルグル動かして車の中を、外を舐め回すように見た。
「面白いか?」
アメノの声に少女は、我に返る。
その途端に恥ずかしさが込み上げてきて頬を赤らめる。
「も・・・申し訳ありません」
少女は、どこかに木のウロか獣の巣穴があったら飛び込みたい気分になった。
「別に恥ずかしがることはない」
アメノは、前を向いたまま表情を変えずに言う。
「子どもなら誰もがはしゃぐ」
子ども・・・。
これでも18歳なんだけどな。
父たる白竜の王に言わせれば人間なら成竜らしいんだけどな。
「俺もはしゃいだ」
「へっ?」
少女は、アメノの横顔を見る。
しかし、アメノはそれ以上何も言わなかった。
それから2人は無言となる。
アメノは、運転に集中し、少女は動く景色をじっと見た。
混じり者の保護施設は少女の住んでいた雪山ほどてはないが相当な山奥にあったようで山を削って作られた土剥き出しの道の端には空から見下ろすような森林が広がり、白い靄が掛かっている。
所々から獣達の鳴く声が聞こえ、猿達が崖の木々からこちらを見下ろしていた。
これだけ見れば自分が暮らしていた雪山の春と夏とあまり大差なく感じるがお尻から感じる車の揺れが、横に座るアメノの姿がそれはもう過去のことであると告げていた。
車の揺れは思っていた以上に心地良く、窓から溢れる暖かな日差しと混ざりあって、耳の奥から眠気が溢れそうになる。
少女は、重くなる瞼を何とか釣り上げようとしてバランスを崩して窓ガラスに頭をぶつける。
「別に寝てもいいぞ」
アメノの声に少女の瞼がばっと開く。
「車に乗ってると眠くなるみたいだからな。遠慮するな」
「いえ、そんな・・・」
少女は、慌てて背筋を正す。
「はしたない姿を見せて申し訳ありませんでした」
少女は、ボンネットに頭をぶつけそうになるくらい頭を下げる。
「別に謝ることはない」
アメノは、器用に左手を動かしてギアを変える。
「しかし、旦那様の前で」
「アメノだ!」
アメノは、不機嫌に怒鳴る。
「俺のことはアメノと呼べ」
「でも・・・」
「俺は、お前の里親だが主人でもなければ雇い主でもない。気兼ねなく呼べ・・」
そんなこと言われても・・・。
少女は、両手を組んでモジモジと動かす。
「俺が怖いか?」
「えっ?」
「お前を刺した俺が怖いか?と聞いている」
「そんなことは・・・」
ないっとは言えなかった。
今、この瞬間も彼が・・アメノが自分の心臓を刺した時の鬼気迫る表情と殺意溢れる猛禽類のような目か脳裏に浮かぶ。
だけど・・・。
「感謝・・してます」
少女から出た言葉にアメノの猛禽類のような目が大きく開く。
「貴方様が・・・貴方様達が来てくれなかったら私は今もあの地獄のような日々を送っていたはずです。殺されもせず、弄ばれ、辱められ、いつかはあいつらの子どもを無理あり孕まされて、生まされて・・」
少女の目に涙が浮かぶ。
暗黒竜達の顔が虐げられた痛みが、屈辱が、恐怖が蘇る。
「貴方様のことは確かに怖いです」
少女は、左胸に手を置く。
そこにはアメノに刺された刀傷の痕が生々しく残っている。しかし、それは手足に付いた枷のような傷とは違う。
これは暗黒竜という呪縛から断ち切ってくれた、いわば聖痕なのだ。
「貴方様には感謝しかございません。本当にありがとうございます」
少女は、感謝を込めて深々と頭を下げる。
アメノは、何も言わない、
不思議に思い、顔を上げて、驚く。
顔を半分に割るような大きな傷から吹き出すようにアメノの顔が真っ赤に染まり、猛禽類のような目が動揺に震えている。
明らかに照れてる。
恥ずかしがっている。
少女は、驚きに目を丸めると同時にリンツの発した言葉を思い出す。
"ツンデレ鳶"
見た目は怖いくせに実はその真逆。
まさにその通りだ。
少女は、思わず吹き出してしまう。
「笑うな!」
アメノは、怒鳴る。
しかし、その声を聞いても最初に感じた恐怖は湧いてこなかった。
むしろ・・・。
(可愛い)
少女の口元が柔らかく綻ぶ。
アメノは、横目で少女の顔を見てむすっとするもどこかほっとした様子であった。
「話しは戻るが俺のことはアメノでいい。分かったな」
「はいっ分かりました。アメノ様」
少女がそう言うとアメノはまだ何か言いたそうではあったがそれ以上は口を開かず前を向いて運転する。
少女は、温かくなった左胸をゆっくりと摩った。