本当に優秀で賢い人しかいない環境に身を置いたことによる変化
アメリカの有名組織に現地採用され、日本の組織で働いていた時と職場環境がかなり変わった。
筆者の周りにいる本当に優秀で賢い人というのは、ハーバード大学、スタンフォード大学、MIT、オックスフォード大学などなど壮々たる大学の大学生、大学院、医学部、MBA、などの学歴を持っているのが当たり前である。アメリカ以外から来ている人たちもいるが、溶け込んでいてそこまで違いがわからない。おそらく母国でも非常に優秀であるのだろうと推測される。
筆者がいる場所はアメリカの中でもリベラルでダイバーシティが進み、知的水準が非常に高いエリアである。したがって筆者の今思っていることはイコールアメリカ全土ではないが、一部のアメリカを示していることは確かであろう。
賢いの基準が高い
数カ国語が話せるのは当たり前、一回話に出来てたことは全て記憶しているのは当たり前、PC関連が専門ではないがかなり詳しいのは当たり前、過去に学んだことは聞かれた瞬間に詳細まで説明できるのが当たり前、自分の専門と掲げていることは隅々まで熟知しているのが当たり前、そういう人ばかりである。
チャンスのレベルと頻度が違う
組織入るまでにそれなりの審査なりがあって入っている人しかいないので、内内にしか回ってこない大きいチャンスが割とそこら辺に落ちている。もちろんチャンスを手にできるのは一部だが、外部からよりは少し競争のレベルが落ちる。
有名なその世界の権威や第一人者、若手で勢いのある有名人とかと割とすぐ知り合うことができる。知り合いの知り合いが超有名人、くらいの距離である。誰と知り合いか、誰によく思われているか、という信頼はアメリカ社会において非常に重要であるため、このようにコネクションを作りやすいというのはチャンスの一つである。
無駄なことを絶対にしない
要領が非常にいい。着手する前に、それって本当にやる必要があるのかという問いが必ず生まれるようだ。
筆者が任された仕事で、「ある事を40個やる」計画があった。それは1つやるのに4-5時間かかるものだった。10個くらいやったところで「かったるすぎ!!!」と思って同僚に話したら、「それは40個やる必要あるのか?確かに10個は必要だと思うが、これ以上はいるのかな。上司に計画の変更を交渉するべき」と言われた。
結局、12個でいいという計画に変更された。こういうことは日々あり、「それをやる必要あるなし」の判定が細かいことから大きいことまで行き渡っている。メモの取り方、記録の残し方、仕事の進め方、全てが無駄なく連動するように、非常に合理的に流れている。
優先順位付けが常に明確
急に難易度の高いものを仕上げる仕事が降ってきて全然日数がなくても、焦っている様子もなく誰もが毎回高いレベルでの提供をしてくる。
同じ24時間365日を持っているのに、どうやってここまでのレベルをこの時間で提供できるようにやっているのか不思議だった。よく見ていると、ちゃんとそれを求められているレベルまで作り終わるまで、土日も他のことは一切していない。テレビを見たり遊んだりとか一切だ。
そうやって、今現在の状況だと、自分の力の何%をこれに、何%をこれに、これとこれには0%と、いうeffort(エフォート)の分け方が常にはっきりしている。
同僚に言われたのが、「(色々抱えてても)一つ一つを終わらせて次にいく」。まず必ず最も早く終わらせないといけないことには最大のエフォートを割くべきなのだ。
教養として、教育することに慣れている
「経験が浅い側は教育をされる/知っている側はきちんと教育をする」という教育を受けている。教育された後に知っている側になった時に、経験が浅い者にはきちんと教育するべきものという"教養"を身につけている人がほとんどである。
良い人が多い
ビジネス良い人の可能性もあるが、割と親切な人が多い。ビジネス良い人というのは、上記の「教育すべき」という教養からであったりする。また誰に対してもニコっと笑って世間話をするのは、日本のお店に入ると「いらっしゃいませ」と言われるくらい当たり前のことだ。
そういうビジネス良い人ではない、優しい気遣いの良い人が割と存在する。ものすごい学歴、業績、立場とかであっても、仕事で必要な優しさ以外にかなり優しくて余裕があったり、ついでにコミュニケーション能力や察する能力も非常に高くて、スーパーマンかな?と思う人が視界に1人はいる。そういう人をアメリカ人らは"nice guy"と説明していたから、ナイスガイっていい褒め言葉なのだと学ぶ。
日常会話は普通のことを話している
日常生活のことは話しているが、テレビや誰かの噂話とかは一切していない印象がある。仕事に関係ない日常生活に関しては話す余裕がない、というのが正解かもしれない。職場にきている少ない時間で仕事仲間と仕事の連携を取らないといけないので、関係ないことはランチやたまの飲み会でしか話していない。
当たり前の基準が高い
みな困難に見えることでも、最終的に当たり前にできている。逆にこの環境に所属している筆者が、与えられたものに対してできない・間に合わないということが理解できないようだ。
「なんで?何に引っかかっているの?」と謎に思うが、地頭が悪いから、要領が悪いから、という可能性に関しては考えないようだ。
こちらへの期待値が非常に高い
できて当たり前、なおかつどのくらい期待以上か、という無言の期待がある。そして他の人たちはそれをこなしている。
期待以上の仕事をしてくれない人には仕事を回せない。仕事がないと個人としての成果があがらない。成果が出ない人には給料を払う価値を見出せない。結果的に契約更新できないか、契約が早めに切られる可能性がある。
要領がよくなる
限りある時間・集中できる時間・状況の中で、高いレベルを要求されている。最低合格点で何とかクリアしてきた筆者にとって、その最低合格点は今の状況では本当の合格点ではなく、期待以上の成果をあげないと加点は入らない。
ではクビにならず、見切られずに組織の中で優秀でなくてもそこそこになるには、要領をよくするしかない。もうそれしかないのだ。時間は有限であるし、使えるリソースは十分仕事に割いている。あとは内容を劇的に変えるくらいの、既存の習慣や思い込みを全て排除して最短距離でいい結果を出すための行動を取らないといけない。追い詰められると人は変わるものだと体感した。
環境が変わると色々なものが変わる
ほとんどの人が、環境においての常識に左右されやすい。ちょうど勝間和代さんが環境整備が大事ということを説明していた。
筆者はガツガツした負けん気の強い性格では全くなく、負けず嫌いの人がいるとどうぞどうぞと主導権を渡したいのである。しかし環境的にそうも言っていられなくなり、自分のモードを変えざるをえなくなっている。
まとめ
新しい環境、新しい世界、新しい友達。しかし日本の世界も知っているし、日本の友達も好きである。両方を持ったハイブリッドのいい落とし所でいきたい。