未だ目下 修行中の身~真の人にあらず
人生は修行である。
昔どこかで聞かされていた言葉。
その言霊の鼓動が胸を揺さぶる。
この世の喜怒哀楽の中に生き、多くの喜怒哀楽を目にした。
それでも尚、人の真髄を知り得ず己は盲目のままにある。
生と死が添い伴う道の一寸先は光か闇か。
濃い霧が身に纏わりつき、足元を照らす灯りも意味を成さず。
もがいては這いずり回り、迷走と模索の狭間で己の姿を探し彷徨う。
人生は平坦にあらず。
悪路難路を乗り越え一筋の光に手を伸しては、新たに壁が道を立ち塞ぐ。
気づけば命の岐路に身を置かれ、死の影に蝕まれては辿った己の足跡を思い起こす。
後悔先に立たず。
常に死の覚悟と共に生を歩んできた道。
生涯に後悔なしと自問自答の末にも己の後悔はなし。
しかしながら蜘蛛の糸を垂らしてくれたのはお釈迦様ではない。
己の生を望む人たちが紡いだ蜘蛛の糸である。
教示してくれたのは意味を成す生と懸命の生を全うした末にある死。
触れた優しさと心は柔らかなり。
眩いほどに輝く皆の想いは光の柱となり、己の中にある霧の視界を照らす。
己が進むべき道は数多ではなし。
ここから先の道が悪路だろうが難路だろうが、足先の向く道は一つにあり。
生は死であり死は生である。
己は未だ目下修行中の身であり、真の人にあらず。
人道に沿った生に身を置こうとも、人が人に添う真の意は分からず。
常に己に問答、生と人の存在にある繋がりを紐解くことに意はありと信ずる。
色は空であり空は色である。
不変のものはあらず、絶えず変化し消えゆく運命にあり。
夢幻泡影の儚さを知り得た先、雲外蒼天の意を信ずること。
たとえ己の実体が消滅しようとも、その意を信ずることに道はあり。
皆を知り己を知る。己を知り皆を知る。
命を知り尊さを知る。尊さを知り命を知る。
生は死であり死は生である。
己は未だ目下修行中の身であり、真の人にあらず。
人の真髄にはまだ辿り着けず。