横着の習慣化
|横着の習慣化(日常化ともいう。)
横着の習慣化とは、横着が習慣化し、しまいには「日常化」してしまうこと。
横着とは、ううう~ん・・
辞書を引くと
「手抜きやすべきこと」、「故意に怠けること」、「できるだけ楽をしてすまそうとすること・・」
などと書いてある。
つまり、やるべきことをちょんぼして手抜きをしていることをいうんでしょうね。
そして、「習慣化(日常化)」・・
これは、
「無意識に行動や思考を繰り返す状態になること」
なのだ。
すなわち、手抜きなどの横着が無意識のうちに習慣化し日常化してしまうことのようだ。
|組織管理
組織を管理・運営する上で、私は時々このことばを使ってきた。
組織を管理・運営するためには
組織の内規を守ることはもちろん、社会のルールを遵守することが組織が守り社会的な信頼が確保することに通じるからである。
ちょっとでも手抜きをし横着すると、そのちょっとの横着が徐々に大きな輪になって波紋をおこし・・・結果的に大きな問題を生じさせることになるからだ。
|横着の慣習化が信頼性を損ねる
昨今の自動車の安全性の問題などもそうだろう。
自動車製造時の検査を厳格にすべきところを、たった1人が何らかの理由により横着をし実験結果をねつ造しようとしたり流用したりしたことが、輪となり組織全体の「横着の習慣」と化してしまい、結果的に組織の信頼性を大きく損ねることになってしまう。
また、自動車の安全性や自動車産業の信頼性を損ねることにつながったものと推察する。
同じように、大工さんが横着(手抜き)して家を建てたら・・・、建設業者が横着して橋の建設作業をしていたら・・、決められたルールや信義則をきちんと履行していかないと安全・安心を損ね社会的な信頼性を失することにつながります。
|交通ルールを無視するという横着の習慣化
ルールという観点でいうと、交通ルールもそうですね。
◎一時停止(道路交通法第43条)については、・・
と規定されています。
運転免許を取る際に自動車教習所で必ず学び、実技試験や学科試験でもチェックされる。これらの内容を理解した上で運転免許を取得したはずなのですが・・・。
運転に慣れてくると、いつのも道路で交差道路の車は少ないし、ちょっと急いでいるからと・・・、ブレーキを踏んで低速度(徐行状態)に落としたものの、しっかり停止せずにそのまま交差点に入る。
幸いにも交差道路を走行してくる車や自転車、歩行者がなく危険が生じなかったし警察官もいなかった。
「おお~大丈夫、大丈夫」
そして次の日も・・同じことを繰り返す。
別の一時停止標識のあるところでも同様に通過、ときには
「あれっ、きちんと止まったかな?」
と自問しても、
「まあ~このくらいなら大丈夫、大丈夫、車が来たらすぐに止まれる・・」
と、一時停止しないことを正当化しそのまま通行する、いわは手抜きという横着を重ねる、その横着が無意識のうちに繰り返されることで日常化し、常習化し、いつの間にか習慣化し
「止まれ」の標識は減速徐行して安全確認すれば良い・・・、
事故を起こさなければ良い
とう自分勝手なルール・解釈をしてしまう。
そしていずれ警察官の取締りを受けたり、最悪の場合には交通事故が発生することにつながる・・。
◎信号無視も同様
信号は
「停止線の手前で信号が『黄色』になったら止まる」
と教わったが、
「黄色だから・・いっちゃおう」、「急いでいるから・・」
ということで、軽い気持ちの横着心が繰り返され、日常化し、習慣化してしまうと、信号が「黄色」から「赤色」に変ってもそのまま交差点に突っ込むことに。
そのことで、交通事故の発生確率や、信号無視違反として検挙される可能性が高まります。
挙げ句の果てに、交通違反として警察官から指摘されると、
信号は黄色、赤ではない、
事故を起こさなかったんだから良いじゃないか・・
と勝手な理屈や自己解釈ルールを言い出す始末。
これが一番怖い!
他にも運転中の携帯電話の使用なども、ちょっと止まって・・ということを怠る横着の積重で、運転中に携帯委電話に出てしまう・・・。
|横着と正当化
ルール自体に問題があるようなものが無いとは限らないが、多くの人が守れるルールなら、これに反論しても法治国家としては余り意味がない。
まあ~法律改正なりを求める提案はあるかもしれないが・・・
横着は正当化の理由にならないのですよね。
|経験と年齢
この「横着の習慣化」の傾向は、経験と年齢を重ねるほど多くなって来るように感じます。
もちろん年齢を重ねることで、体力的な衰えの問題もあり、実際に動作が緩慢になったり、意識障害が生じてくるなど、本人の故意的な意思によらない現象もある。しかしいくつになっても、きちんと「やるべきことはやる」「守るべきルールは守る」という几帳面な方もいます。
心の持ちようかもしれませんね。
|交通安全教育と横着
以前女性警察官をしていた知人から聞いた話
幼稚園で親子交通安全教室を開催し「信号を守ろう」という話をした。
しかし、幼稚園から自転車に子どもを乗せて帰るお母さんが歩行者用信号が点滅しているのに交差点を通過していった。
後部に乗っていた子どもが「お母さん、止まらないと・・」というと、母親は
「大丈夫、車が来ていないから・・・」
といったという。
おそらくこの母親には、日常的に「赤信号でも、車が来ていなければ渡りましょう」という横着から派生した自分勝手なルールが習慣化していたのでしょう。
これもまたちょっとした横着が結果的には自分勝手なルール解釈としてできあがっている例です。
|さいごに
正直なところ、こういうことを書いている私も、同様なことがあります。
自分を戒めるためにも「横着の習慣化」ということで書きました。
皆さんはいかがでしょうか?
何事も初心に戻ってみませんか?
省みてみませんか?