忘れじの名作ダンジョン・マスター 追悼栗橋伸祐先生
2024年9月、漫画家の栗橋伸祐先生がご逝去されました。まだお若く、作品のご執筆中だったということで深い悲しみを禁じ得ません。僕は慌てて本棚の一冊を抜き出しました。今回は忘れじの名作「漫画版ダンジョン・マスター」とあの雄々しき4人の冒険者のお話です。
①パソコンゲームのコミカライズ
パソコンゲームが進化し、ビジュアルや物語が高度になってくると当然マンガ化という流れになってきました。これは先行してファミコンゲームで起きた現象でしたが、FCは対象年齢が低かったこともありマンガ版攻略本という内容が多かったと思います。
パソコンゲームの漫画化の先鞭をつけたのは角川書店のPCゲーム雑誌コンプティークでした。(テクノポリスとかもやってましたが😅)まず『ザナドゥ・ドラゴンスレイヤー伝説』が都築和彦先生の描き下ろしで発売され、1987年から円英智先生の『ロマンシア 浪漫境伝説』の連載が始まります。
当時を編集長だった佐藤辰男氏が鳥嶋和彦氏との対談で、「ゲームをメディアミックスするという大きなテーマがあったんですよ。歴彦さんが凄く奨励していましたしね。」と述懐されています。これは現在の角川のオタク路線の源流とも言え、時代が大きく動こうとしていました。
ただ漫画版ザナドゥもロマンシアも名作でしたが、原作ゲームとはかけ離れた内容でした。これは発売後のゲームを単純になぞる展開にすると既にネタバレしているので、エンタメとして成立しにくいという面があったと思います。したがって設定の一部を借りた「別作品」という趣でした。原作ゲームと関連作品が同時進行で制作されるメディアミックスの手法が確立される以前ですから、これは仕方がないことだと思います。
そのような中で栗橋伸祐先生の描く『ダンジョン・マスター』は連載されました。原作ゲームをプレイしているような緊迫感に溢れながら物語としても面白く、たちまち読者を虜にしてしまったのです。僕の周りでもこの漫画を読んでダンマスを始めたというプレイヤーが数多くいました。
連載の欄外などに栗橋伸祐先生がダンジョン・マスターを繰り返しプレイし、クリアーまでしたことが載せられていました。先生のゲームに対する愛情と若き日の情熱、そして圧倒的な画力によって傑作『ダンジョン・マスター』は生まれたのです。
②雄々しき4人の冒険者
『ダンジョン・マスター』は4人のパーティーでプレイします。原作の無味乾燥なキャラクター達が栗橋先生の手によって、まるでアクションゲームのキャラクターの如く大暴れする様は爽快でした。実は単行本に未収録の番外編があり、そこで各キャラクターの紹介があるので見て頂けたらと思います。
狂乱の侍・イアイドー。唯我独尊、独断専行を絵にかいたような型破りの主人公でしたが、不思議な魅力に溢れているのは彼が卑しくなく仲間思いだからなのでしょう。物語では常に先陣を切る勇猛果敢な役柄でしたが、実際のゲームでは『笠張でもしてろ』と酷評されています。
万能術士・ウーツェ。イアイドーと対照的なパーティーを牽引するしっかり者のヒロイン。本作の人気は彼女のひたむきな姿に胸キュンされた読者が多かったからではないでしょうか。物語はボケ担当のイアイドーとつっこみ担当の彼女による夫婦どつき漫才のように進んでいきます。
天才魔法少女・ティギー。物語のムードメイカー。ダンマスは殺伐とした「ダンジョンサバイバル」である過酷な世界観でしたが、彼女の天真爛漫な可憐さがその中で引き立っていました。今作の特徴の一つは「キャンプ中の描写」が挿入されている点なのですが、ここでは食いしん坊の彼女が大活躍します。
頼れる竜人・ヒッサー。パーティきっての良識派でメンバーの信頼も厚い頼れる男。この役回りをリザードマンが担当するのが混沌のダンマスらしさと言えるでしょう。一流の料理人でもあり、それがエンディングへと繋がっていきます。
ダンマスの特徴の一つに食糧管理があります。これを物語として組み込んでいるのが斬新でした。元祖ダンジョン飯ですね。
本篇を少しだけ紹介。あとがきにあるように今作は3回だけの短期連載の予定だったのだそうです。そのため駆け足の展開で進み、イアイドーとウーツェのラブロマンスは殆ど描写されませんでした。
しかし激闘を潜り抜けたパーティーの絆というテーマは完結しており、最終話でここ一番のドレスに身を包みイアイドーを待つウーツェの姿にほろりとさせられます。
③小説とその他資料
栗橋先生が挿絵を担当された小説版。漫画版と繋がりはないオリジナルストーリーです。主人公がヒッサーでウーツェがメンバーですが、巻末には登場できなかったティギーやイアイドーが暴れるおまけ漫画が付いてました。
続編は完全オリジナルな設定。ラストが衝撃的でした。
原作ダンジョン・マスターを語るときりがないのですが少しだけ資料を。
④最後に…伝説を語り継ぎたい
近年自分を育ててくれた偉大なクリエイター達が鬼籍に入られることが多くなってきました。そのたびに自分の一部が喪失してしまったような悲しみに襲われます。
素晴らしい作品たちはこれからも残っていくのでしょう。しかしそれがどのようにして生まれ、読まれていたのかを語り継ぐことは、もはや責務だとも思うのです。改めてその想いを強く噛みしめながら綴ってみました。
願わくば4人の冒険が伝説となり、語り継がれていかんことを・・・