ソ連MSX物語①ソ連に渡ったMSXの数奇な運命
僕がまだナイコン少年だった1985年の夏、帰国した父が突如「MSXを買いに行こう」と言い出しました。大しゃしぎする僕に「私の仕事用だ」とのことでガッカリしながら秋葉原へ向かう場面からこの物語は始まります。
父はソビエト連邦へのプラント(工場)輸出の専門家でした。機械技術者としてロシア語が堪能だったからです。
父は1971年よりソ連アゼルバイジャンに建設された圧縮機工場の品質管理責任者に就任します。立ち上げ時にはそのデータ管理は手動で行われていました。80年代に入るとデータ管