SNSでフォローしているのは海外の建築・インテリアばかりだけど、最近「アニメ○○の△△ってシーンに似てる」というコメントを目にする機会が増えてきた。 神々しいような夕暮れの写真とか、そういうのに多いよね。 どう表現するかは個人の感性だから、批難される謂れはないけどね。でも、それを聞いても、そのアニメを知ってる人が相槌を打つくらいしかできなくない?アニメ関連の情報ならまだしも、風景写真のアカウントに対して? たぶんこういう発言をするのは「自分の認知する世界を全世界だと感じて
SNSは今日も騒がしい。不品行や不法行為が拡散され、それを見た善良なる市民は糾弾し、重い罰を与えるべきだと叫ぶ。 スマホが普及し、論者が玉石混合になってきた中、コロナ過で人々の鬱憤がどれほどこじれるのかと案じていたが、いよいよ絶望したくなる。 糾弾というエンタメ 「事情が何であれ絶対に許されない」という事件は格好のやり玉にあがる。業界事情や法制度、事件の背景、動機、そういった事情を読むのが面倒だから、明らかにルール違反をしているニュースに群がり、石を投げる。 通りすがりに
10歳での性的被害未遂を乗り越えた人間の話。 「なぜジャニーさんが生きているうちに言わなかったの?」という声は、客観的に見れば尤もな話です。 死後いくら批難しても謝罪してもらえないし、真相究明できずに売名だの何だの言われるばっかりでは割に合わない。それでも生前、あるいは被害から数年のうちは言えない事情もあったかもしれない。 私は多少近しい立場として、自分の場合は何故言えなかったのかここに書いてみます。疑問に思う方への参考になれば幸いです。 ※ 事件詳細は言いませんが、どの
これだから田舎は? 土佐市に移住した人のトラブルでのツイートで「田舎は面倒で陰湿だから東京に移り住んだ」みたいなコメントがちらほら見えて、相変わらず東京は誤解されているんだなあって感じた。 東京は近隣に住む人との接点がないように語られることもあるけど、江戸時代から住んでいた我が家にとっては、そんな気楽でドライな土地とは思えない。ウッカリ誤解したまま東京に移住するのは危険だと思うんですよね。 都会だろうと田舎だろうと、住んでいるのは人間だもの。どこだろうと近隣住民との協調
正体不明なものを人は最も恐れる かつて医療分野で、心理の研究をしていた。 その中で最も忘れられないのが、慢性疾患を抱える人たちの心理。難病を何十年も抱えて生きている人たちの心理を理解するために、たくさんの当事者と話した。 温厚なマダムは、生意気な小娘の私にそう言った。それは健康な若者への妬みとか、病気が理解されない怒りではなく、私に真理を教えようとした。 どれだけ理解しようと努めても、体験しないと正確には分からない。理解し助けたいと奢る私には、とても痛い教えだった。 病