SNSがつまらない
SNSは今日も騒がしい。不品行や不法行為が拡散され、それを見た善良なる市民は糾弾し、重い罰を与えるべきだと叫ぶ。
スマホが普及し、論者が玉石混合になってきた中、コロナ過で人々の鬱憤がどれほどこじれるのかと案じていたが、いよいよ絶望したくなる。
糾弾というエンタメ
「事情が何であれ絶対に許されない」という事件は格好のやり玉にあがる。業界事情や法制度、事件の背景、動機、そういった事情を読むのが面倒だから、明らかにルール違反をしているニュースに群がり、石を投げる。
通りすがりに見た事件に道徳を問うのではなく、能動的に石を投げてもいいスケープゴートを探す。まるで通り魔のようだ。
空き家よりゴミ屋敷の方が目立つけど
前述の石を投げる人々を観察すると、哲学にせよ、行動にせよ、アウトプットが薄い印象を受ける。自分の世界が空ろであれば、外に求めるのが手っ取り早い。
とはいえショーペンハウアーが言う通り、外界からの刺激は、心を長くは満たしてくれない。外界でいかに豪遊しようとも、どれほど石を放っても、家に帰れば隙間風に心を冷やされる。
近所のゴミ屋敷を批難するのは容易いが、その行為は自宅の隙間を埋めてはくれないじゃないか。
借り物の石を投げる正義
この手の糾弾で最も不可解なのが、投げる石すら借り物な人だ。
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その画像は必要なのだろうか。作者も私的制裁に利用されるのは不本意だろう。そもそも著作権的にアウトだ。
だが、この人はまだマシだと思っている。一番不可解なのは、自分のコメントは一言もなく、漫画の制裁的決め台詞のコマだけを張る人だ。批難する言葉でさえ他所から勝手に借りるくらいなら、もう黙っておけばいいのに。
勧善懲悪で強い言葉を言う漫画のコマは、スカっとするんだろう。SNSという舞台の中で、強い言葉を放つヒーローを演じたいのだろうか。少なくともそれを見て得をしたと感じる読者は居ないだろう。何の役にも立たないのだから。すれ違った人の独り言を聞いた程度のインパクトしかない。
誰がSNSを冷やしたのか
SNSは情報を発信しあって、考えを深めたり、新たな視点からの意見を貰ったり、そういう有意義な利用価値があったはずだ。
今でもQuoraやRedditでは、有意義な質問に集まる回答に唸ることもあると思っている。そうそう、それを私も疑問に思ってたんだよーっていう、昔のインターネットの便利さがまだ残ってると思う。
SNSに居る人たちが突然つまらない人間になったとは考えにくい。いきなりギスギスした性格になることって、そんなに無いだろうし。
昔のインターネットサービスは、ある程度のリテラシーが無いと参加できなかったはずだ。センスの善し悪しはさておき、自分で情報を拾ったり広めたりする気のある人は割合多かったんだと思う。情報を伝える/取りに行くという目的意識があったはずだ。
今は週刊誌のようになんとなく暇つぶしに読む人も多い。スマホの普及によりインターネットのハードルが下がったことで、リテラシーとユーモアレベルが低い人たちの参加が増えてきた。注意深く読んでいないから、日本語が伝わらないことも増える。
流行り物が廃れる直前、空気読めない人が割り込んでくるあの瞬間。その薄ら寒い感覚を今感じているんだと思う。もっと前から感じている人も居ただろうし、今楽しんでる人を批難するつもりはないけど、私は時間を費やすほどの価値は無くなったと思う。
1日のツイート数とか、送受信量をもっと制限したら、みんな無駄遣いしなくなるのかね?どうなんだろう。
制限がかかるっていう噂があるたびに「フォロワーへのお返事すら全部できないじゃん」って怒る人とかいたけどさ。挨拶で埋まるTLとか、数十分かけて挨拶をひたすら返す時間とか、もったいなくない?お皿でも洗った方がまだ人生豊かになる気がする。
1日1回限りのツイートなら、あなたは何を言いますか?