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【短編小説】年末の誓い〜鬼が笑うように年を越そう

「ねえ、美雨ちゃん」
 大晦日の夜20時。ようやくバイトを終えて人心地ついた美雨は、こたつでミカンを貪っていた。
 これは人類でもっとも幸せな時間だろう。
「ねえ、美雨ちゃんってば!」
 キッチンから声がする。だけどこたつの魔力には勝てないんだなーこれが。美雨はぴくりとも動かずにミカンを貪り続けている。
「蕎麦がのびるからー」
 キッチンから聞こえる悲鳴。それでもこたつミカンは止められない。
 ごめんねー。だってこたつって朝陽くんにギュってされるより暖かいんだよー。
「それ…思ってても口に出したらダメだよ」
 しかし時すでに遅し。今は家の中で美雨は恋人の朝陽と二人きり。
 つまりツッコミが入るという事は…。
「あわわ…まさか言葉にしてたなんて」
 美雨は口を手で塞いだ。その姿に朝陽は「言い訳くらいしてもいいんだよ」と優しく微笑んだ。

 こたつに二人分の蕎麦が並べられる。
 鴨肉を乗せた、朝陽お手製の年越しそばだ。
 朝陽もバイト帰りだが、休むことなく冷水で手を洗って蕎麦を仕込み始めたのだ。
 朝陽の手が赤い。帰ってから1度も暖を取ることなく蕎麦を茹で、冷水でしめたので、キンキンに冷え切った手をしている。
 その手をきゅっと美雨が両手で包んだ。
 そしてはあっと息を吹きかける。
「冷たいね…。私の心の温もりを分けてあげるね」
 彼氏が冷え切った体で蕎麦を仕込む間、こたつミカンに酔いしれていた人の言葉ではない。
「手が冷たい人は心が暖かいって言うじゃん?手が暖かい美雨ちゃんは…」
「みなまで言うな」
 美雨は朝陽の言葉を遮った。違うよ、冷え切った朝陽くんを温められるように、こたつで待機してたんだよ。

 実家ぐらしの二人だが、今は朝陽の家で二人きり。両家とも旅行に出かけているらしい。年末まで働く大学生たちは同行できずに拗ねていたが、二人きりの年越しも悪くない。

 朝陽の作る蕎麦は美味しかった。それよりも二人で並んで食べる蕎麦は美味しかった。
 今度は私の番だね。美雨は立ち上がると、キッチンで洗い物を始めた。中々戻ってこない。水の音はやんだのだけど。
 朝陽が立ち上がると、制止する美雨の声が聞こえた。
「けして中を覗いてはなりませぬ」
 美雨ちゃんの恩返し?

 こたつで待つ朝陽の前に、四段重ねのパンケーキが置かれた。たっぷりとシロップがかけられている。
「バイト先でミックスとシロップ買ってきたんだ。1本使い切ったから、あっまいよー」
 満面の笑みで美雨は自分の三段重ねパンケーキを運んできた。
 ん〜ふふーん。と鼻息荒く、美雨は隠し持っていたホイップクリームを取り出した。
「マウント・フジ?それとも…チョモランマ?」
 いたずらな笑みをたたえた顔で、美雨は朝日に向かって小首を傾げた。なぜ2択が日本一と世界一なんだ?
「き…いや、槍ヶ岳くらいで」
 北岳と答えようとして、朝陽は途中でやめた。日本で5番目に高い山をリクエストする辺り、かなりマニアックな選択だろう。
 地理が得意な美雨にはそれが嬉しい。朝陽は自分との時間を、特別なものとして楽しもうとしてくれている。
 四段重ねのパンケーキのうえでホイップクリームが、槍ヶ岳特有の尖った形状に盛られていく。そのサイズはチョモランマ級だったが。
 ホイップクリームは飲み物だと思っている朝陽には、それが嬉しい。
 続いて美雨は3段重ねのパンケーキにホイップクリームを盛り付けていく。チョモランマ級を通り越して、オリンポス山位の量を盛り付ける。
 美雨は太陽系の惑星にも詳しかった。
 盛り付けが終わり、朝陽と美雨は大声で笑った。

 今年もあと数時間。いつまでもこんな年末が続けば良いのに…。美雨は俯いて幸せをかみしめた。

「ねえ美雨ちゃん」
 頬に天保山程度のホイップクリームの山を築いた朝陽が、突然真面目な顔で美雨の名を呼んだ。
 正座している。そして体も顔も、美雨の方にまっすぐに向けていた。
「年が明けたらさ…」
 話を切り出そうとして緊張感に耐えられず、朝陽はツバを飲み込んだ。
 ただならぬ雰囲気に、美雨は背中に冷たい汗が流れるのを感じた。朝陽くん…まさか?
「来年の話をしたら鬼が笑うよ」
 とりあえずお茶を濁そうと、美雨は話を茶化しにかかる。しかし朝陽は真面目な顔のまま、穏やかな笑みを浮かべて返すのだった。
「あと数時間だよ。今さら笑わないでしょ」
 国語が好きな美雨は慣用句をよく使う。目のそらし方から思うに、美雨は良からぬ勘違いをしているらしい。
 いや…こっちの言いたいことと逆の想像をして、勝手に焦るのやめてくれないかな。

「美雨ちゃん。ちゃんと聞いて欲しいんだ」
 改めて朝陽は居住まいを正して話し始めた。
「来年は僕たちも就職するでしょ。僕の入社する会社は、6月のボーナスを満額支給してくれるらしいんだ」
 欲しいものでもあるのかな?美雨は頷きながら朝陽の次の言葉を待った。それなら正座なんてして頼まなくても、自由に買ったら良いのに。
 急にかしこまったから別れ話かと思ってしまった。
 ホッとした美雨は放っておいて、朝陽は言葉を続けた。
「お互いに実家住まいだから、余裕あるでしょ?そのボーナスで買いたいものがあるんだ。だから許可をもらえたらって思って」
 やっぱり。美雨は拍子抜けしてしまう。気が緩んで伸ばした背筋が元の猫背に戻ってしまった。
「朝陽くんの頑張った証だもん。好きなものを買えば良いと思うよ」
 美雨はあっさりと答えたものの、朝陽は静かに首を横に振った。表情がなにか渋っているように見える。いや、緊張しているのか。
「僕たちの結婚指輪を買いたいんだよ」
 え?え?ええ?
 美雨は朝陽の言葉の意味がすぐに飲み込めず、目を白黒させた。
 飲み込んだ息が胃の中で心に吸収サれるまでしばらくの時間を要する。やっとの思いで美雨が返した言葉は数分前と同じ慣用句。
「ら、来年の話をすると鬼が笑うよ」

 如月中学校で出会った二人。1年生から同じクラスで、告白は朝陽が頑張った。初めてのキスの誘いは美雨からで、初めての…。
 ……。…。………。
 色々な二人の初めてが巡り巡って、美雨は頭が真っ白になっていた。初めての事だけではない。何度も繰り返した涙や笑顔も巡り巡っていく。
 中学の頃から10年間途切れることのなかった2人の関係。この先もずっと一緒にいられたら。そう願っていたけれど。
 朝陽が同じ気持ちでいてくれたことが嬉しかった。
 あまりの嬉しさに脳がバグを起こすと、こうも味気ない返事をしてしまうものなのか。
「来年の話をすると鬼が笑うよ」
 気がつけば同じ言葉をさらに繰り返していた。

 朝陽は肩を揺らして静かに笑った。見慣れた美雨らしい照れ方だ。しかし見飽きない美雨らしい照れ方だった。
「いいじゃん、鬼が笑っても。
 鬼が笑うくらいに、笑顔あふれる家庭を築いていこうよ」
 だからこれからの事もっと話そう。朝陽はそう続けると、本当に楽しそうに結婚生活の夢を語り始めた。

 もちろん恋愛と結婚は違う。だけど朝陽には不安なんてまるでなかった。
 中学から高校に上がる時は、学園内でエスカレート式に進学したので受験はなかった。だけど卒業した如月学園は恐ろしいほどのスパルタ教育で、月1回の実力テストで常に順位争いをしていた。クラス組は成績順で決まり、当時10クラスあった内の2クラスまでしか高校への切符は手に入らなかった。
 それは受験よりも厳しい競争の日々だった。
 それでも朝陽は美雨と勉強していると楽しかった。美雨も朝陽と勉強することが大好きで、二人とも常に学年トップクラスの成績を維持してきたのだ。
 お互いにパートナーがピンチに強い事を知っている。それはこの先の人生でとても心強いことなのだから。

「私も朝陽くんとずっと一緒にいたいと思ってたよ」
 美雨は涙目で朝陽の気持ちを受け入れた。頷いた勢いで朝陽の胸に顔を埋める。
 そして強く、婚約者となった彼氏を抱きしめた。大好きが愛してるに変わる時がきたんだね。

 抱き合ううちに重なり合う2人の鼓動。鼓動の相槌を打つように聞こえる除夜の鐘。
 年が明けようとしている。

「いつか子どもが生まれたら」
 朝陽が優しく囁いた。
「鬼が笑いすぎて、地獄で大宴会だね。いつの話?」
 美雨が茶化しながら頷いた。今までずっと二人一緒にいたのだ。二人の時間は十分楽しんだつもりだった。結婚したら早く三人になりたい。いや四人でも良かった。
「地獄も巻き込むくらい幸せになろうね」
 美雨が重ねて呟いた。愛おしい美雨を強く抱きしめて、朝陽は子どもの名前を提案した。
「美雨ちゃんの雨と、僕の陽の間だから、男の子だったら八雲くんって名付けない?」
 そうだね…。それじゃあ女の子だったら?
 美雨は朝陽にピッタリと全身をくっつけて、彼の髪をなでた。

「雨上がりは朝陽が昇る前に霧がかかるよね」
 朝陽はその光景がとても好きだった。幻想的で儚げで美しい光景だと思っていたから。
「それじゃあ…」
 美雨は静かに思いついた名前を朝陽に告げた。

 数年後二人の間にかわいい娘が生まれた。
 名前は「紗霧」と名付けられたのだった。

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