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恋人への試し行動

 試し行動、という言葉がある。相手が不快または不愉快になりうるような行動をわざとして、相手を試す行動を指す言葉だ。よく例に上がるのが「デートで恋人を安いファミリーレストランに連れていき反応を見る」という行為で、ツイッターでこの行為はしばしば大きな批判を受ける。しかし私はこの"試し行動"は褒められた行為ではないが、一方世間一般で言われているほど悪い行為でもないと考えている。なぜなら自分の恋人を試し評価する行為はかなりありふれているからだ。デートを段取りよくリードできるか、スマー

    • 撮り鉄に自浄作用を求めるのは正当か?

      撮り鉄が法(あるいは規則、マナー)に反した行動を取ったというニュースが流れるたびに、「違法行為を行うのは撮り鉄の一部である」、「確かに違法行為を行うのは一部ではあるが、撮り鉄には自浄作用が働いていないので撮り鉄の評判が悪くなるのは仕方がない」といったようなツイートがされるのがツイッターお決まりのパターンになっている。確かに撮り鉄に自浄作用は働いていない。しかしだからといってルールを守る撮り鉄にまで責任があるといえるのかについて考えたい。 議論の混乱を避けるため自浄作用の定義

      • 反出生主義者と優生主義者

        反出生主義と優生主義はよく間違われる。ツイッターで明らかな優生主義者が反出生主義を名乗っているのをしばしば見かける。しかし両者は全く異なるものであり、反出生主義の基礎的な主張を聞いたことがあるならば反出生主義においては人の優劣は全く考慮されていない、ということがすぐわかるはずだ。なぜ優生主義を反出生主義と混同してしまう人がいるのだろうか。私が思うにこれはその人が「人類の存続は善である」と強く信じているからだろう。この信念はかなり広く根付いており、「生まれてこなければよかった」

        • 論文を読む難しさを素人が想像で語る

          コロナウィルスの流行により、医療に関する誤情報が問題になっている。デマに関する論争でしばしば重要になるのが論文の取り扱いだ。論文はエビデンスに基づいた議論を行うには必要不可欠なものである。しかし一般人は論文の読み方を知らないため、信用できない論文を引用してしまったり、論文の解釈を誤ったりしてしまうことが非常に多い。そこで同じく一般人である私が論文を読むのがなぜ難しいのかを想像してみようと思う。 ①論文そのものが信用に足るものであるのかの判断が難しい。 論文は出版前に査読とい

          「価値観の押し付け」の擁護を試みる

          twitterでの議論、論争を見ていると、しばしば価値観の押し付けというフレーズを目にする。価値観は人それぞれであり他人に自分の価値観を押し付けることは悪である、という考えはかなり広まっている。人の価値観を安易に否定すべきではないのは確かだ。しかし私はこの「価値観の押し付け」という言葉の濫用には弊害もあると考えている。 「価値観の押し付け」について考えるうえで指摘したいのは、価値観の定義が明確に定まっていないことだ。価値観とは一般的に「何にどれぐらい価値を見出すか」と定義さ

          「価値観の押し付け」の擁護を試みる

          親ガチャという言葉はなぜ広まったか

          (933文字) 親ガチャという言葉がある。子供の人生がどんな親を持つかによって大きく変わる様子をガチャにたとえた言葉である。親に虐待をされた人などが「自分は親ガチャに外れた」と言ったり、裕福な家庭に生まれ不自由ない人生を歩んでいる(ようにみえる)人を「親ガチャ当たり」と形容したりするのに使われる。子供の人生が親によって左右されるのは言うまでもなく事実である。しかしこの言葉には違和感を覚える。なぜなら自分という一人の人が存在している時点で、親が誰かというのは確定しており決してラ

          親ガチャという言葉はなぜ広まったか

          「本当に賢い人は分かりにくい話を分かりやすく説明できる」という主張について

          結構前にtwitterで「本当に賢い人は分かりにくい話を分かりやすく説明できる」という主張とそれに対する多くの反論を見かけた。これをみて私の思ったことを書こうと思う。 まずわかりやすい説明とはなにか考えよう。わかりすい説明の特徴として、次の二つがあげられるだろう。一つは構成が良かったり、使われている単語がわかりやすいということであり、もう一つは、難しい話がうまく単純化されているということである。前者の特徴を備えている説明がよい説明であることは疑いの余地がない。だが後者の単純

          「本当に賢い人は分かりにくい話を分かりやすく説明できる」という主張について

          論理的思考の限界について考える

          論理的思考という言葉が声高に叫ばれ出してから久しい。目まぐるしく変化する現代においては問題解決能力が求められ、問題解決のためには論理的思考が必須であるらしい。しかし論理的思考とはそこまで万能なものではない。以下その理由を述べる。 論理とは? 論理的思考について検討する前にまず論理について検討したい。論理の典型といえば「PならばQである。Pである。ゆえにQである」という三段論法である。ここで注目したいのは「PならばQである」という部分である。論理には必ず前提が必要であり、そ

          論理的思考の限界について考える