【知られざるアーティストの記憶】第75話 ダージャの愛のことばと気功
Illustration by 宮﨑英麻
*彼は何も遺さずにひっそりとこの世を去った。
知られざるアーティストが最後の1年2ヶ月で
マリに遺した記憶の物語*
第11章 決断
第75話 ダージャの愛のことばと気功
彼の入院に時を同じくして連発されたダージャの愛のことばは、このときのマリの心に渇望されていたかのようにヒットし、染み込んでいった。それは、マリがそれまで彼に対する愛に向き合うときに、そうせざるを得なくてとってきた行動を、肯定してくれるような根拠を与える言葉であったから。少なくとも、そのときのマリにはそのように響いた。マリは夢中になってこれらの言葉をノートに書き取り、部分的には彼への手紙の中に引用した。
2022年1月9日、マリは慣れない高速道路を片道3時間運転し、ダージャに会いに行った。ダージャはその地のImakokoカフェのような、人々の集まるカフェで、絵の個展を開催中であった。カラフルに描かれた動物たちは皆、画面いっぱいに瑞々しい愛の光を放っていた。その光の中で朗らかに振る舞うダージャは自らも光の粉を振り撒いているようにさえ見え、彼女に会いに集まる人々もまた、軽やかなエネルギーの人たちであるように感じられた。
2022年1月14日、ほぼ予定通りに退院となった彼を、マリは車で迎えに行った。彼の退院日時をマリはどうやって知ったのか、マリのスマホが公衆電話による彼からの着信を初めて受けたのは、間違いなくもっと先のことであった。
マリはこの日をどんなにか待ち焦がれていたのに、彼は帰りの車の中でも家に着いてからもため息ばかりをつき、
「生きているのが嫌になった。」
という言葉を吐いた。その発言は今に始まったことではなかったが、昔の無念への執着を手放せていないこととともに、
(何も変わっていないのだな。)
とマリを落胆させた。彼の入院中、マホとの出会い、セッションや青龍詣り、「ハートの震えるほうへ」というダージャのメッセージに促されて、1月5日の金澤翔子書道展、7日の俵万智展に続き、9日にはダージャの個展への遠征と、年明けから忙しく愛を旅してきたマリは、彼との間にいつしか大きなギャップができていたことに気がついたのだった。(註1)
一つだけ前進だと感じられたのは、退院の翌日からマリと一緒に公園で気功をすると、彼のほうから言い出したことであった。彼は入院中に、マリが太極拳のY先生から借りていた『郭林新気功』を大方読んで、実践する気持ちになったのだ。
一緒にやるとは言っても、彼はマリが気功に出るよりも少し早い時間から一人で始めていて、最後の何分かでやっとマリが合流するという具合であった。コースはマリのものとほぼ重なっていたが、手順は簡略化された彼独自のものであった。気功する姿も、歩く速度は速く、手の振り方は小さく、まるでただ早歩きをしているだけの人のようで、その速度の中でほんとうに二吸一呼の呼吸法を行えているのか疑問になるほどであった。気功のスタイルにも、無駄の省かれた彼の仕草や生き方が表れるのだ。
彼とマリは初めに目と目で挨拶を交わすと、あとは互いに視線も合わせずに何度か小さい公園の中をすれ違い、のちほど彼の家で合流した。内心では、彼と一緒に気功をしているという現実にマリは笑いをこらえていた。
マリは相変わらず彼の家の中で瞑想をしたが、彼はその頃には朝食の準備をしていた。
「私は考えがずるいから、最初にご飯のスイッチを入れて、気功を30分して帰ってくるとちょうどご飯が炊けているんだよ。」
と話す彼は嬉しそうであった。片側15分ずつの30分を初めからルーチン化したのはさすがであると言える。
しかし彼は、気功のあとに瞑想をすることを頑なに拒んだ。
「私は芸術の表現者だから。思索と瞑想は合わない。」
という彼の理屈にマリは首をかしげた。芸術家が瞑想をしないなんて聞いたことがない。むしろ芸術家こそが率先して瞑想をやりたがるようなイメージを持っていたので、彼の思考回路を理解しきれなかった。しかし、マリは彼の生き方をとことん尊重した。
「彼はクレバーだけど、考え方がかなり独特やから、複雑に考えていて、そことそこをくっつけたん?って感じなんよね。」
と、マホがセッションのときに話したのをマリは思い出した。
★この物語は著者の体験したノンフィクションですが、登場人物の名前はすべて仮名です。