ショートショート「ING」
ピーンポーン
ピーンポーン
玄関のチャイムが鳴り響く。
それでも、この家の住人は、出て来ない。
我々の訪問も、この家で最後だというのに…。
それにしても、この家は、古い。
レトロというべきか…。
築何年位の家だろう?
「出ないですね。中、入りましょう。」
と俺の相棒が言う。
まぁ、俺達なら、すぐに中に入れるよねなんて思っていたら、中から、この家の住人が出てきた。
「まぁまぁ、今から買い物にでも行こうと思ったら、あなた達は、誰ですか?」
腰が折れ曲がり、顔には、沢山の皺が刻まれている。
老女だ。
俺達は、早速仕掛けたが、びくともしない。
相棒が驚いているから、俺が説明した。
「彼女は、恐らく、両耳が聴こえていない。老化によるものだろう。」
「この時代に、老化…。まさか…。」
彼女は、恐らく、最後の人間だろう。
いや、最後の第一人類と呼ぶべきか…。
彼女以外の人類は、皆、不死を選択した。
そして、手術し、第二人類へと移行した。
彼等は、今の姿を永遠に維持し続ける。
誰もが、若い時の姿を熱望し、手術して、進化(?)した。
しかし、彼女は、この田舎の古い家に篭って、人間として暮らしているという事なのだろう。
窓の外に目を移すと、田んぼや畑が目に入った。
彼女は、恐らく、ここで自給自足の生活をしている。
それが、長生きの秘訣なのだろう。
実は、近年、まだ全員が第一人類だった頃、ある事件が起きていた。
クイックフード事件だ。
誰でも、手軽に美味しくものが食べられるクイックフードが流行り、一大ブームになっていた。
しかし、クイックフードを食べて、具合が悪くなった者が相次いだのだ。
特に、年を取った者が命を落としたケースも多々あった。
彼女は、自給自足の生活をしていたからこそ、命を落とさずに済んだのだ。
俺達は、彼女に招き入れられた。
ずっと、一人でここで生きてきて、久しぶりの客なのだろう。
しかし、彼女は、耳が悪いのに、補聴器やケア等を一切していない為、コミュニケーションが取れなかった。
「どうぞ。つまらないものですが…。」
彼女は、お茶とお菓子、そしておにぎりを我々に差し出した。
相棒は、それらの食材を初めて見たのか、物凄く驚いていた。
俺も、彼女の生活が非常に興味深かった。
おにぎりを口に運んでみる。
米粒が一つ一つ立っている。
塩だけで、これ程、美味しい味になるのか…。
相棒も、俺に負けじとわしゃわしゃと食べている。
彼女は、この家で細々と暮らしている。
買い物も、自分の足で、行き帰りをしているのだろう。
近年、人間の移動手段は、フライングカーになっていた。
文字通り、空飛ぶ車だ。
しかし、フライングカーの事故が相次いでいた。
人は、長年、地上を走り続けていたのだ。
いきなり空に慣れる筈もないのだ。
無理はない。
まぁ、フライングカー自体に欠陥があったという報告もあるのだが…。
彼女には、話が通じないので、俺は、躊躇なくテレパシーを使った。
相棒は、そんな俺の姿に驚いていた。
俺は、彼女に、こう伝えた。
「近いうちに、また来ます。」
と。
彼女は、何の疑問も持たずに、笑顔で頷いた。
この年になると、大抵の事は、驚いたりしないし、変に深く考えたりは、しないらしい。
彼女の家を出るなり、慌てた様子で、相棒が俺に尋ねた。
「良いんですか?このまま家を出て。」
俺は、頷いた。
「このままで良いだろう。何の問題もない。」
俺は遠くを見つめた。
「彼女は、恐らく、老衰で近々亡くなる。地球が滅亡する前に。その時は、俺が全部、面倒を見るさ。彼女は、土に還りたいはずだしな…。」
相棒も頷いた。
「訳の分からない知らない惑星に骨を埋めたくはないでしょうからね…。」
数メートルが過ぎて、俺達は、変身を解き、元の姿に戻った。
それにしても、彼女は、耳が聴こえないとは驚いた。
まずは、人間が耐えられない音を出して、気絶させ、捕獲する算段だったのだが、彼女には、全く効かなかった。
全ての機能がケアできる時代に、耳が遠いままの人間がいるとは…。
彼女が都会に住んでいたら、また違った運命だったのかもしれない。
この辺鄙な土地が、彼女を人間として生きて、土に還る運命へと導いたのかもしれない。
俺は、最後の人間の姿に惚れ惚れした。
彼女以外の人間は、永遠の命を持つ、第二人類になったのだ。
しかし、皮肉な事に、地球という惑星の寿命が刻一刻と近付いていたのだ。
そして、我々宇宙人が、地球人を救ってあげる事になったのだ。
今後、彼等は、我々の星で永遠の時を生きる事になる。
自分の知らない土地でだ。
非常に気の毒でならない。
しかし、彼女は、別だ。
彼女は、人間として生きて、寿命がきたら、自分の住んできた地球という惑星に骨を埋める。
素晴らしい生き方だと思う。
相棒は、俺に言った。
「彼女に、地球が滅亡する事を知らせないのですか?」
俺は、頷いた。
「ああ。知らせないよ。知らないまま逝った方が幸せに違いない。彼女の中で、地球は、INGなんだ。現在進行形、分かるか?」
相棒は首を横に振った。
「長い間、テレパシーを使っているから、地球の言語を深く勉強していないので、分かりません。すみません。」
俺は、笑顔で言った。
「彼女の生き方に惚れたわけだよ。実にカッコ良い。人間は、そういう循環の中で生きてこそ、幸せなのかもしれないな。こんな世紀末の世の中ではな…。」
いつの間にか、夕陽が西側の空を照らしていた。
あれから、随分と時間が経ったのだと気付かされる。
地球は、静かに夜になろうとしていた。