蟹の親子丼|味暦あんべ|嘗ての焼肉部
旬な食材を嗜む、ちょっと背伸びしたい年頃だった。アプリ業界は激務で、毎日がタクシー帰りか、徹夜だった。今週もきっと土日は出勤だ。若い二十代半ばのチームは10名ほど。日々疲弊していて、社長からはその残業を厳しく咎められた。
社長は何も分かっていない。現場では、やらなきゃ信用を失って、それは即ち、仕事を失うことと同義なのだ。うちは小さな会社だ。競合の他社は大手で、この現場の仕事を失っても他の仕事がある。同じような若いチームだったが、そんなプレッシャーが無いからだろう、毎日が楽しそうだ。うちの会社はこの現場の仕事を失ったら、このチームに属する全員が一気に無職に等しい状態になる。その一時的な無職を凌げるようなキャッシュをうちの会社は持っていない。だから、営業部長には良くしてもらっている。この現場の仕事が継続できるのは、開発現場の皆の頑張りがあるからだと。社長だけが、認めてくれない。このチームだけ、この冬のボーナスが支給されなかった。
僕らは、その積もり積もった鬱憤を抱えて、鳥取へ向かった。いつものメンバーで。別に、集まれと号令して集まったわけじゃない。気がついたら増えていて、気がついたらこの面子だ。あるとき、社内の別の開発チームから「焼肉部」と揶揄された。学校の部活動、そんな子どもじみた集まりだと思われていたのは心外だった。だがそのずっと後に伝え聞いたのは、実は僕らに参加したかったということ。素直に入れてくれと言えばいいのに。それは最後まで敵わなかったが、「焼肉部」というワードだけはいつまでも僕の頭に残っていて、それに反抗する為だったのかもしれない。今回の旅の目的は焼肉ではない、「蟹の親子丼」だ。
「蟹の親子丼ってどういうこと?」
若い僕らは、「蟹の子」を食べたことがなかった。蟹身、蟹味噌、内子、外子が全て乗っかっている丼が鳥取にあるのだ。店の名は「味暦あんべ」。地元でもかなり有名らしい。勿論、蟹の親子丼の味についてもだ。
ちょうどお腹が空いてきた昼前に到着して、その殺風景な外観に少しばかり驚いた。場末のスナックみたいだというのが素直な印象で、本当にここなのだろうかと、皆で顔を見合わせた。そんな半信半疑な失礼な気持ちで扉を開けると、中は打って変わって賑やかだった。そして仄かに漂っていた磯の香りが充満してくる。これはもう堪らん。
迷わず皆で「親がに丼」を頼む。3,500円という値段に若干たじろいだが、期待が上回って平常心を装う。予想では、こういった高級な類は小ぶりな丼で登場するだろうと斜に構えていたが、想像よりも一回り大きい立派な丼が目の前に並んだ。そして「かに汁」はお代わり無料という気前の良さ。
美しい。その一言が相応しい。このサービスと、この蟹よ。蟹の子を初めて見た。初めて食べた。こんなに濃厚で、とろけるようで、味噌と身の絡み合う絶妙な旨味、これは本当にこの世のものなのか。こんなものは食べたことがない。3,500円なんていう感覚が一切しない。1,000円以下程度の出費にしか思えないくらいの割安感。こんなに手の届く値段でこんなに良いものをこんな歳で食べていいんですかって、無宗教でも思わず神様に懺悔したくなる。帰りの車で事故に遭って死んでも悔いはないと思えるほどの衝撃だった。
少なくとも、僕らは社長から認められずボーナスも出なかったけど、その鬱憤は間違いなく晴れていた。食べ終わって、格好もつけずに、店の前で惚けた顔で立ち尽くした。
「そうだ、砂丘に行こう!」
誰かが言い出して、そしてそのまま砂丘に向かった。
砂丘を舐めていた。革靴で砂丘を登って、死ぬ思いだった。普段、デスクワークでプログラミングしかしてないから、砂丘の上り下りで強烈に吐きそうだった。絶対に吐き出さない。そんな勿体無いことはできない。この蟹は絶対に全て消化する。
「そうだ、水木しげるロードに行こう!」
誰かが言い出して、パンパンの両足で鬼太郎を見に行く。
と、その前に、漁港に寄って、親がに丼を再現できないのは分かっているけど、皆して蟹を一匹ずつ買った。生きている。家に帰るまでに死んでしまうか心配だった。一緒に蟹も連れてねずみ男を訪ねる気分だ。水木しげるロードに到着したのは日没後で、街灯もない暗くて見えない石像ばかりだったので、皆で苦笑いした。じゃあ、帰ろうか。
運転係には申し訳ないけど、砂丘の疲労で家の最寄りまで熟睡だった。蟹は活きよく生きていた。でも食べるためには殺さないといけない。なんだか可哀想だ。僕の手では殺せない。一晩放置しても蟹は死ななかった。ネットで調べて真水に浸すと殺せるとあったので試してみた。次の日まで死ななかった。逆に苦しませて、ごめん。
旨かったよ。
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食費入力のみ家計簿アプリ「食費簿」、自慰管理アプリ「アイナーノ」、どちらも御陰様で好調です。より良いアプリ開発に役立てます。