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親父と会ったタイミングで、腹を割って泣きながら話すことができた。 結果、対等な親子関係っていいなあ!と、新たな充実感を得ている。 親父とはビデオ電話もするようになったし、そもそも与えてもらい受け取ってうまく回っている状態なのだが、ここのところ親父がkeyであるらしい。 現在母が音信不通なので(拗ねられている)、そっちのほうが問題じゃね?と思うのだが、私は吹っ切れているし、あとはもう相手のprocessと時間に任せるしかないということで、母の出番ではないらしい。 というわけ
毎日がつまらない。私がいけないんだ。 それは、いつも感じていたけれど、目を逸らしていたことだった。 今の日常はつまらない旅行に来ると言っていたPartnerが来なくなった。私は久々に怒りを感じながらも、相手を責めることはできないので、そうとは気づかずに凹んでいた。コントロールでもあったことには、あとで気づいたのだが、それは置いておく。 それから数日間、手放した私は、無意味感を感じていた。恋愛がない、相手のことを考えていないって退屈だ。だけどこれも受け止めなければ…ほかの誰か
過去の自分に伝えたい、今の"悪くない日常"について。 今の日常家から歩いて20分、ベトナムのレストランでオーダーし、テーブルに座って"まんが自己肯定感本"をkindleで読みながら待つ。 Banh miにfried rollsを付けたので、食べきれるか不安だったけれど、問題なく食べられる。土曜日の昼にsandwichを買えるお店は少ないのだけど、ここは開いている。 そのあとは来た道を歩いて戻る。日本はとんでもなく暑いらしいけれど、こちらの気温は24℃。涼しい。たくさん食べ
この、裏話。 世界中どこに行っても、うまくやれる私。 誰とでもつながれて、つなぐことができるのが、私の才能。 衝動生まれてこのかた、移動を繰り返している私。 「逃げているの?」 「意識的には、逃げていない。笑」 「無意識的には、逃げているの?笑」 「私は転校していて、地元を失ってしまったから、戻る場所がなくて」 そんなやりとりを、soulmateと会ってdrinksをorderしながら、したわけだけど。 移動を楽しんでいる部分がある反面、衝動によるように見える、と言われ
気になっているtherapist/カウンセラーがいた。ちょうど、感謝のワークモニターを募集しているとのことで、連絡を取り、始めることにした。 感謝をしている間に、今気になっている色々なことがうまく回り、予想外な良いものが入って来てくれたらいいな、と他力本願だった。 Soulmateとうまくいくこと Career/lifework/callingが見つかること 夏とその後の予定が決まること 豊かさを受け取ること そんな、欲張りな(のか?)ものを最初に考えた。 結果…
いろんな国に住んで、いろんな国の人の話を聞いてきた私が、豊かさと幸せについて思うこと。 停電の過ごし方NY郊外で、トトロどころかハイジみたいな環境の寮に住んでいたとき、Hurricaneが来て停電した。街路樹と電柱が近くに立っているから、木が電柱を倒してしまい停電になるらしいのだが、その後数日間、家では水しか使えなかった。学校や友達の家は問題なかったので、gymでシャワーを浴びたり、友達の家に泊まらせてもらったりして私は過ごした。寒い時期だった。 そのときとても印象的な出
誰かが亡くなるとき、いつも私はそばにいない。お葬式には行ったことがない。 Sunday予感は、あったと言えばあった。ここ数週間調子が悪くて、何だろうと思っていた。ある朝、はな、と浮かんで起き、花を買ってみたら、その日はおばあちゃんの誕生日で、花をすでに手配していたことを思い出した。 知らせを聞いて、気づけばお昼を食べていないなあ、と思い、Pancakesを食べに行った。道中でhousemateに会ったので、 "I'm fine, but my grandma passed
いつか書いた通り、臨床心理学的なものに助けられた私は、もっと自分と向き合って、人生変えていくぞ!と意気込んだのだった。 安く、ひとりで、本を読む私は本を読んで知識をつけたいタイプなんだけど、この組織(神戸メンタルサービス)、本はあまり出してないんだよね(あるものは読んだ)。同時に、よくブログの人生相談で見かけて、この人いいな、と思った人が退会している、ということも何度かあった。理由は考えなかったけど、ある時、"このサービスを退会したカウンセラーって、独立してるやん!本も書い
"人がきっかけでいい流れに乗るような気がする"、と言われてから2週間。 忘れたころに、ある人と出会い、きっかけがあってStand.FMを始めました。 私はラジオが好きで、高校受験あたりから、かなり聞いてきた。アメリカ留学前は、ラジオパーソナリティになりたいと思っていた。 アメリカに行ってから、Podcastやってみたら?と言われたことは何度かあったけれど、配信する内容もないし、当時は自己肯定感も低かったので、私が喋ったところで需要もないと思っていた。今のように誰でもYouT
週末のstand.FMで、移動が多く、住んだ家の数は19軒!という話をしました。全部数えたら21軒でした。 生まれた横浜のマンション。記憶なし。 私を連れた通勤が辛かったので、親が職場近くに借りた2軒持ちの家。外から見た記憶はあり。 生まれ育った東京の家。今でも持ち家。8年。 札幌で最初に住んだマンション。4階エレベーターなし。6年くらい。 高校のときに引っ越した、駅近のマンション。2年以下。 ここから家を出る。東京で住んだ永福町の寮。1年。 寮の期限が切れたけ
"親を手放していい関係になって、親から車をもらった"、という話を聞いて、いいなあ、私もそういうのほしいなあ、と思った。 だけど、実際に起きてみると、申し訳ない~と思うものだった。嘆きつつ感動しつつ感謝しつつ、これが親の愛情表現だと受け入れて、受け取れるようになっていくのだった。 連絡を絶つ都庁に入ってから、今思えば大人の反抗期で、親父との連絡を絶つことにした。仕事を楽しんでいる人で、話を聞くのが昔は楽しかったはずなのに、今や会っても会話がうまくできない。私の体型にコメントを
大人の反抗期を経て、おばあちゃんが大好きだったことに気づき、会いに行った話です。 背負ううちの親父は、私が生まれる前、母とも出会う前に父親と弟を亡くしている。おばあちゃんからすれば夫と息子である。 おばあちゃんの兄弟は多く仲がいいものの、私と弟にいとこはいない。2人が亡くなったあとに私が生まれ、おばあちゃんは息子2人だったこともあって、とても嬉しかったらしい。とても可愛がってくれたし、お年玉も多かったし、おばあちゃんの家にはいまだに私が子供のころの写真がいくつも飾ってある。
「カピバラさん」は高校生のときから知っていたけれど、動物のカピバラを好きになったのは、テレビで"打たせ湯に打たれるカピバラ"を見たことだった。 「カピバラが打たせ湯に打たれてる…!」と、悶える私に、 「それは…テンション上がるねえ」と、冷静な弟。 以来、打たれるカピバラを見たい!と思うようになった。母がすでにカピバラ好きで、カピバラ写真家のカレンダーを買ったりしていて、合わせているうちに私も熱量が上がっていった。 渡辺さんそうしてカピバラ写真家の渡辺さんをfollowする
仕事の内容は書かないつもりだったんだけど、先週colloquiumでclimate change/urban architectural historyの話を聞きまして、 「私、2か月前まで日本の自治体のClimate action plans手伝ってましてん」 と、簡単にプロセスを説明したので、ここでも書こうかなと思った次第。日本は法律があってマニュアルがあって従う形だけど、国によってやり方は違うよね~。環境省マニュアルに載っているから、隠すことでもないし。 あくまで私の見