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怖がりでつながる私の才能

この、裏話。

世界中どこに行っても、うまくやれる私。
誰とでもつながれて、つなぐことができるのが、私の才能。


衝動

生まれてこのかた、移動を繰り返している私。
「逃げているの?」
「意識的には、逃げていない。笑」
「無意識的には、逃げているの?笑」
「私は転校していて、地元を失ってしまったから、戻る場所がなくて」
そんなやりとりを、soulmateと会ってdrinksをorderしながら、したわけだけど。

私のsoulmateは、心理学は一切かじっていないけれど、こういう質問をする人。投影なんて考えを教えてしまったからには、まとを得ていて爆笑な質問を、山ほどされるという。苦笑

移動を楽しんでいる部分がある反面、衝動によるように見える、と言われた。理由は、怖さ、さみしさ、孤独。

ところで、さみしさと孤独って、英語ではどちらもlonelinessですよね~

好かれたくない

ところで私は、好かれることについて、とてもネガティブなイメージを持っていた。この理由はもちろん、感情的ネグレクトな母である。

  • どうか私を好きにならないでくれ。

  • 好きな人が去ってしまったら、あなたは辛いでしょう。

  • 私は誰も悲しませたくないんだ。

仕事を辞めてベルギーに来る前、元同僚ボスに対して思っていたことはこれだった。

これは、今となってみれば、完全に投影である。
「私が好きになった相手に去られることが、とても悲しい」
それが私の本心だった。さらに深くは、

  • 私を好きになんかなってくれないんでしょう?利用したいだけなんでしょう?

  • 私があなたを好きでも、大事だと思っていても、あなたはそうは思わないんでしょう?

  • 私がいなくても、生きていけるんでしょう?

と思っていたらしい。

Musicalは楽しかったし、私が来年exchangeに行くということについて、Musical peepsがさみしがってくれたこと、「来年も、後半からでも、入れるよ」と言ってくれたことは、とても嬉しかった。ただ、実際のところ、それで距離がとんでも縮まるかというと…すでに仲のいい友達でつるんでいたり、趣味が合わなかったりで、つながることは難しく、もどかしさを感じていた。私はこの人たちが好きなんだけど…と。

いつもそうである。思い出すのは、転校前のこと。
「能力や見た目が同じ人がもうひとりいたなら、自分としての価値はどこにあるのか」という話を、なぜか弟にしていて、「それを求めるのはなかなか難しい」と母に言われた覚えがある。
当時私が感じていたことは、"私らしさを見てもらえていない"ということ。
弟に取られるとか、越されるという不安はあまりなかったと思うのだけど、"私の失敗を見ているこいつは、何事も私よりうまくできる"と言っていたのは事実なんだよね。

同じことで不安になっている人がいるのかわからないけれど、実際は全然そんなことなかった。私たちは違う人間で、年の差もある。競争したことも、優越感や劣等感を持ったこともないし、私はぶっ飛んでいるしで、弟は、
「姉のやっていることは、楽しそうに見えなかったから、やりたいとは思わなかった」とのこと。苦笑

そして、自分自身に影を落としたとは思っていないけれど、この出来事である。学級委員で、クラスで一番頭が良くて、絶対音感でピアノも弾けて、絵も描けて、みんなから一目置かれていた私が転校したあと、みんなはさぞ悲しんでいるだろうと思って友達と電話したところ、
「私がいなくなって、何か変わった?みんな悲しんでいる?」
「…いや、何も変わらないよ」
と、言われたこと。

その時から私は、パラレルワールドを生きているような気分だった。転校しなかったら、私は楽しく生き続け、つながることができたのだろうか。それとも、中学から女子校に入れられ、遅かれ早かれ同じ問題に直面したのだろうか。
結論としては…こうして今、世界を股にかけている私は、blue collarな下町でもやはり飛び抜けてしまい、去ることになったんじゃないかと思うんですよね。

満足と退屈

今回、私が相談したかったことは、満足と退屈だった。
私が満足できる、人、場所、仕事、組織なんて、存在するんだろうか、と。

新しい環境に行くと、すべてが新鮮である。友達ができて、communityに入って、私は何かを成し遂げる。Musicalとかね。
新鮮でいるうちは、気にならない。でも、慣れると、退屈してしまう。
この場所も完璧じゃない、満足できない、と。

3年住んだUClubは、良かったんだよね。毎年半分くらいはhousematesが入れ替わり、自分としても、学年が上がったりして、変化がある。もちろんこれは環境的なものも大きく、学生であるからには、みんな編入したり卒業したり国に帰ったりで、私が移動しなくとも、まわりは去っていった(そして新しい人が来る)。とはいえ、家や勉強する場所やらは残る。
それくらいの大きい変化がないと、停滞…と感じるようになる。異動できなかった都とかね。

そんな変化が大きい環境も、普通じゃない私には合っていると受け入れて、求めてもいいのかもしれない、と思っていたところだった。

つながりたい人

そして、これまで色々取り組んできて、両親を手放したり、棚卸しをした甲斐あって、私はついに…というか、
この人とはつながりたい、近づきたい、そのために怖れもすべて越えたい
と感じる人(soulmate)と出会うのである。
不思議なくらい、物事はうまくいった。外の何かが味方しているんだろう、right personを見つけたら、こんなにも簡単なのか!と思った。

そして、準備ができたということなのだろうけど、この人と向き合ううちに、移動を繰り返すことが、嫌になってしまった。
新しい場所に行けば、また新しい人と出会い、おもしろい話を聞いたりして、casualな距離の友達が増える。そして、然る時が来れば、私たちはまた離れる。近くに行くときには連絡するね!と言いながら。
そんな一連の流れに、なんだかつかれてしまっていた。飽きっぽい私は、移動にすら飽きる…というわけではないのだが、また移動して、1から関係を作って、communityに入り直すの?それはうまくできるけどさあ…と、思うようになった。
「なんか、嫌になっちゃったなあ。なんで私は移動して、1から関係を作り直さないといけないのかなあ」
「そうだよ。すでに留学しているのに、どうしてさらに交換留学に行きたいと思うの?」
「Programが良くないんだよ。Skillsをつけるためには、行かないと。そのskillsも、得意じゃないし、役に立つのかどうか、仕事で使うのか、使いたいのかどうかも、わからないんだけど。それに、ベルギーには退屈してるの。住むにはいいけれど、天気も良くないし、暇だしね」

そう、soulmateがいても、退屈な国ではある。苦笑
「私がstayするなら、それは場所ではなく、人だと思う」
「Soulmateってことね」
そんな話を、当人にした。

「Exとは、近くに住むことにはならなくて、ちょっとがっかりしたけど、考えてみればどちらもreadyではなかったと思う。誰かと一緒にいるために、自分の人生を変更するって、相当なcommitmentだよね。誰かがあなたのために人生を変えるって言ったら、どう思う?」
「誰かが変えるなら、それはその人の選択だと思うから、罪悪感は感じないな。ただ、もし私が変えるなら、その関係はうまくいくのか、後悔しないのか、機会を逃すんじゃないかって、考えちゃうなあ」
これが、私たちがお互いに感じている、trade-offである。

この人に受け入れてもらうことを想像すると泣いてしまう、というのがこの頃から続いていた。言うならば、穴が開いて、水が漏れ始めていて、もう限界だった、ということなのだと思う。これほどに出たかったものは、今回セッションで話したことにより、いよいよ決壊した。

記憶に残ること

人をつなぐことが私の才能と言われれば、そのとおりだと思う。嫌悪感はないものの、「そうはいっても、私は、そんなに好かれていないし、人々と距離が近いわけでもないし、大した才能じゃないしな」とは思った。苦笑

そして、私が死ぬわけではないのだが、死生観、脆さ、儚さを感じるらしい。出会った人の中に、少しでも自分が残っていてほしい、と。
そんな意識はなかったのだけど、聞いて思ったことは2つあった。ひとつは、誰かが亡くなる時、私はいつもそばにいないということ。そしてもう一つは、私が会うことのなかった、おじいちゃんとおじさんのこと。

人が去っても、想いは残る。おばあちゃんも親父も、楽しそうに生きているし、荷物が詰め込まれてはいるけれど、おじさんの部屋は、当時のまま、まだおばあちゃんの家にある。そう。去る、というのは、物理的には正しい。私は場所を去ってきた。誰が亡くなっても、何が起きても、毎日は続くし、日本であれば仕事も長く休めない、というのも、事実だと思う。
思い出すのは、リンパ腫で夫を亡くし(この人は私のとなりの部屋に住んでいる教授だった)、その後父親も亡くしたある人が、しばらく経って元気になり、会いに来てくれて話したときのこと。(なぜ私?だったのかは、わからない…)
Do you feel lonely?と聞いたところ、
「Lonelyとは言わないわね。そう見えるかもしれないけど。今まで生きていた目的が、なくなってしまったわ」とこの人は言っていた。

だけど、終わったことに意味がないのか?といえば、それはまた別の話である。「離婚はしたけれど、子供たちもいるし、結婚しなきゃよかったとは思っていない」とは、家に帰ってきてほしくない、と親父を追い出した母の言葉である。

私に意味はあるのだろうか

そう考えてみると…私は人をつないだり、その場で人を助けることはできても、深いつながりにはなれないし、私が思い出すほどほかの人は思い出してくれないし、それぞれの人生で誰かを見つけて家族をつくって生きて行く…私は、その場で人を助けることはできるけれど、それだけで記憶にも残らないし、大きな影響を及ぼすことはできない、という思いは、確かにあてはまるものがあった。

ところが、今までそうして、「ない」で見ていたものを、「ある」と思って見てみると、ある証拠が見つかるのである。

"私が去っても何も変わっていない"と言った友達とは、その後も何度か会っており、今や家族を含めてやりとりをしている。
普段連絡を取らないけれど、"いつもOfflineじゃない、話したいのに"、"もっと頻繁に連絡してよ"と言ってくれる友達もいる。
東京の友達も、Housematesたちも、みんな私に感謝し、楽しい思い出を持ってくれているのだろう、と思った。

これが私です

セッション後にメールをもらい、イメージワークを読みながら想像して、私は泣いていた。この日、私はPMSで泣く日だったけれど、いつもの表面の泣きではなく、深くから、泣いた。
何が起きたのか、わからなかった。"とんでもない質量のもの"とされたものが、どうやら出たらしい。限界だったらしい。

そう。私は子供のころから、怖がりだった。それだけの、怖れや無価値観や孤独を、私は抱えていた。
それって、普通じゃなかったのか。誰だって、career/partnership/etcに怖れを抱えているものではないのか?


すっかりcut openになってしまった私を隠さずに、この夜soulmateと会った。隠せなかったし、隠さなくていいと言われたしで、孤独と怖さを抱えたままの私をイメージして、会った。
この人が話し、私が笑い、嬉しくなってさらに話し続ける。そうだ、私たちはこうだった、と思う。いつもより、私を近くに感じてくれているように感じた。次の予定もすんなり決まった。

ちなみに道中では、久々に…というほどでもないのだが、お約束のcatcallingをされた(フランス語なのでわからない)。開いていると、こうなるよね~

Aftermass

その後は、生理もありつつ、頭に血が回らない、energyがなくて動けない数日を過ごした。なんだかすごいことが起きたcleansing reactionだからしょうがないよな…と思いながら、翌日はイメージワークのとおり、つながりについて思うことを書き出した。何も感じないまま、3ページ書けた。それは確かに、ずっと思っていたことだった。
翌々日はイラストを完成させた。それも、色を塗ることですらも、疲れてしまって、一気に動けなかった。孤独とさみしさと怖れって、*普通の人*はそんなに持っていないものなのかなあ?私が大量に抱えているのかな。それでもいいけどな。そうするしかないしな…だからこそ、孤独で怖い演技がうまくできるのかもしれない。これも才能かなあ。

この2日間は、あっという間に過ぎて行った。
いよいよ受け取ったから動こう、暇だし、と思ったので、翌日はlibraryに行った。

Reach out

ところでlibraryに行ったのは、追試だからである。それも、今回はかなり不安だった…というのも、Prof.の説明が上手くなかったし、slidesにも説明が全然ないし、recordingsもないからである。

あとでわかったことだが、クラスの1/3は追試になっていた。だから私だけじゃないのである。苦笑

この不安の感覚は…ひとりでやりたくないな、誰が助けてくれるだろう?と思い浮かんだclassmateに聞いてみる。"何かがほしくて連絡してくる人ってさ~"、とhousemateに言われたのを思い出して、迷惑かな、と思うけれど、私はこれまでに、この子とは利用ではなく普通に話ができる関係だったし、好かれているはずで、私の力になりたいと思ってくれるかもしれない。
それに、セッションのあとで、もう葛藤するエネルギーはなかったので、軽々と越えてしまった。苦笑
この子はすぐに、勉強方法を教えてくれて、ノートをうまくとっていた友達を紹介してくれた。その子にも聞いてみると、すぐにノートを送ってくれた。この子と以前鉢合わせたとき、私は体調が悪く、感じ悪かっただろうということが気になったので謝ると、
「ハハハ、みんなそういうときあるよ!」とのことだった。

並行して、行ったことのない町に行くため、おすすめはない?と、そこに住んでいるmusical peepに連絡を取ったところ、これまた、すごい量のおすすめを、すぐに返してくれた。この子とも私は結構話して、仲良くしていた間柄だった。

助けてもらう、困ったら聞く。それは、今までも取り組んできて、できるようになってきたことのはずだけど、やっぱりためらってしまう自分がいた。
つながりを拒否していて、受け取れなかったのは、私だったんだな、と気づく。

その後

1週間経つ頃には、今まであった怖れが嘘のように、気にならなくなっていた。好かれたり好きになったりする前に去らなくては、という衝動も、満足も退屈も気にならなくなった。
それはただ、あるもので、怖がるものではない。

↑の行ったことのない町に行ったところ、今まで感じていた"ここもイマイチ感"がないことに気づいた。町のいいところに気づき、楽しむことができた。
つまり私は…ベルギーに定着するつもりらしい。卒業してもベルギーに1年いられる制度があって、制度だから利用すっかな~と思っていたけれど、それだけではなく、決めたらしい。天気が良くなったわけでも、美しい景観に変わったわけでもないけれど、笑、定着するという選択肢が手に入ったのである。

とはいえ、ブレーキを手放したら、進むかどうか自由に選べるようになった、ということなので、移動を繰り返す人が手放したら、定着する人になる…わけではなく、移動も定着も選べるようになる。
だから外のいい機会も捨てない。これがこの後、新しい問題になりそうな気配は、すでにある。。。

もう隠せない

その後、起きたことは2つだ。
ひとつは、親友のお母さんが、亡くなった。このあとに泣いたことで、私はここ最近の原因不明の泣き状態から、涙が乾いた感覚があった。これまで散々泣いていたのは、これを拾っていたからだったのか、と。
もうひとつは、孤独と怖さを受け入れて前に立ったことで、もう一つ私が、出したくても怖くて隠していたものが、隠せなくなってしまった。

涙は乾いたはずなのに何故こんなに苦しいの!?と、泣きまくるdeadzoneな1日を過ごしたあと、私はsoulmateにそれを出した。
その結果―私たちはさらに、深くつながることができた。

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