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アメリカ留学

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大学2年目~大学院+OPTの6年間、アメリカに住んでいました。ディベートやバイトや幅広い国籍のhousemates/classmatesとの暮らしの話です。
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言語と留学の質

言語はスポーツトレーニングと同じだよなあ…と考えていて、配信しようと思っていたけれど、いろいろ浮かぶことがあり、書くことにした。 私が今まで学んできた言語は6になった。日本語…は国語があったから学んだことにすれば、英語、スペイン語(未だに第3の言語)、ネパール語(独学)、フランス語、オランダ語である。 ぶるぶるに来てから混乱を極めているが、日英どちらも同じようにできるというのが長年のidentityである。だからして、この2つについて考えていた時間がとても長く、日本での英

留学するための学校時代

高校卒業後、"留学する人が1年間行く学校"に通った。今回はそのときの話。 高校にて私は海外に興味があるタイプではなかった。それでも留学した理由はこれだ。 上のとおり、高校に入った時点で、私はアメリカの大学に行くつもりだった。 高校で大学案内本をみんなもらったとき、最後の最後に"その他"というかんじで、この学校が載っていた。そして、説明会も定期的に地方でやっていたため、私は早速会いに行った。このときの担当の人は、印象も良かったので、とりあえずこれで行こう、となった。高1のと

アメリカ・ベルギー留学相談

私は以前、"マイペース留学生の頭の中"というブログをやっていた。東京の寮時代から始め(当時流行っていた)、なんとなく書いていた。タイトルは「ホームレス中学生」と「ダーリンの頭ン中」から取った。 帰国してしばらくして、日本語で配信したいものがなくなり、閉じてしまったのだが、このブログでは、留学質問を受け付けていた。 経緯NYの学校(SUNY RCC)を1年で編入するつもりができなくなってしまい、2年間いるときになったとき、男友達に言われた。 「もう1年いるなら、何か新しいこと

ボストンキャリアフォーラムからDCインターンへ

Bostonで惨敗した翌日、望んでいたインターンが決まりました。 あなたの道はそっちじゃない。他の人には難しいことも、あなたにはできる。そう思っていたことが、示された経験でした。 卒業後のインターン探し5月に大学院を卒業し、8月までは家の契約があったので、そのままインターンを探すことにした(OPT)。卒業後すぐに働き始める、というもんでもなく、数か月かかるのは普通のアメリカである。 最初はやる気があったものの、いくつも応募しても返事が来ないことが続き、やる気は落ちていった

アメリカとジムと私

私は運動神経が良いタイプではなく、中学では”体育は4、ほかはオール5″だったし、人並み以上にできる運動といえば柔軟(マット平均台)くらいだった。体育自体、苦手な子にはつらいものだと思う。毎年同じ競技をやるものの、成果は目に見えない。足はいきなり速くならない。速くなる方法も教えてくれない。チーム戦だと足を引っ張って申し訳ない。運動会の日は雨で中止になってほしいなと毎年思っていた。(ちなみに都庁に入ってから水泳を半年間習ったけれど、上達しなかった。) そんな私がジムに通うように

大学院への所以

前に書いたとおり、父親は自分が大学院に残ってもよかったな~と思っていた人なので、大学院まで行ってもいいよと言ってくれていた。結果、私も弟も、院卒である。 渡米前に父親の高校からの友達夫妻と会った。当時、商社をやめて起業したその父親の友達は、東京ドームとDisney Landの花火が見えるという素敵なタワーマンションに住んでいた。子供はいなかった。 “留学するなら、MBAを取ってこい。年収は上がると半分くらい税金で持ってかれちゃうから、多いほうがいいから。” 当時私はラジ

Transformation #1~私がアメリカで自信を取り戻した話~

アメリカに行って本当によかったのは、自由になれたことだと思う。 留学するからには、固定観念やらを取っ払って、とりあえずdive inしてみようじゃないか、と思っていた。私は適応力がある方なのだろう。実際Homesickにもほとんどならなかったし、日本(の食事)も恋しくならなかった。そして得たものは、 ・今までいた世界は、常識でもなんでもない。中にいて窮屈だったけれど、外に出てみれば、ほかの考え方や、ほかのものをいいと言ってくれる人がいる ・今まで”こうでなきゃいけない”と

脇役でいるのをやめた日

NYでは、小さな学校に通いながらも、編入後に自信を取り戻す前段階の出来事がありました。 常識は絶対じゃない日本では、そして高校では、とても狭い環境にいた。進学校はプライドが高い上に、私は人生最初のどん底で自信がなく、まわりからどう思われているか考えるのに忙しかったから、"こうじゃなきゃだめ"というルールをたくさん持っていた。 留学するための学校に行ってみると、環境はだいぶ違った。見た目が素敵でもなく、英語のクラスも上ではない子が(失礼)、いきいきと音楽やら演劇やら、artを

アメリカ大学留学の所以

これは楽にかける話のひとつで、前にblogで書いたけれど、blog自体を消してしまったので、こちらでもう一度。 アメリカの大学に行くことを決めたのは、小学校に入る前である。なんだそれは?だが、いわゆる英才教育である。うちの父親は自分が留学したかったけれどできなかった(後日聞いたところによると、勇気がなかったらしいが、ドル高で時代的にも難しかったと思う)タイプで、見栄っ張りでもあるので、"これから小中高、大学までは行ってほしい。大学院に行ってもいい。そして、高校あたりからなら