見出し画像

言語と留学の質

言語はスポーツトレーニングと同じだよなあ…と考えていて、配信しようと思っていたけれど、いろいろ浮かぶことがあり、書くことにした。


私が今まで学んできた言語は6になった。日本語…は国語があったから学んだことにすれば、英語、スペイン語(未だに第3の言語)、ネパール語(独学)、フランス語、オランダ語である。

ぶるぶるに来てから混乱を極めているが、日英どちらも同じようにできるというのが長年のidentityである。だからして、この2つについて考えていた時間がとても長く、日本での英語について、①必要性もないのに憧れだけあること、②私は英語が"できる"とか"得意"と言われてしまうこと(これに従えば、日本人はみんな"日本語が得意"ということになる)、③TOEICや点数信仰とそれをビジネスにすることへ思うことは、色々あった。

で、この記事をちゃんと読む人は、そういう日本の世界にいながらも、少し外の世界も見られる人なのだろうと思って先を進める。

ツール以上のもの

言語はツールであるけれど、それ以上のものでもある。文化もノリも違う。ここで言うノリというのは、例えば「そもそも説明する文化がない」とか、「自慢すること=おもしろいこと、とは解釈されない」ということ。こういうことがわかってその場に合わせてできる人が、国際的に活躍できるということになると思う。ただコンニャクを食べて出せばいい話ではない。"英語ができる人はたくさんいる"、と言う人は、確実に英語ができない。翻訳を仕事ですることがあり(それがmainの仕事ではなかったのだが)、"言語が違ってもまったく同じ文章で内容にして"、と言われると、あほな、と思った。

毎日のトレーニング

言語も運動と同じだと思うのは、Inputがあると、outputもできるということと、warm-upなしでは、ベスト記録は出せないということ。
日々のトレーニングも同じ。"昔は運動部だったんだけど今は一切なんだよねえ"、という人に、ある程度の運動能力があるか?という話とまったく同じ。少しはましかもしれないけれど、ベストとはいかない。

意識することはないだろうけれど、「日本に住んで日本語で生活していて、inputが入ってくる状態」にいると、毎日日本語がupdateされていることになる。人生って習慣…積み重ねだよね。1回できたから、資格を取ったから終わりではないとよく言うけれど、実際にその鍛錬が試されたり評価される部分って少ない。それでもupdateされていっているものなのだ。

そして、言語だけでなく、文化も一緒にinputされている。流行語もあればslangもある。特に日本では、流行を流行だからというだけで追う習慣がある。本人が好きだと思うかどうかは関係なく、流行は追うもの、わからないことは恥ずかしいこと、とされている。
そういうわけで、留学して最初に苦労(というか)するのは言語ではなく、この文化面である。"アメリカは映画やテレビについてよく話す文化なんだな、よく見るんだな"、と気づく。

留学の質

時間は限られているので、ある言語に浸る時間が増えると、ほかの言語は必然と減ることになる。毎日自分が読んで、書いて、聞いて、喋って、見ている言語は何だろう、と、言語の数が増えるほど、私が意識するのはこのためである。

留学=語学の違いだけだと思われるのも、私は心外なのである。
ほかの留学生よりも私はいろんな経験をしている!という自負はあったものの、私は以前、"留学経験者なら話が通じるだろう"と思っていた。が、留学といっても中身は全然違う…ということを目の当たりにし、私がどちらかというとanomalyなのだと受け入れることになった。

毎日をどの言語がどのくらい占めているか、というのは、住む場所が変われば自動的に変わるものではない。留学と言いながらも、家で日本の米を炊いて、日本のドラマを見て、主に日本人とつるみ、日本の年功序列の敬語や先輩やめんどくさいものを引きずる、という人も少なくない。事前準備のない交換留学1年では、語学のみでほぼ終わることが多いとも思う。一方、国費留学の人たちは、"勉強について行くのが大変でした~"で終わってしまい、他の国の友達はできないらしい。留学経験って、勉強だけじゃないんだけどなあ。

後輩の留学

こういうことに気づくことになったきっかけに、高校の後輩のアメリカ留学がある。地元がとても近いので、素質は一緒、私にできることは彼女にもできるだろう、と思っていたのだが、話を聞いているとどうやらそうではなかったらしく、自分の価値を受け取ることになった。

"Affordable care act (Obamacareのことね)"がわからなかった、と言っていたが、それはアベノミクスが何かわからなかったと言っているのと同じこと。
その国では何が話題で、どんなことが議論されているのか。仕入れるには…というわけで、late night showsをおすすめした。私は今でも定期的に見ているので、話が通じるようになったことも単純に嬉しかった。
「私は日本人なので、申し訳ないと思います」とも言っていて、そんなことを感じたことも、自分=日本人だからなんて考えたこともないよ、と思ったりもした。

友達の作り方

「日本人の友達が共通の友達の、他の国の友達とかいないの?」
「それが…いないんですよ」

この後輩、今まで考えたこともなかったけれど、アメリカでグループに入れると、"まじめないい子なんだけど、印象に残らない子"になってしまうんだな、と感じた。後輩はおもしろいことを色々やっているし、話すことはあるはずなので、アピール不足でもあるのだけれど、私のこれまでの留学友達は、もっと印象に残る強烈な子が多かったんだな、と思った。笑
Uber/Lyftに乗っているとき、話しかけられない限り、後輩はdriversに話かけなかったが、私は話しかけて、おもしろい情報や人気のrestaurantを聞き出し、相手の好感度も上げて(という表現はしたくないのだけど)rideを終えていた。

私は別におもしろいとか、extrovertなわけではないのだが(むしろすぐに疲れる)、私が苦労してこなかったのは、(人が気づかない)物事に気づくし、好奇心旺盛なので、「それ素敵だね」とか、「それっておもしろいね、どうなってるの?」とか、話しかけることでつながれたこと。それって誰でもできることじゃないらしい。

私にとっては、"気づくからほめる"というだけで、何の下心もないのだけど(人に好かれたかったらほめましょうって書いてあるよね?)、人が気づかないものに気づいてしまうだけに、それだけで惚れられてしまうことがあるということ、そしてAllosexualな人たちは、ほめることでflirtingをしているので、私もそう見られることがあるというruleを教えてもらい、目からうろこだった。笑 これぞAceに見える世界。

そして…最近も思うことがあったのだが、ほめることというのは、私が家族から得られず、自分が与えるために持ってきたもので…ほめられなかった私だからこそ、ほめられる嬉しさや、気づいてもらえる嬉しさを知っていて、与えられるのかもしれないと思った。自分に当たり前にできるから、と期待していたら、それは特技だったってやつ。

世界の素敵なものを見て、素敵だね、と共有する。そういう人生もいいよね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?