ブラジル人からシュハスコ愛を浴びせられた話
前回の投稿では、僕がドイツで働いていた頃に、同僚になったブラジル人から聞いた話を書いた。
テーマは「一般的に言ってブラジル人の人生の優先順位は?」
彼の答えを簡単にまとめると、一番が家族。二番がパーティで多くの人と知り合いになって交友関係を広げること。
ただ、汚職によって社会への信頼度が低く、人々はこの点に対して不満が大きい、という答えだった。
さて今回は、それに引き続いての会話。昼食帰りに散歩しながら雑談に移っていって、僕が知っている「ブラジルと言えば・・」の話を振ってみた。
僕
「ブラジルといえば、ずっと昔に多くの日本人たちも移民としてブラジルへ渡って行ったみたいやね」
ブラジル人同僚
「ブラジルは移民が多いね。で、移民といえば、実はね。僕の先祖も移民なんだよ。それも、ドイツから渡ってきた。僕にはドイツ人の血が流れているんだ」
たしかに彼は、見た目はドイツ人となんら変わらない。肌の色や顔立ちも。だから職場で「今度ブラジル人を採用したよ」って聞いたときにイメージした人と、実際にあいさつに来た彼の外見が異なっていて、意外に感じた。なるほど、そういう背景があったのか。
ところでちょっと話が逸れるけれど、それで思い出したことが。
別のドイツ人同僚も、奥さんがブラジル人だって聞いていた。僕はブラジル人の知り合いが当時おらず、わずかに持っているブラジル人のイメージといえば、リオのカーニバルの写真に映っている人たちくらい、という乏しい知識。
僕はものごとを記憶するときに、頭の中で「画像」として憶えておくタイプなので、リオのカーニバルに出てくるような人がその同僚の家にいるイメージで記憶していた。んなわけないんだけど。
そしてある日、その同僚たちとカメラをオンにしてオンライン会議していた時のこと。そこに、同僚の奥さんがお茶を持って入ってくるところが画面に映ったら。果たして彼女は、普通に部屋着を着た普通のドイツ人と見分けがつかない女性。普通にお茶を置いて出て行った。
奥さん替わったのかしら?うむ、これは聞いたらいけないやつかも知れないから、決して言いますまい。ってドギマギした。
けれど、後から聞いてみたらそういう話ではなくて、単にブラジル人の中にもドイツ人と外見上で見分けのつかない人もいらっしゃる、ということだった。
さて、ブラジル人同僚に話を戻して。
ブラジル人同僚
「うちはドイツからの移民の家系だからさ。親世代まではドイツ語を喋ることができるんだよ」
僕
「ってことは、ドイツで働く前から家でドイツ語には慣れ親しんできた、ってことやね」
ブラジル人同僚
「いや、それが、そんなうまい話じゃないんだ。はるか昔の祖先が使っていたドイツ語を、脈々と同じコミュニティー、同じ家系の中で受け継いできたわけだ。だから、現代に使われているドイツ語とは文法も単語も全然違うんだよ〜。残念」
と、ニカッと笑った。
これがどういうことかと想像すると。仮に日本人だった場合で考えると、現代であっても「手前生国と発しまするは、ブラジルでござんす。しかし先祖代々遡るってぇとぉ、信濃の国から一族郎党引き連れてぇ・・・」みたいなイメージなのかしら。それもと「マロは・・・」とか言うような時代設定かしら。どの時代イメージかは聞かなかった。
次に、もう一つ「ブラジルと言えば」で僕が知っている話を持ち出した。世界共通で会話が弾みやすい話題、つまり食べ物の話ですな。
シュハスコ文化への愛
僕
「ところでブラジルといえば、シュハスコを食べるよね?」
「シュハスコ」とは、鉄製の大きな串に肉などを刺して焼くBBQみたいな料理。串に刺さったままの肉を、大きなナイフで削いで切り分けて提供する。「シュラスコ」とも言われる。ブラジルの食べ物と言えば、むかし日本で何度か食べたことのあるシュハスコが頭に浮かぶ。
という話題を振ってみたところ、それまで穏やかで丁寧な語り口で説明してくれていた彼が、みるみるテンションが上がっていくのが分かった。
ブラジル人
「僕の出身はブラジルの一番南の地域。シュハスコはこの地域や、アルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイ辺りの地域の文化なんだ。単に食べ物というだけではなく、文化として生活に根付いている。それはもう、とてもとても深いノウハウがあって、準備の仕方から火の強さの変え方まで、決まっている」
僕
「へえぇ、、そうなんやね。一般的には、いつ、どこでやるものなのかな?」
ブラジル人同僚
「日曜日のお決まりだね。毎週日曜日には家族や友達などみんなで誰かの家の庭に集まって、シュハスコをやるもの、と決まってるんだ。日曜日といえばシュハスコの日」
僕
「同じ地域でも、家庭によってやり方が違ったりするの?」
ブラジル人
「いやー、同じ地域だったらシュハスコのやり方はだいたい同じようなものだね。文化だから。とは言っても、時にバリエーションを変えたりするよ。例えば日によっては、ニンニクや玉ねぎを入れたり。でも、別の国や地域にいけば、やり方も違ってくるんだな、これが」
僕
「へー、やり方が違うって、具体的にはどん・・」
このあたりまでくると、彼の「シュハスコ愛」が全開になって、早口でとめどなく語ってくれた。
ブラジル人同僚
「例えば僕の地域だと、肉のこの部位とこの部位を、こんな切り方で切るのが一般的」
と言いながら彼は、自分の身体の肩や脇腹の部位を指さしながら、手を包丁に見立てて、その部位を切る真似をしてくれる。
ブラジル人同僚
「でもウルグアイだったらね、こんな部位とか、これよりちょっと背中側のこのあたりの部位なんかも使って、しかもこんな切り方をする。さらにパラグアイになると、・・・(以下略)」
それまではトツトツと語っていた彼が、ブラジル人としての魂に火が付いたのが分かった。肉の部位と切り方、そして塩コショウやソースなど味付けについてまで、とめどなく語ってくれた。
ちなみにうちの奥さんから聞く話では、ドイツにおいても、一般的に肉売り場では日本と比べてかなり詳しく分類されて売られているらしい。どこの部位なのか、例えばモモ肉であっても、モモのどのあたりの部分なのか。オスなのか、メスなのか。仔牛なのか、若い成牛なのか、成牛なのか。骨付きか、骨なしか。それらの違いによって味や硬さや舌ざわりなどが違ってくるから、料理や好みに応じて選んだものを買う。
つまり、一般的に日本と比べると、肉というものについてドイツ人やブラジル人は相当こだわりをもっているようで、やはり肉を食べる文化の長さや深さが違う、ということのようだ。
ところで肝心の彼が教えてくれたシュハスコの詳細については、部位についても切り方についても僕が基礎知識がない上に、彼の熱があまりに強くて早口だったから、途中からチンプンカンプン。だけれども、シュハスコ文化を心から愛していることだけは充分理解できた。
こういう愛は、聞いていてこちらも嬉しくなるね。
by 世界の人に聞いてみた