フィリップ・K・ディック『トータル・リコール ディック短篇傑作選』10篇まるごと解説
フィリップ・K・ディックの『トータル・リコール ー ディック短篇傑作選』は、2012年にハヤカワ文庫から、ディック傑作選第二弾として刊行され、『トータル・リコール』、『出口はどこかへの入り口』、『地球防衛軍』、『訪問者』、『世界をわが手に』『ミスター・スペースシップ』、『非0』『フードメーカー』『吊るされたよそ者』『マイノリティ・リポート』の10篇の物語が収められている。扱われているテーマは、主に核問題(戦争の問題)と全体主義などの(政治的問題)が中心だ。表題になっている『トータル・リコール』は、1990年にポール・バーホーベンによって映画化され、2012年にもリメイクされている。また、『マイノリティ・リポート』も2002年に映画化され、スティーヴン・スピルバーグが監督をしている。ポール・バーホーベンの『トータル・リコール』は、植民地支配された火星のレジスタンスと鉱山資源を私物化するコーヘイゲンとの争いを諜報員、ハウザー役を演じるアーノルドシュワルツェネッガーの視点から緻密かつシリアスに描いているのだが、原作を読んでみると、それとは正反対の結末に度肝を抜かれる。本作の10篇の中では唯一、読み終わった後に「なにこれっ?」と肩の力が抜けるほどの滑稽な結末なのだ。戦争の問題が題材にされているのは、『地球防衛軍』『訪問者』『ミスター・スペースシップ』、政治の問題が描かれているのが、『出口はどこかへの入り口』『非0』『フードメーカー』『吊るされたよそ者』『マイノリティレポート』だ。この内のどちらにも当てはまらない『世界をわが手に』は作中、なんとも形容し難い不気味な空気が漂っている。ワールドクラフト社が開発した、「世界球」という、地球を模したミニチュアサイズの球を世界の消費者が育成しているという奇妙奇天烈なストーリーで、その流行に道徳心を苛まれた主人公が代表会議で世界球を非合法とする議案を提出し、演壇に立ち演説をするという話だ。その内容の奇怪さに、何について描かれている話なのかがピントこなかったのだが、物語りの終盤、主人公が開通したばかりのアジア太平洋横断トンネルを通過する途中、崩落の事故に遭い怪我を負った作業員の男に出くわす場面でその謎が解ける。物語りの結末は、男の「神の仕業か」とうなる声に思わず主人公がギョッとするというものだ。「世界球」を育てていた人々は、神のように自分が世界を創り破壊する事ができた。人々は現実の世界に戻ると不条理な出来事の背後に神の存在を感じるのだ。それでは、まずはじめに戦争の問題がテーマになっている作品から順にみて行こう。『地球防衛軍』『訪問者』『ミスター・スペースシップ』この3つだ。『地球防衛軍』『訪問者』は核戦争がテーマになっている。『ミスター・スペースシップ』は核戦争ではないものの、脳移植(今でいうブレイン・マシン・インターフェース)と反戦がテーマになっている。『地球防衛軍』は10の短篇の内、私がもっとも個人的に気に入っている作品だ。ハリウッドで映画化されていてもおかしくないほど、完成度が高く先の読めないストーリー展開も面白い。地上は放射能で覆われ、人間の代行としてロボットが戦争を遂行し、人々は地下に潜りそこで暮らしていた。技術者のテイラーは、白髪混じりの老人モスに連れられ、フランクス司令官の元へ行く。治安軍がソ連の新兵器についての情報をロボから聴取しており、地上の様子を訊くとますます悪化していると返答が来るのだが、おかしなことに、ロボからは放射線は検出されなかった。以前から疑いを抱いていたフランクスは、ロボたちの地上委員会を召集させるが、取り囲まれてしまう。仲間が後から駆けつけ、ロボを倒し、外に出ると辺り一帯には自然が広がっていた。実際に核戦争が起こる前に戦争は終結していたのだ。ロボは戦争は理にかなっていないと合理的に判断を下し、人間が戦争を起こす欲望や憎悪が消えるまで、虚報を流す事にしていたのだ。そのことを知ったフランクは、今のうちにソ連を攻め込もうと兵士を呼び寄せるが、ロボにチューブ(エレベーター)を封鎖され地下に戻れなくなってしまう。ロボは、ソ連との和平交渉のため、ソ連軍をこちらに呼び寄せており、ロボの誘導により、ソ連軍とアメリカ軍は地上生活のための村づくりに協力することになり、飛行機に乗り離陸する。なんと素晴らしく心温まる話しなのだろうか🥺私たち愚かな人間どもの為に、良心ある理性的なロボットたちが、終戦以来、ずっと元の地球環境を保全するため綺麗に手入れをしてくれていただけではなく、ソ連との間に入って和平交渉までしてくれていたのだ。😭ロボは戦争を起こすことを非合理的な事だとはじめから分かっていたのだ‼️それに比べて人間はなんて愚かなんだ。ウクライナに侵略し、ガザの人々をジェノサイドし、「選挙は盗まれた」とホラを吹き議事堂を襲撃する。裏金をつくり、議員を当選させ、ゾンビ企業の負担を軽減し、日本の価値を下げ、円安誘導をし、企業の株価を上げる😭人間は馬鹿だから仕方ないのか…それとも希望はあるのだろうか…『訪問者』は核戦争後、避難先の鉱山で食料や資源が底を突き人々の暮らしが苦しくなる。そこで、トレンドという男が探索にでかけるのだが、出先で会うのは環境に適応するため、突然変異したミュータントばかりで、人は見当たらず、もはや人間は地球の住人ではなく、訪問者になってしまったとう事実を知る。『ミスター・スペースシップ』は、政府組織、地球保安局の自動操縦巡洋艦が心理的現象によって爆破するという機雷によって破壊され、その機雷の対策として、生物兵器を研究するジョンとクレーマーは巡洋艦の自動操縦システム、「ジョンソン・システム」の代わりに人間の脳を巡洋艦に移植することを提案する。この話もなんだか訳がわからない変な話で、脳の提供者について、なぜが、大学時代の恩師、トマス教授が候補に挙げられて、先の短いトマス教授は考え抜いた末、許可を出して巡洋艦に脳を移植されるが、途中で制御がきかなくなって暴走する。今で言うところの、ブレイン・マシン・インターフェースみたいなものだけど、『トランセンデンス』のように、人間の意識をコンピューターに移す事なんて、意識のハード・プロブレムの問題も解決せずには、100%不可能だし、そんなものは未来永劫できないだろう。次に政治の問題が描かれている4つの内『非0』『フードメーカー』『吊るされたよそ者』『マイノリティレポート』はすごく、政治的な話だけど、『出口はどこかへの入り口』は、読み手によっていくらでも解釈が可能な話だと思う。ボブバイブルマンという男がファーストフード店で、注文を済ませるとロボットから懸賞に応募しないかと誘われて、6ドル支払うと、一等を引き当てて、軍の大学に連れて行かれる。そこで同級生のメアリー・ローンに出会って、授業中に機密情報を見つけて、持ち出すか迷ってると、少佐にバレて、持ってこいと言われて、持っていくと、ドッキリでしたというオチ。権力に逆らい、独立して生きていけるかどうかといことをチェックをしていたらしく、ボブバイブルマンは不合格になり、もとの職場に戻る。また例のファストフード店へ入り注文すると、料金を払わず出て行こうとする。ロボットから法に反していると言われると、財布を取り出す。同調圧力やヒラメ・キョロメ問題を彷彿とさせる話だ。『吊るされたよそ者』では、その問題がもっとはっきりとした形で描かれている。この話もとても面白い。テレビ販売店を経営するエド・ロイスは店に向かう途中、緑地帯の前を通ると街灯に吊るされた男の死体を発見する。その場で人を呼ぶも、皆知らん顔で通り過て行く。商売仲間が駆けつけるが誰も警察を呼ばずにロイスの体調に気を配る。店に警察が駆けつけロイスは車に乗ると、事情調査を受けるが、偽の警察官であることに気づき車を降り逃げる。市庁舎前までやって来ると、空から黒い群集が市庁舎の屋根に舞い降り建物の中へと入っていく。異次元から来た有翅昆虫は、市の職員へと姿を変えていた。結局、エド・ロイスは殺され、街灯に吊るされた男と同じように吊るされる。読んでいる最中、なぜが、ジョンカーペンターの『ゼイリブ』を思い出してしまった。物語りの雰囲気がどこか似ている気がする。『フードメーカー』は、浄化局という政府機関がテレパシーを使って国民の頭の中を逐次監視しているなか、政府対抗組織、フードメーカーは合金の頭環をつくり、特定の人物めがけて送りつけている。連邦資源委員会で委員長を務めているフランクリンもその頭環を受け取った内の1人だ。それを被れば、浄化局の支配から逃れる事ができるのだ。ジョージ・オーウェルの『1984』のような世界観で、政府機関の監視から逃れるフランクリンの姿が描かれている。『非0』は、感情の機能を阻害されたパラノイアの少年が、「非0理論」のもとに、宇宙を還元していく話だ。ナチスの全体主義や、今日、現代人を支配する合理主義を煎じて詰めたような物語りになっている。他者を排除し徹底した合理化による新自由主義を進めていけば、そこで待ち受けているのは『非0』のような神経症を患った狂人たちによるディストピアだろう。さて、そして最後は『マイノリティ・リポート』になるが、私はいまいちこのマイノリティ・リポートが飲み込めない。というか、腑に落ちないといった感じだ。話のストーリーとしては謎解き要素もあり、面白いかもしれないが、作品の持つ方向性が不明瞭な上に、主な登場人物であるアンダートンとカプランはどちらもクソで、クソとミソがああでもない、こうでもないと言い合っているようにしか思えないのだ。話の最後アンダートンは英雄気取りで、ウィットワーに向かって偉そうに、3人のプレゴグたちが時繋がりになっている事を打ち明けるのだが、筆者は腹が立ってしょうがなかった。