![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/161994105/rectangle_large_type_2_44c3387ff06ed3f78f47b8fa3bfe7848.jpeg?width=1200)
いざという時に頼りになるのは、警察や司法ではなく、血縁関係『母なる証明』
『母なる証明』は2009年に公開された、ポン・ジュノ監督の作品で、長編では、『ほえる犬は噛まない』『殺人の追憶』『グエムル-漢江の怪物』に続き四作目となる。母と息子の関係性が濃密に描れた社会派人間ドラマになっている。冤罪で捕まった息子の無罪を証明するため、警察や弁護士を頼りにせず、母親が自分ひとりの力で事件全容の解明を始め、やがて、その犯人が息子である事を知るという筋の話なのだが、真実を知った母親のとる行動が、本作を語る上で、作品の方向性を示す重要な手がかりになっている。トマス・ホッブズ の『リヴァイアサン』によれば、健全な民主主義政治のもとでは、国家に暴力装置を託し、憲法によって政府を縛ることで、個人の財産や権利が補償され、安心して生活を送る事が可能になるわけだが、本作では、警察や司法が腐敗し、機能不全に陥った時、自分の身を守る事ができるのは、国家による暴力装置ではなく、血の繋がった家族、血縁関係であるということが示されている。それは『パラサイト 半地下の家族』でも同様のテーマとして描かれている。長編デビュー作の『ほえる犬は噛まない』では、似たような階層にあるはずの、団地の住民同士が、連帯出来ず、そこに居ないはずの「富裕層」という架空の敵をつくりだし、仲間内の争いを繰り広げるといった内容になっているが、本作では、横の繋がりよりも、縦のつながりに重きを置き描かれているのが特徴的だ。息子が犯人だと知りながら、警察から真犯人が捕まったことを聞いた母は、面会室を訪れ、祈祷院から脱走したという青年を前に、涙を流しながら、「母親はいるの?」と尋ねる。警察や司法も当てにならず、血縁関係の助けも得られないとなれば、青年が社会から完全に孤立無縁の存在になるのは明らかだ。現在の日本も韓国と似たような状態にあるといえるかもしれないが、地域コミニュティや労働組合などの横の繋がりが薄く、血縁関係もそれほど強いわけでもなく、友達もほぼいないとなれば、祈祷院の青年と大して変わらないということになる。最近では、高齢者の孤独死の問題や、若者の広域強盗事件が連日話題になっているが、世代間を越えて両者に共通して言えることは、社会の包摂からこぼれ、血縁の繋がりからも外れ、完全にひとり孤立してしまった存在であるということだろう。日本とよく似た状況にある韓国だが、なにか決定的な違いを感じさせられる作品だ。