2020年10月の記事一覧
枯れるのもエネルギーがいるんだよ
まだまだだなぁと思う。何がって、自分が疲れてるから。
あ、とくに有益なことはこの先書いてない。戯言に付き合ってやるよって人だけに。
そういうこと言っていいの? プロだろ? お金払っていただいてお客さんに何かしらのパフォーマンス提供する人間が言うことか?
と言われたら力なくスライディング土下座するしかない。
プロなんだから体調とか、常にちゃんと書ける状態とか、パフォーマンス維持するのも仕事の
拝啓 20年前の私へ
「20年前のちーちゃんから30歳の千裕さんに手紙が届きましたよ」
母からの連絡には、フェルトペンで書かれたのであろう拙い子供の書く漢字で私の実家の住所と宛名が記された茶封筒の写真が添付されていた。何をそんなアンジェラ・アキみたいな話……と首を傾げかけたところで、ばちんとその記憶は蘇ってきた。小学4年生、ちょうど20年前、国語の授業で「20年後の自分に宛てて手紙を書く」という時間があったこと。あの
「だいすけべ」と、呼ばれて。
皆さんはもうご存知かもしれませんが、ぼくの名前は「だいすけ」といいます。
だいすけ。
いい名前ですね。よく言われます。ありがとうございます。ぼくもそう思います、今は。
ぼくが自分のこの名前をほんとうに好きになれたのは、だいぶいい大人になってから。なぜって、この名前を持つ者には避けて通れない宿命があるから。背負わなければならない運命が、あるから。
それは、
だいすけべ
という、あだ名。
これ
文章を書いていなかったら、ぼくはあなたと出会えていなかった。
ふと思う。「文章を書いていなかったら出会っていなかっただろうな」って。年を重ねるにつれて、そういう人が増えてきた。文章を書き続けているから、当然のことなのだけど。
一緒に仕事をさせていただいた素敵なあの人も、ぼくが文章を書いていなかったら話すこともなかった。noteで出会った素敵なクリエイターのみんなもそう。たとえば、ぼくがそこに書かれている文章を〈読むこと〉しかしてこなかったとしたら。それ以上
桑田佳祐さんの、普通じゃないことば。
サザンオールスターズというバンドがいる。
「知っとるわ」とツッコミが日本全国の老若男女から飛んでくるであろう、国民的バンドだ。彼らのデビューは1978年。当時、ピンクレディーや西城秀樹を愛好する幼稚園児だったぼくにとって、「ザ・ベストテン」に突然現れたむさ苦しい6人組は、とにかく「うるさくて、こわい人たち」だった。少し年長のお兄さん・お姉さん方が語る「新宿ロフトからの衝撃的デビュー」とは、受け止
努力の継続に必要なのは「再開する力」
英語の勉強をはじめてから、ちょうど丸二年が経った。
2年前に私が掲げた目標は「英語でインタビューして英語で記事を書けるようになる」。
当時の私の英語力からそのレベルを目指すとしたら、毎日3時間勉強しても3年はかかると言われたときの衝撃をいまだに覚えている。高校生活と同じだけの年数を勉強に費やさなければならないことに軽いめまいを覚えたけれど、気づけばもう2/3が経過した。
まだ当初の目標には到達
なぜなら、わたしがうれしいから。
車がすきだ。なぜか昔から、ずっと車という存在がすきだった。
だから特別な好意を持っているわけでもない大学の男の子からドライブに誘われたとき、「古いプレリュードに乗れる」、それだけでOKしたことがある(そして首都高で3回転半の事故を起こされ、死にかけた)。
だから母からは、「就職で鹿児島に帰ってきたら好きな車を買ってあげる」と餌にされ、ちょっとだけこころが揺れたこともある(そのときわたしが候補に
ヒガンバナとコスモス、秋。 #みんなの秋アルバム
昨年に引き続き「みんなの秋アルバム」タグでの募集が始まっているので、先日行ってきた昭和記念公園で撮ったヒガンバナとコスモスなどの写真をまとめて投稿しようと思います。
また「みんなのフォトギャラリー」に入れておくつもりなので、記事の内容に合うものがあればつかってやってください。
昨年はこんな感じで「みんなの秋アルバム」に参加しました。
(手書き企画とか、なんだかとっても懐かしい...)
そして
1000文字の手紙〈逆佐亭裕らくさん〉
ユーモアには、しばしばアイロニーが影を潜めている。それが権威に向いたり、社会に向いたり、自分に向いたりして、その移ろいが鮮やかであるほどに見る者、聴く者のこころを躍らせる。
ユーモアは人を楽しませるだけじゃない。時に、勇気を与える。積もり積もったうっぷんを晴らしてくれたり、ことばにならなかった「孤独」や「弱さ」「さみしさ」にあたたかいスープを届けてくれるような。
裕らくさんは、そういう人で。今