さらさらお金の流れる世界。
唐突ですが、「お金のいらない世界」を真剣に夢みています。
多くの方にとっては、「なんだそれ?そんな世界になるわけないでしょ」という感覚かもしれませんが、少しの間、わたしの思いにおつきあいくだされば嬉しいと思います。
「お金のいらない世界」というのは、端的にいうと、「交換」の必要ない世界です。
お金はもともと物々交換から始まった、というのが定説ですよね。
例えば魚を獲るのが上手な人と、野菜を育てて収穫する人がいたら、自分のものと相手のものとを交換することで、お互いに足りないもの、必要なものを手に入れることができる。その「交換」を、より自由に、快適なものに導いたのがお金。
そう考えると、お金はわたしたちの生活に不可欠なツールであるようにも思えます。魚も野菜もいつか腐ってしまうものですし、一度に多く手に入れ過ぎても、もてあましてしまいます。だからお金は必要。
でも、そもそも、「交換」しなくてよかったら?
野菜をつくる人が魚を食べたくなったとき、魚を獲る人のところにいって、「この魚、もらっていい?」ときく。相手はあたりまえみたいにうなずいて、「いいよ。もってって」と答える。野菜をつくる人は、「ありがと!」と明るくお礼をいって魚を持ち帰り、美味しく食べる。
魚を獲る人が野菜を食べたくなったときも同じです。「野菜ちょうだい」「どうぞ、好きなのもってって」
シンプルですよね。お金は必要ありません。
実際にはそんなことできるわけがない、と思われるかもしれませんが、例えば無人島に漂着した10人の人たちが共同生活を始めるところを想像してみてください。そこに、お金って必要になるでしょうか。
おそらく、なりませんよね。それぞれがそれぞれにできることをして、お互いに分けあい、与えあって暮らす。足りないものは、ともに創造し、生産する。
もし、漂着した人のうちのひとりがたまたま大金持ちで、「金をやるから、いうことをきけ!」なんて威張りだしたら……それがどんなに滑稽なことか、誰にでもわかりますよね。
では、10人が20人になったら?たぶん、何もかわりません。
20人が50人になったら。100人になったら。500人、1000人になったら。
どこからお金が「必要」になるのでしょうか。
一千万人、一億人、世界人口の80億人になったら……「金をやるから、いうことをきけ!」という大金持ちの言い分は、滑稽ではなくなるのでしょうか。
それが滑稽かどうかを議論したところで、たぶん、あまり世界はかわりませんが……少しでも滑稽ではない世界にするために、わたしに何ができるかなあということは、よく考えます。
「交換」するのではなく、相手が必要としているものを「与えあう」世界。自分が必要になったときには、今度は相手が与えてくれるであろうことを疑わない世界。
必要なだけ相手にお金を与えることは、いまのわたしにはできませんが、わたしにも与えられるものがある、と思います。
それは言葉。
言葉なら、無制限。必要な人に必要なときに、いつでも与えることができます。
言葉を相手に贈っても、それで物は買えませんが──お金では買えないものを届けることはできる、と思います。
例えば、元氣。
ほんの一言かけた、何氣ない言葉。それが相手に元氣のエネルギーを運ぶことってあると思いますし……できることなら、いつもそういうエネルギーを纏った言葉を使っていたいと思います。
例えば、やさしさ。
逆に、誰かが言葉にして発したやさしさが、わたしの心に届いて嬉しくなることもあります。目にはみえなくても、そういう氣持ちの届き方があることは、たぶん誰でも知っています、よね。
ひとつひとつは小さなことだけれど、誰かが必要としているときに、自分の言葉を惜しみなく与える。贈る。
そういう氣持ちでいる人が増えていくほど、世界に「交換」は必要なくなっていくんじゃないかなあ……。
お金の心配を手放すのは少し難しくても、お金で買えないものを与えあう世界なら、いますぐにでも目指せるんじゃないかなあ……と、とても真面目に思っています。
さて、最後にちょっと、お金のこと、補足させてください。
「お金のいらない世界」について書いてきましたが、お金そのものを嫌いなわけではありません。むしろ大好きだし、いつも感謝しています。
お金さんは、わたしに必要なものをいつも運んでくれますし、もしこの世界に本当にお金がなかったら、世界はここまで発展しなかったのでは、とも思います。
「お金を稼ぐ」ための行為が、人を成長させ、世界を発展させてきた。わたしたちは、お金とともに生きてきた。
わたしたちの傍らを、ずっと伴走してきてくれたお金さん。わたしたち自身のかわりに世界を巡り、流れてくれているお金さん。
その素晴らしいツールに問題が起こっているとしたら、それは流れが滞り、濁りを生んでいるからに他ならないと思うのです。
世界を自由にお金が流れていれば、世界中の人が笑顔でそれを手にして、その便利さを享受することができるはず。そうならないのは、お金がどこかで滞っているから。どこかに不自然に溜め込まれ、流れずに濁ってしまっているから。
お金さんには、さらさらと音をたてるように流れていてほしいと思います。人々の生活を潤し、きらきら光って流れる川のようであってほしいと……心から願うのです。
追記
こちらの記事に、数週にわたり、計3つのコングラボードが届きました。スキをくださったみなさま、本当にありがとうございました!↓↓↓