ラオスから戻り、いま思うありのままのこと。【ぱにゃにゃんだ音声つき】
このところ、こちらの過去記事を読んでくださる方がなぜだか多くて……少し不思議な氣持ちがしています。
半年以上前、今年2月に投稿したものなのですが、ラオス旅行から戻ったこの一週間余の間に、何人もの方が印象的なコメントまで寄せてくださいました。
この過去記事から、いまのわたしに、なにかメッセージが届けられている……?
ふと、そんな氣持ちになりました。
そう感じたのはきっと、ラオスから戻ってずっと、おかしな違和感が続いているせいだと思います。
自分であって、自分ではないような──そんな感覚がどうしても抜けないのです。
そもそも、わたしは自分が「自分だけでできている」とは思っていません。
わたしは、わたしに影響を与えるすべてのものでできている。
体に取り込まれる空氣や食べ物もそうですし、毎日起こる出来事や人間関係もそうです。そのなかで思考することや味わう感情で、わたしは刻一刻と変化しています。
なにかに触れれば、そこに存在する微生物がわたしに体表から影響を与えますし、蚊に刺されれば、その瞬間にわたしは世界と混じりあいます。
こうしているあいだにも、わたしを構成している細胞の多くは死滅し、新しいものと入れ替わっていきます。「全く同じ状態であるわたし」というのはそもそも存在しえず、わたしはいつだって、「自分であって、自分ではない」のです。
そうであっても、自分をちゃんと「わたし」と感じることのできる不思議をよく思いますが、ここしばらくは、その枠を少し超えて、
「わたしの知っているわたしと違う」
という感覚がつきまとっています。
理由はやっぱり、しばらくラオスで過ごしていたから、でしょう。
日本にいるときですら、わたしは毎瞬「別のわたし」へと移ろっていきますが、全く違った環境で過ごした時間は、思った以上に、わたしを「別の色」に塗りかえたのだと思います。
食べるものも違う、出会う人たちも風景も違う、土壌や水に常在する菌や微生物も違う。
半月ほどの滞在で、その多くが入れ替わったわけですから──そもそも、同じわたしであるはずがありません。
帰国して一週間が過ぎ、いままた「日本色」に戻る途上で、そのことをしみじみと感じている自分がいます。
その「塗りかえ」を実感しているいまだからこそ、書けるものがあるのではないか。
そんな思いに駆られました。
そのために過去の記事をご紹介しようと思ったのは、最も顕著に「塗りかえ」られたと感じているのが、他ならぬ、わたしの「言葉」であるからです。
冒頭の過去記事「わたしの音。わたしの言葉。」で、わたしは自分が文章を書くときの言葉について言及しました。
わたしの体のまわりには、無数の言葉がいつも自由に飛んでいて──わたしは頭で考えたことを文章にするかわりに、そういう「飛びまわる言葉たち」をてのひらに集め、それを文章にしています。
別のいい方をすれば、飛びまわる言葉たちに、文章を「書いてもらっている」感覚です。
記事によっては、多少自分の頭を使って書くものもありますが、体のまわりに飛ぶ言葉たちを無視して、ただ頭でのみ書きあげる、ということはありません。
だからこそ、その言葉たちの状態は、「わたし」に直結しています。
ラオスに滞在している間は、文章を書く機会がなかったのであまり氣にとめなかったのですが、日本に戻り、noteの記事を書こうとパソコンに向かって……ハッとしました。
いつもそこにいてくれた言葉たちが……みあたらない?
いえ、よくよく観察してみたら、ちゃんとそこにいるのがわかりました。ただ、「色」が違うのです。
普段、言葉たちは金色をしています。
まぶしく光っているのですが、それがくすんだ茶色に変化しています。
もう少し端的にいうと、「泥の色」です。
動きも鈍く、言葉たち特有の振動が伝わってきません。
それに氣がついたとき、わたしはラオスで受けた衝撃の大きさをあらためて思いました。
先にお断りしておくと、ラオスを少しでも悪くいうつもりはありません。
わたしが敢えてお伝えするまでもなく、欧米では「訪れたい国ナンバーワン」に選ばれることもあるほどの、素晴らしい国です。今回の旅でも、たくさんのよい思い出ができました。
ただ、その風土を目の当たりにしたときに、わたしが大きなショックを受けたことも、ごまかしようのない事実でした。わたしの言葉が「泥の色」に染まったのも、そういう、わたし自身の心理的な要因が大きいのだと思っています。
わたしがなにに衝撃を受けたか。
それは、ラオスの土に。それから水に──です。
ラオスの土は、驚くほどの粘土質でした。
空からの恵みでしっとり潤う日本の土とは様子が違い、降った雨が沁み込んでいかないのです。
到着した日、雨が降りました。
翌日、朝のうちには雨が上がりましたが、地面はなかなか乾きません。
上の2枚の写真は、ラオスに着いて三日目の農道を写したものです。
つまり、雨が降った翌々日の道路です。
写真には、ぬかるみが特に酷いところが写っていますので、どこもかしこもこの状態というわけではありませんが、水が沁みていかない土の感じ、伝わるかなと思います。
東南アジアの多くの地域と同様、ラオスでも、水を氣軽に口にすることはできません。
わたしたち旅行者はもとより、現地で暮らす方々でも、水は、ペットボトルに入った市販のものを飲まないと、すぐにお腹をこわしてしまいます。
水が浄化されない理由のひとつが、水をろ過する力を持たない粘土質の土なのだと知りました。
加えて、わたしが今回訪れた地域は、ベトナム戦争のときに使用された枯葉剤の影響を大きく受けています。土壌にはダイオキシンが残留し、投下されたクラスター爆弾の多くは不発弾として地雷化しています。
わたしの知っている土とは違った。
知識としては既に把握していたそのことに、わたしは強い衝撃を受けました。
日本に戻り、自分の言葉が泥の色を纏っていることを感じたとき、その衝撃が、現地での自覚以上に大きかったことを思い知りました。
水を、そして土を、当たり前に信頼しながら生活できない──その日常が目の前に広がる事実に、わたしはたしかに打ちのめされたのです。
いままで訪れたどの国でも味わったことのなかった氣持ちです。
その氣持ちを、次のどんな行動につなげたらよいのか、いまのわたしにはわかりません。
不発弾の問題は、もちろん解決を切望するけれど、粘土質のラオスの土が、日本の土に比べて劣っていると思うわけでもありません。
ただ、言葉の色がかわるほど受けた衝撃を、忘れまいと思います。
たぶん、ほどなくして、わたしの言葉は元の色を取り戻すでしょう。だからこそそのまえに、いま書けるものを書きとめたいと思いました。
旅行自体はとても楽しいものでしたから、ラオスのきれいな観光地の写真など並べながら、みなさんに旅のご報告をしようかと、当初は考えていたのですが……泥色に染まったわたしの言葉たちが、どうしてもそれをさせてくれませんでした。
もし、そういう報告を待ってくださっていた方がいらしたら、本当にごめんなさい。
かわりに、ラオスの子どもたちのエネルギーを、最後に少しお届けさせてください。
今回、ご縁あって、現地の小学校の開校行事に立ち会いました。
校庭にはぬかるんだ泥。でもそんなものは氣にする氣配もなく、部族の踊りやミニ運動会で走る姿を、子どもたちは披露してくれました。
裕福な家庭の子どもたちではありません。式典のために着ていた学校の制服は、貴重な一張羅なのだとききました。
その大切な制服を着て、ああも自由に、無邪気に、ぬかるみに転ぶことができるのか……!
わたしはそのことに圧倒されました。
ラオスの土に衝撃を受け、その土とたわむれる子どもたちに衝撃を受けた──わたしの、ラオスの旅の記録です。
本当は、子どもたちの輝くような笑顔をみなさんにもおみせしたいのですが、あえて顔の部分のわかりにくい写真を載せています。ラオスには、肖像権という考え方はないそうですが、子どもたちの顔がわかるような写真を勝手に載せるのは、どうしてもためらわれ。
どうぞそのあたりは、みなさんの想像力で補ってくださいね。
ありがとう、ラオス。
ありがとう、子どもたち。
本当に不思議です。
思いを綴り終えたら……言葉がいつもの振動を取り戻し始めました。
たしかに──わたしの言葉が振動しています。
その振動を、記事に載せて送信します。
みなさんのもとに、届きますように。
たくさんのことを教えてくれるnote。
いつも本当にありがとう──。
こちらはお土産です。
多くのnoterさんが愛用されているラオス語「ぱにゃにゃんだ」、それから「すーすー」を、現地のガイドさんのご協力を得て録音してきました!
下の音声記事からお楽しみくださいね!
「ぱにゃにゃんだ」と「すーすー」について取りあげた過去記事はこちらです。
こちらの記事に、数週にわたり、みっつのコングラボードが届きました。記事にスキをくださったみなさま、本当にありがとうございました!