自分とは異なる「正しさ」ー多様性の”次”の世界への扉①意識の進化成長
今まで経験したことのない出来事が頻発する中、自分なりの選択を求められる時代になってきました。2020年以降はとくに世界的な疫病騒動があったり、海外では戦争が起きたり、国内外で選挙が話題になったりする中で、賛否両論あったり、様々な意見や選択を見る機会が増えてきたように感じます。なかにはメディアやSNS上だけでなくリアルでも真っ向からバトルになっていたりすることを見聞きしたり。
しかも、スマホが普及して各画面内では各自の好みに応じた情報が流れ、TV離れや新聞離れが進む現在、20世紀の頃には着実に存在した「皆こう考えている」「社会的な常識は~」が同じ日本語をしゃべる人同士、同世代ですら通用しなくなり、共通話題さえなくなりつつあります。それは、異なる意見をどうとらえるのかという課題、異なる現実を生きる人、常識の違う人とどうかかわっていくのかという新たな課題がつきつけられている。つまり、日常においても、今までにないコミュニケーション・リテラシーが求められる時代の幕開けともいえるでしょう。世の中的には多様性(ダイバーシティ)対応していこうという段階かもしれませんが、実は”多様性の次の世界への扉”は既に開いてしまっているのかもしれません。
1.自分とは「異なる”正しさ”」をどう扱うか?
自分とは異なる選択や意見があるとして・・・「趣味が違うんだね」、「視点が違うんだね」、「考え方が違うんだね」、ポジショントークも含めて「立場の違いだね」、「みんなOK!だよね」、「みんな違って、みんないい」だけでは、モヤモヤするというか、奥歯に何かが挟まったような感覚が自分にはありました。それは別に相手をコントロールしたいとか、同じ感覚でいてほしいということではなく・・・。
●なぜこんなにも違うんだろう?
●どこがどう違っているんだろう?
●なぜ意見が違うことで一部では戦いが起きるのだろう?
●我慢や妥協ではない「意見が違うことを穏やかに受け入れる」コツは?
●皆がこうも違う選択をする先にどんな世界が開けていくのだろう?
という感じ。
つまり、全体主義的な「統一見解」「公式見解」「正解の提示」だったり、は人類の在り方として違う。「一緒一緒♪仲間仲間♪」ってのを社会や日常に求めてるわけでもない。一つの見解への誘導や意見の押し付けも違う。同調圧力は違う。だからこそ選択の自由や多様性が大切なのはわかる。
でも、世の中で繰り広げられている現実をみると、多様性が混乱や分断や口論の原因になってる姿が多々見受けられる。こんな状態が”理想的な「多様性」の在り方”のはずがない。選択の自由と多様性がありながら、皆が自分や他人の選択に対して穏やかで平和的でいられる方法を求めなければならないんでないの???
そんな中、手に取った書籍の一節ケン・ウィルバー他『インテグラル・ライフ・プラクティス』から、あ~なるほど💡とインスピレーションを得たのでシェアしたいと思います。
2.ウィルバーの色彩スペクトルで表現した世界観の進化成長
ケン・ウィルバーは、『インテグラル心理学』や『インテグラル理論』でも意識の進化成長について、スパイラルに展開してゆくことを述べていると同時に、色彩スペクトルで世界観の進化成長の様子を表現し紹介しています。書籍では自分オリジナル?もあれば、他の研究者の紹介もあったりして、色の表現がそのときどきで違っていたりするのですが、今回は『インテグラル・ライフ・プラクティス』161頁から紹介された色と世界観をごく簡単に整理してみます。
まず、前提として次のような注意事項がありました。
実はここ、重要ですよね👆。そして、世界観の進化成長が以下のような順番になることを述べていました。
前掲書P161~193を参考に簡単に要点だけをまとめたものです👇(※これは個人の要約なので、不正確なところもあるかもしれません。気になる方は書籍で確認してください。)
この個人の意識の進化成長は、自己中心性の脱却にあるとウィルバーが述べていることについてはこちらの記事👇で触れています。
④アンバー(自集団中心主義)は、世界史上も国同士の戦争などの背景になる典型的な偏狭で排他的なナショナリズムにも表れているし、現在でもオリンピックやスポーツの世界大会で自国選手を応援するときの態度がまさにこれにあたるでしょう。また、愛校精神や愛社精神、チーム対抗戦といったスポーツの応援などもこの感覚のなせる業で、現代社会の中でもまだまだ根強く馴染み深い感覚です。⑤オレンジ(合理的な世界観)は、目標達成型で世界に通用する人材と技術とサービスを展開する戦後日本から現在にかけての典型的で主流派が中心におく大切な価値観ともいえます。一生忠誠を誓って同じ会社ですごすのではなく、自分の力を信じて転職活動ができるのも、合理的な世界観あってのことです。これもアンバー(自集団中心主義)に並んで現代社会に浸透して馴染み深い世界観です。そして、⑥グリーン(相対的な世界観)については、世界中心主義をもう一歩進め、⑤オレンジ(合理的世界観)では切り捨てられがちな弱者保護、地球環境保護SDGsや多様性(ダイバーシティ)、LGBTとかポリコレ(ポリティカル・コレクトネス)にスポットライトを当てる形で新しく社会に登場しています。現時点ではときにあまりの行き過ぎた主張の極端さに国内外で違和感や反発も起こっていますが、リベラルな姿勢をよしとするメディアやアカデミックや新ビジネスといった社会の先端エリアで旗振られているような価値観となっています。
つまり、私たちの社会は、現時点では、主に④アンバー(自集団中心主義)⑤オレンジ(合理的な世界観)といった感覚を中心に形作られているといっていいでしょう。そして、全体としてまずは⑥グリーン(相対的な世界観・世界中心主義の進展)への底上げをめざそうか、という段階にありそうです。
3.「自分の疑問点」が位置する色彩スペクトル
そして、上記にも書いた自分の疑問
●なぜこんなにも違うんだろう?
●どこがどう違っているんだろう?
●なぜ意見が違うことで一部では戦いが起きるのだろう?
●我慢や妥協ではない「意見が違うことを穏やかに受け入れる」コツは?
●皆がこうも違う選択をする先にどんな世界が開けていくのだろう?
いつもどこの領域に自分の意識が主軸をおいているかは脇に置いておいて、少なくともこの疑問に関しては、⑥グリーンから⑦ティールへの移行時にありがちな感覚から出たもの近いのかもしれない…?と感じたわけです。
⑥グリーンの価値観に完全に納得し没頭していたら「多様性あるので意見は違って当然でOK(分断してようが多様性が確保されてば人それぞれなんだから、それでいいでしょう)」となって疑問に思わないはずです。また、⑦ティールの段階に完全に入っていても「多様性はOKだけど、多様性で人々が分断するのはどうなの?」という疑問は生じないでしょう。その価値観のど真ん中にいればもうモヤモヤしなくてすむようなコツは体得済みのはずだからです。グリーンの意識に限界を感じ疑問を持ちながら、その疑問への別なレベルでの着地点を求めつつある。つまり、自分の意識は、ティールの扉が見えているけれども、しっかりどっしり統合が進んだティールの中心段階にいるわけではなさそうです。ただ、その状況でも、今後獲得していく進化の方向性にある感覚がどんなものなのかが、色彩スペクトラムで表現された世界観の進化の流れを通じておぼろげにでも認識できたことは、大きな出来事でした。
ティールの扉の前に立ち、扉を開けてティールの中に入った後も、さらに宇宙中心的(ターコイズ)、「個の超越」まさに”ワンネス”の世界観(インディゴ)があるなんて、未知で壮大な想像もつかない世界観というか宇宙観で圧倒されます。まぁ、ターコイズやインディゴは、個人的も社会的にもまだまだずっとずっと先になりそうですね。
今回は長くなりましたので、ここまで。次回の記事では多角的視点を統合するスタート地点となる「⑦ティール」についての説明を引用をしながら、標記の件、考察してみたいと思います。