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俺のよく行くスーパーに「ファッション巻」という謎惣菜が売っているんだが俺は何を食べさせられているというのか?


1 「ファッション巻」とは何か?

1-1 ファッション巻の構成要素

スーパーに画像のような惣菜が売られている。その名も「ファッション巻」。謎である。

ファッション巻

俺はファッションを食べている。ファッションイーターだ。

コンテンツを見ると、4種類の太巻きから構成されている。クアトロ太巻きである。

一つずつ確認していくと、

  • カンピョウが入っているのが1つめ。

  • マグロのたたきが入っているのが2つめ。

  • サーモンとタマゴがメインなのが3つめ。

  • 4つ目が納豆巻き。

ファッション巻

カンピョウ巻とか納豆巻きとか鉄火巻とかサーモン巻とか、我々はふつうの太巻に慣れすぎていたのかもしれない。

それらが合わさると、なんとファッション巻になる。

普段ユニクロにしかいかず、ザッカーバーグみたいに同じシャツと靴下で暮らして(ただしザッカーバーグと違って無能)、妻に叱られながら一緒にユナイテッドアローズに行っている私にはファッションはわからない。

それでもこれはファッション巻きなのだ。

ファッション巻


1-2 ファッション巻はなぜ売られているのか

これは私感なのだが、おそらくファッション巻きは、他の太巻系惣菜で使われた食品のうち、余剰分を使って作成されている巻物のように思う。

このスーパーではいろんな太巻きが売られている。実は、先述のファッション巻で言うと、カンピョウ巻だけ、鉄火巻きだけ、みたいなファッション巻の一つ一つが独立して販売はされていない。

マグロのたたきやカンピョウの入った巻物は、確かにある。ただし他の、たとえば助六寿司でいなり寿司と一緒になっている巻物にマグロが入っているとか、他の太さの巻物に玉子やカンピョウが入っていたりだとか、それぞれ素材として使われている。サーモンや納豆もおんなじだ。

つまり、他のたくさんある一般的な巻物惣菜が「先」なのだ。

スーパーでは大量に惣菜となる食材を扱うから、必ず「割り切れない数」みたいな端数が発生するのだろう。複数の食材を扱うなら当然だ。

おそらくファッション巻はこうした余剰分の食材のために登場してきた。

そう考える根拠として、以下の旧twitter(X)の投稿をご覧いただきたい。

コープさっぽろ、本家本元のポストである。

ファッション巻の中身を見てほしい。私の写真とコンテンツが違うことがお分かりいただけるだろう。

もう一つ、このポストへのコメントに見えるファッション巻を見てみよう。

これもまたコンテンツが違うのである。

実は私も気がついて戦慄していたのだが、ファッション巻は日によって内容が、変わる。……変わるのだ。

私の近くの店では、カンピョウ巻きoutで焼肉巻いたやつinなことが多いかもしれない。

ということで

・ファッション巻の内容物は、全て他の太巻きなどで使われている食材であること。
・ファッション巻は日ごとに、あるいは店ごとに中身が変わること。

この点から、ファッション巻とは他の太巻きなどで使う食材の余剰分をして作られる巻物であると予想している。


2 ファッション巻の名前と未来

2-1 ファッション巻という名前があること

端的に言ってアホみたいな名前だ、と初めは思った。

なんだファッションって。バラエティ巻とかクアトロ巻とか色とりどりだからレインボー巻とかでいいじゃんとか思ったのだが、多分そうじゃない。

多分、ここでは名前はかなりどうでも良い。

むしろ大切なことは、名前がついているという状態そのものだ、と私は思う。

あらためて考えてみて欲しいのだが、私たちの身の回りの食べ物って、全てちゃんと名前がついているのではないか。

名の無きものを、今日あなたは食べただろうか。あるいは今まで、名前のついていないものを口にしたことがあるだろうか

おそらくこれは、人間が言語を弄して生活を豊かにしてきたことと、人間が生物としてお猿の時代からエサをゲットし続けてきたこととに関係がある。

私たちはあらゆるものを言語で概念化してきた。ソシュールを引用するまでもなく、使うものに名前をつけて運用し、他者とコミュニケーションをとって世界を構築してきた。

逆に、名前のないものは概念化されていないものであり、時に不安なものにもなりうる。

人類はまた、いろんなものを食べてきた。多分毒に当たったり腐ったものを食べて死んだ人はたくさんいただろうし、今後も残念ながら現れるだろう。そうしたものを避けるために、安全なものを食べられるように私たちは食べ物に名前をつけて概念化し、取り扱ってきたのだ。

イヌやネコが食べ物かどうか判断するために鼻先でクンクンするのと同じように、私たちは言語を以て食べ物かどうか判断し共有してきたのではないか。

名前のない安心できる食べ物はないのだ。というか、安心して食べられるものには名前がしっかりついているのだ。名前=安心なエサなのだ。

なので、名前がついていればいい。

パッケージのしかるべきところ、値段やカロリーの上。大きい文字のところにそれっぽい名前の「巻」が表示されていれば、私たちはそれを食べ物だと認識し、安心できる。

もちろん中身も美味しそうだと視覚的にわかるが、名前がついていることもまた安心の大きな要因だ。

ということで、ファッション巻は、名前がついているという意味において、ファッション巻で正しい。その名前で要件は満たしている。

ファッション巻


2-2 ファッション巻の未来 ーーSDGsとしてのファッション巻

俺はファッション巻が好きだ。

ファッション巻には未来がある。

それはとっても経済的だからだ。

ファッション巻は、どうしても出てしまう食材のあまりを使っているという予想をした。これが正しいという前提に立つが、かなり環境にいい。

まず余ったからって廃棄せずに柔軟に製品化しているのがとってもいい。

そしてもちろん、食材として古くなったからファッション巻にしているわけでもなさそうだ。マグロのたたきとかサーモンとかあるので、その日に並ぶ同じ素材をつかった太巻きとかと同じ鮮度だろう。

さらに、バラエティ豊かで飽きがこないのも良い。助六とか食ってると、同じ味で助かる時もあるし、若干物足りなさを感じる時がある。ファッション巻は、少なくとも選択の段階で助六とファッションとどっちがいいか選べる余地を生んでいる。

そしてそして、ファッション巻は美味しい。食材はばっちり。余っているとはいえ美味しい連中が集まっている。

店側の工夫も良い。余った食材で利益をしっかりと挙げるストラテジーを構築しているのがとっても良い。

とうことで、観測した限りファッション巻に弱点はない。

そして、こういうのこそ真のSDGsなのではないか。

華々しく喧伝されるSDGsの事例より、よっぽどファッション巻の方が愚直にSDGsしているのではないか。

ファッション巻は寡黙に、我々の現代社会の未来を見据えている。

未来を見据えるファッション巻


おわりに

ということで、俺のなかでの「ファッション巻」は定義づけられた。

すなわち

他の太巻き系惣菜の製造上どうしても生まれてしまう余剰食材を使った太巻きで、その食材は必ずしも一定ではないが、他の太巻きと同じ食材ゆえ新鮮で、組み合わせの妙もあり美味しい巻物

といった感じだろうか。

もしかしたら皆さんの街のスーパーにもファッション巻が売られているかもしれない。

それはファッション巻という名前ではおそらくないだろう。でもそれは紛れなくファッション巻であり、ファッション巻は静かに食品ロスや環境負荷を低減し、私たちの未来を静かに見据えているのではないだろうか。

俺はファッション巻の味も構造的な要素も大好きだ。みんなも自分の街のファッション巻を見つけて、そして食べよう。

ファッション巻


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