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「(当事者主権)という幻」
織田淳太郎著「知的障害者潜入記(新潮新書)」読了。とある知的障害者向けグループホームに介護スタッフとして「潜入」したジャーナリストがグループホームの闇と病理を冷静な筆致で綴った渾身のルポルタージュ。
仕事上の都合から、成り行きまかせにグループホームに入職した織田氏。介護福祉など興味のなかった織田氏だが、目の前で繰り広げられる知的障害者への仕打ち、惨状に触れるうち、次第にジャーナリストの血が騒いでいく。
恣意的なグループホームのルール
入居者への厳罰主義
スタッフによる無遠慮な暴言
徹底した管理体制
閉鎖的な企業風土
世間でいえば「虐待」にあたる行為が、そのホームでは当たり前のように繰り返されている。こうして箇条書きにしてしまえば味気ないが、言うまでもなくホームの入居者は疲弊し、限界を迎えていた。
上記はすべて「利用者の人権侵害」のひと言で括られるが、そんな当然すぎる常識(あるいは良識)は通用しない。
24時間365日スタッフが常駐し、栄養管理が行き届いた食事が提供され、提携の就労支援施設に通うことで少ないながらも賃金が得られる……。
確かに一見すると障害者にとって「理想的な住まい」のようだが、その裏ではスタッフによる恣意的にして一方的な「人権侵害」が公然と行われているのだ。
たとえば、食事。ホームでは「利用者の永続的な健康管理」の名のもと、利用者の間食、およびおやつの所持が徹底的に禁止されている。
そして、少しでもルールを破った入居者に対しては「指導」という名の懲罰が与えられるのだ。
わずかな工賃を必死に貯め、不定期の個人外出でこっそり買った飴玉1つでさえも容赦なく没収されてしまうのだから、スタッフがいかに支配的で強権的であるかがわかるだろう。
健康管理にもとづいた食事指導は一般的なホームでもよく見られるが、こちらのホームの場合、「禁止の基準が曖昧」である点に問題がある。
すべての利用者にルールが適用されているわけではない。
全員共通のルールというのは建前で、「スタッフにとって可愛い入居者」は基本的に例外として扱われる。
ただ単にスタッフの機嫌がいいからという理由で、おやつが許されることも珍しくない。
いずれにしても、気まぐれなスタッフによる「恩恵」にすぎないのだ。
ホームの惨状に著者はスタッフの1人として憤り、ささやかな抵抗を試みる。だが、限りなく部外者に近いスタッフの良心は、澱のように凝り固まったホームの「常識」によってあっけなく跳ね返されてしまう。
さらに恐ろしいことに、ホームの悪しき伝統や習慣は、純粋で誠実な新人スタッフをいとも簡単に染め上げる力を持っている。
「入居者に寄り添ったケアをしたい」という当たり前の熱意を持った若者でさえ、ホームで1カ月も働けば知らず知らずのうちに、入居者をきつく叱責し、やっとの思いで買ったおやつを鬼の形相で取り上げるスタッフへと変貌してしまうのだ。
「やまゆり園事件」を引き起こした植松聖死刑囚でさえ、やまゆり園に入職した当初は「障害者は可愛い」と友人に漏らしていたというのだから、介護施設の病理はつくづく闇が深い。
個人的に、「障害者=可愛い」という表現には若干の異論があるのだが、それは別の記事で詳しく書くことにしよう。
研修期間という名の潜入を終え、著者は割り切れない思いを抱えたまま、グループホームを去る。
残念ながら、入居者への無慈悲な人権侵害は今、この瞬間も続いているだろう。
言うまでもなく、入居者への人権侵害は、このホームに限った話ではない。ここまでの惨状ではないにせよ、少なくはないホームで同じような問題行為が常態化しているはずだ。
読み終えて、ずっしりとした何かが心の奥底に残った。