実はワタシ。クォーターなのです。 (自慢ではありませんよ。最近まで黙ってました) 祖父がブラジリアンで、見た目で外国人と思われたこともありません。 ⚠これより、日本人には耳が痛いかも知れない私の本心を書きます。先に謝っておきます。ごめんなさい。 【KY】 長い間、ほぼ、常に、いつも悩まされて来たことが「日本的な曖昧さ」でした。 ここで言う「あいまいさ」は日本人的な「やさしさ」でも有るのですが、常に真意は内包されるため、外国人には通用しません。と言うより「理解できない」のです
一つ注意点がある。ここまで私は何一つ強制もされていないし、どちら側の神の使いでも無い。 つまり、嘲ってもいないし、崇めてもいないことを解って頂きたい。 (最後に勧誘などということにもならない) 礼拝堂は3階にある。荘厳と言うまでもなく、憧れのパイプオルガンがある訳でも無い。 慎ましやかで清潔感のある礼拝堂。そんな感じ。 少し前に皆さんの前で名前を呼ばれ紹介されて、少し頬を紅くし、軽くお辞儀をした後のこと。 「ようこそ教会へ」に付いていた「昼食券」のお話へと続きます。
いつの間にか静まる堂内。礼拝が始まった。 かに思えたが、違った。 あのゴスペル服の女性が皆の前に立ち、歌う賛美歌の練習を(礼拝者全員)始めた。 週報に挟まれた一枚の賛美歌をつまみ上げ、表裏を見返すと短めなもう一曲を発見できた。 皆立ち上がり、斉唱する。何というか、やっぱりというか。ソウルフルで力強い女性の歌声に驚きつつ私も、夏日のサングラスが隠す目線のように。付けたままのマスクでモゴモゴと鼻歌のように合わせた。つもりだ。 (後で分かったが、プログラムには「前奏」と書いてあ
産まれてこのかた、神様に頼ったことも。 信じたことも無いのだけれど。 (勿論、本心からすがったという意味で) ひょんなことから外国人にくっついていく日曜の朝。 入口すぐにある受付で書くゲストカード。 あ、トモダチ?ドコのクニのヒト? 週報を手に取り、苦笑しながら 「イチオウ日本人デス〜」と返す。 項目はたくさんあれど、名前と簡単な住所だけ書いて渡すと、すぐに読みがなを聞かれた。 あぁ。簡単にアルファベットで書くべきだったかな。などと考えながら階段を上がっていく。 礼拝堂の
どんなに仲良くなれても、一緒に遊べる仲間でも、カラオケでは歌えない。歌えなくなってしまった。 私にとって歌というものは、記憶と連動していて、当時の情景や匂いまで再現してしまいます。私にとっては感情まで。 曲に興味を持つことは自分からだけでは無く、好きな人が聞いていていつの間にか自分も。なんて事がありませんか? その人。そのときの感情が溢れてしまうと、もはや歌うどころか、その場に居ることすら出来なくなっていました。 不思議なことに気が付きませんか?私にとってそれは「楽し