カラオケで歌わないワケ
どんなに仲良くなれても、一緒に遊べる仲間でも、カラオケでは歌えない。歌えなくなってしまった。
私にとって歌というものは、記憶と連動していて、当時の情景や匂いまで再現してしまいます。私にとっては感情まで。
曲に興味を持つことは自分からだけでは無く、好きな人が聞いていていつの間にか自分も。なんて事がありませんか?
その人。そのときの感情が溢れてしまうと、もはや歌うどころか、その場に居ることすら出来なくなっていました。
不思議なことに気が付きませんか?私にとってそれは「楽しかった思い出」では無いのか?と。
過去とは懐かしむもので、語り合えてこそ取り戻せる嬉しさなのです。そこに居ないことで虚無感に変わり始めるのです。
虚無感というのは、無くしたことよりも、取り戻せない度合いに比例します。私が無くしたのはモノでは無く、存在そのものを亡くしたから。この虚無感が悲哀とともに押し寄せる感情を生むのです。
ヒトとモノ。ヒトとウタ。私はいつも、出逢う人と歌を繋げて覚えるようにしています。
新しい出逢いがたくさん集まって、好きな歌が溢れ出したとき。
いつか私も歌える気がします。