オッペンハイマー
クリストファー・ノーランのオッペンハイマーを観る。
どこまで真実かはわからない。
ただ、ひとつだけ揺るぎない真実があるとすれば置かれた環境という枠から与えられたものに従った結果でしかなく、ゴールは最初から決まっていたということ。
そのゴールは不可避なもので、後から何を検証しようとも“開発”され“使用”された歴史しかないということでしかない。
科学にしろ、武器にしろ、権力にしろ、金も・・あらゆる“パワー”がそうだ。
“もっともっと”と耳元で囁かれ歯止めなど効かないただの暴走列車。
それが行き着く先は“虚無”しかない。
観た後にこんなものを見つけた。
被爆した日本の理論物理学者がオッペンハイマーと非公式の面会があってその際に涙を流して謝罪したというのだが、その後の彼の態度は決して廃絶でもなく・・ということだが、これを聞いてもなおやはり一人の人間、いや科学者が変えられる世界などどこにも存在しないと思えてならない・・残念ではあるが。。