かわいそうなんかじゃない:私の歩幅で、私の人生を
名前:スナドリ
誕生日:1992年7月
障害:顕在性二分脊椎症(合併症で水頭症、シャント有)、抑うつ、ADHD(不注意優勢型)
出身地:大阪府北河内
在住地:大阪府中河内
家族構成:夫、ブリティッシュショートヘアのソイちゃん
趣味:音楽鑑賞(日本のロックバンドやJin Akanishi)、写真撮影(Canonカメラを使用)
好きなアーティスト:SUPER BEAVER、10-FEET、Jin Akanishi…etc
その他:日々の小さな喜びを大切に、人生を楽しむことを心がけています
32歳になった今、自分は自分だから。と思えるようになり、両親に産み育ててくれたことを感謝できるようになった。
私はこの身体を受け入れているし、この身体でやりたい事、興味のあることはやってやろうと思っている。大切な人と結婚できたことも、子どもの頃は考えもできなかったことかもしれない。
障害は個性とよく言われるが、綺麗事だと思っている。
当事者の生活に差し障ることがあるから「障害」なのであって、決して個性などではないと強く感じている。
子どもの頃、小学校の運動会の徒競走でも1番最後まで走っており、放送の「紅組さん頑張ってください」や親御さん方の注目がすごく嫌だった思い出がある。
歩き方が他の子と違うことがコンプレックスだったし、よく真似られ、からかわれた。泣き虫な私はすぐ泣いていた。
親には、乙武洋匡さんの「五体不満足」を渡され、読んだはいいものの共感は出来なかった。
24時間テレビで、障害を持った方がいろんな挑戦をされているのを見ても、私も頑張ろうとは思えなかったし、何なら冷めた目で見ていた気がする。それは今も。ふーん。そういう人もいるんだなあ。みたいな。
運動できないなら勉強で見返さなければならない、も今考えてもよくわからない話である(単なる大の勉強嫌いの戯言ですが…w)
漢字が得意で、漢字検定準二級も持っているけれど、得意な科目しか頑張らなかったな(笑)
大人になり少しアクティブになった私は、街でひとり楽しく行動することも増えた。もちろん友人ともだ。
街を車いすで移動していると、時々マダムたちから「若いのにかわいそうにねぇ」と声をかけられる。
そのたびに私は心の中で「楽しい楽しいひとり時間満喫してるで!?」や「え?!今めっちゃ友達と話して笑ってたのに見てへんかった?」とツッコミを入れている。
マダムたちの優しさには感謝だが、私の心の声を聞いてほしいところだ。
「障害」=「かわいそう」もやめてほしい考えだ。
私達障害者はかわいそうじゃない。
そう言った偏見に直面するたびに、私は何とも言えない気持ちになる。
周囲の人々が私の存在をかわいそうと見るのは、自分を否定されているように感じるからだ。
これまで生きてきて、私は自分の身体を受け入れることができたが、それでも時折、偏見への悲しみや憤りが押し寄せることがある。そうした感情を乗り越えるために、自分自身を大切にしながら生きていくことが必要だと感じている。
学生時代の友人たちとはカフェやショッピングに行くことが多い。彼女たちのサポートにはすごく感謝している。
友人と出かける時間は、私にとってパワーをもらえたり、リフレッシュしたり、いい時間になっている。
彼女たちは私の存在を受け入れてくれるし、一緒にいるときは何気ない会話や笑いがあふれかえっている。
時には、私が何かをするきっかけやアイデアを与えてくれたりする。そうした瞬間が、私に自信や活力を与えてくれる。
これからも自分らしく、出会う人や物事との関係を大切にしながら、新たな挑戦を楽しんでいきたいと思っている。