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エッセイ「はじめまして、ギターさん。」〜憧れをこの身に収めるとき〜

ベッドと机だけのシンプルな私の部屋。
その6畳の空間が簡素なのには理由があって、毛羽だった私の精神を刺激しないようにと極力、物は置かず装飾もしないようにしている。

そんな部屋に突如、君がやってきた。

私は部屋の隅から、存在感のある君をちらりと見やる。
外では木枯らしが吹いているというのに額を一筋の汗が伝った。


物心ついた時から、憧れていたギター。
特別、音楽が好きだったわけではないけれど、純粋にギターを弾ける人をかっこいいと思っていた。

始めてみれば良かったのに、存在が遠いものすぎてその発想すらなかった。
そして私は子供の頃から、自分の感情を汲み取ることが苦手で、自分の欲しいものすら分からなかったんだ。



だからずっと憧れのままだった。



その憧れを先に叶えたのは、歳の離れた妹の方であっという間に彼女はギターの腕を上げた。
一方で私はその音色に聴き惚れるばかりで、自分の弾きたい気持ちは押し殺していた。



私には無理だ。
どうせ続かない。
できっこない。



そうやって新しいことを始める勇気がないことから逃げ続けてきた。
でも、そうしてきた1番の理由は「傷つけ、壊してしまうことが怖いから。」ということだった。
いつもそうだ。


私は臆病だから。


触れることを恐れ、出会いを遠ざけてしまう。
半ばいじけるような形で「これが私だ。」って自認していたけれど、よく晴れたとある日、私はそんな自分と決別するべく行動に出た。



「ねぇ、私、ギターが弾いてみたい。」



妹の部屋に言ってそう言った。
私の言葉に妹はゆっくりとこちらを向く。
しばらく話していなかったことも相まって、心臓がドクドクした。

いつのまにか身長も、知力も力も私を追い越し、自分には無かった「反抗期」にある妹を恐れ、敬遠していた。

「だから、前から貸してあげるって言ってんじゃん。」

口を利いたのは久しぶりだと言うのに、妹は優しかった。
言うや否や自身のギターをせっせと私の部屋に運び、教本やら、チューナーやらも一緒に貸してくれた。
多忙な妹はそそくさと部屋を出ていく。



残された私とギターさん。



私は恐る恐る君を見た。

使い込まれて傷と錆がついた君に、心の中で挨拶をする。


はじめまして。ギターさん。


返事はないがこれでいい。



私はこの日、君には触れずただただベッドの上から眺めていた。
それだけで額が汗でじっとりと濡れた。
日が傾き、部屋が薄暗くなるまでずっとずっとそうしていた。


翌日も翌々日も君には触れなかった。 
急にやって来た20年来の憧れを、どうこの心と体に納めたらいいかのか分からなかったから。

やっと触れたのは君が来て3日後。

教本を見よう見まねで、君を構えてみる。
それだけで全身から汗が吹き出した。

チューニングを始めたが、どうも音が合わない。
しばらく使われていなかったためか音が1音以上ずれていたことが、難易度を上げていたようであった。

ペグをどちらの方向に回したら、目当ての音にたどり着くのかわからず戸惑う私。
君をこの不器用な手で壊してしまうのではないかと思うと怖かった。

うまくいかずに焦りだけが募っていく。
静かな部屋で心臓の鼓動だけがやたらと大げさに鳴り響いている。

ネットや教本で調べたが、内容が頭に入ってこない。



やっぱりダメだ。
だめだったんだ。
私なんかでは崇高な君を扱うことなんてできない。



心がずしりと重くなる。
妹はまだ、帰らない。

君が苦しんでいるような気がして、弦を緩めてギタースタンドにそっと置いた。

明日、妹に見てもらおう。

そう思いとこについたものの、この夜はなかなか寝付けなかった。
不甲斐ない自分のところに来てしまった君への申し訳ない気持ちが、いつまでも胸の中で渦を巻いていた。


翌日、私は早く早くと妹の帰りを待った。
もう、君をこのままこっそり妹に返してしまおうか。



そんな薄情なことを考えたりもした。



幸い、この日、妹の帰りは早かった。
妹がひと息つくのを待って、私はもごもごと言葉を紡いだ。

「な、なんかさ、あの、ギターのチューニングが合わないんだ。」
私が壊してしまったのではないかという思いから、微かに声が震え妹の顔を見ることができなかった。

「よし。任せとけ。」

いつもは生意気で反抗的な妹だが、こういう時は実に頼もしい。
彼女はアイスを咥えたまま、私の部屋に直行する。そして、チューニングを始めた。

「ああ、これ全部同じ音になってるね。」

妹が弦をはじくと6本全ての弦から同じ音がした。

妹がチューニングをする様子を私はどぎまぎしながら、見守っていた。

「どう? ヤバいかな? 訳わかんなくなっちゃってさ...。」

私の言葉に妹は、

「いや、やばくはないよ。弦が全部緩みすぎてるだけ。」と答え淡々と音を合わせていく。

その言葉に私はほっと胸を撫で下ろした。

無事チューニングが済み、妹は去り際に口を開いた。

「ああ、そのギター、数千円で買ったやつだし、弦も高いものじゃないから別に気にしなくていいよ。」

アコギが数千円で買えるのか?
よく分からないし値段の問題ではないけれど、妹の気遣いに感謝した。



そして、私は覚悟を決める。
君と歩む覚悟をー。



君を構えて、弦をはじくと先程とは違い6弦それぞれ違う音が鳴った。

その音色の美しさに酔いしれる。

木の温もりも弦の冷たさも、ボディの傷すらも愛おしい。

これから君と一緒に歩む生活が楽しみだよ。
本当は好きなのに、傷つけることが怖くて、関わることを避けるのはもったいないことだと気づいたから。

例え上手に弾けなかったって、続けられなかったって、切れた弦に傷つけられたって、一緒に過ごした時間を無かったことにするのは、愚かなことだろうから。

私は君と一緒に進むと決めたよ。




これからよろしくね。ギターさん。

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よづき|ASD不安障害の物書き
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