結婚したからって安心は手に入らないよって話。
結婚したら安心が手に入ると思ってた
人生のうち、約10年間結婚していた事がある。
確かに幸せだった事も沢山あったけど、
その10倍くらい、結婚生活のほとんどを、
私は不安という感情をベースに過ごしてしまったという自負がある。
当時私は、自分の中にある感情を持て余していた。
自分の悩みが恥ずかしく、子供じみてるような気がして誰にも相談できなかった。
今思うとあれは人生の学びという神様からのギフトだった。
常にベクトルは自分の外に向いていて、自分の事は二の次なんて当たり前で。
自分を愛するという考えすらも浮かばない、
立派な他人軸で生きていて、
私はそれが良妻賢母というものだと信じて疑わなかった。
寂しがりで愛に生きたい派の自分は、
結婚したら全部が解消すると思っていたのに
その算段は見事に外れて、その後、ただただ長い間不安や猜疑心に縛られて日々を過ごす事になった。
特別に何も心配することはないのに、
心は常に不安に苛まれていた私の悩み事は
夫は今何をしてるんだろう
どのくらい夫は私の事を考えてるんだろう
いつ帰ってくるんだろう
何で連絡くれないんだろう
いや、仕事してんねん
全力であの頃の自分にツッコんでやりたい。
夫は確かに子どもっぽく(実際に私よりも歳下で二十歳で父親になった)何かあると無言になり時折壁に穴が開くほどパンチくらわしたりしたが、私には暴力は振るわなかったし、彼の友人がマザコンと密かに言うほど母親との関係は密だったが、ちゃんと私の味方をしてくれたし、
空き時間にメールをくれ、
終われば帰るコールをしてくれ真っ直ぐ帰ってくる
休日は子どもたちと私に時間を割き、
たまには子どもを預け夫婦2人の時間を取ってくれた
何をそんなに不安になることがあるっていうんだろう。
しかも、悩むべき事柄は他に山盛りにあった。
癖のある義実家との関係、いつもカツカツなお金の問題、緘黙症だった長女の事、ママ友との派閥問題、
いや、そっち悩めや。
って、やはり当時の自分の横面を殴ってやりたい。
しかし、数多の問題を余力1割でやり過ごすくらいに、私はパートナーシップにおいていつだって全力で悩んでいた。
そして不安や猜疑心の果てに、本当にそのような現実を引き寄せる結果になった。
引き寄せの法則は本当にあるのだ。
不安の正体
やがてすったもんだの末に離婚をする事になっても、私はこの不安の正体に気付くまでには相当時間がかかった。
結論から言ってしまうと、
自愛ができていない、それだけのことだった。
「それだけのこと」でありながらも、「それだけのこと」の中身にはぎっしりと色んなものが詰まっていた。
見捨てられ不安
与えられる愛情への疑心暗鬼
愛の試し行動
その不安のファーストインスピレーションを辿ると、
きっとほとんどの人が親と呼ばれる人達との関係に行き着くのではないかと思う。
ファーストインスピレーションてなに?の人はこちらの記事をぜひ📚↓
自分が本当に求めてる事は、
自分から愛されること。
自己肯定を高めようとか承認欲求を満たすとか、自分ファーストとかいうのは、つまりはその一点だけということ。
上っ面だけだとずっと、
自分の事ちゃんと見て!って、いつまでも、どんな手を使ってでも自分が自分に訴えかけてくる。
現実が崩壊する人は、もう本当に自分に向き合うチャンスを与えられてる。
それが神様からのギフトだと、気付かなければやがて強制終了されてしまう。
結婚しても安心は得られない。
本当の心の安定は、誰かから与えてもらうものでも、結婚やお金という、目に見える幸せの形にハマる事でもないからです。
本当の安心は、誰でもなく自分が与えてくれるもの。
そう気付けたら、結婚してもしなくても、自分自身で幸せになれるんだという、最高のプレゼントを、現実に神様が届けてくれるんです。
辛くても、ここまで読んでくれた方、大丈夫。
自分を幸せにしてあげようと、自分のために模索して、情報を集めてる。
それは立派な自愛といえるから。あとは辛さから解放されて幸せを感じる自分に戻るだけ!
大丈夫。